第7話 約束

 マーガレットは思わずアルテナと顔を見合わせた。


「今のって……」


「思いっきり玄関ドアを開けたような音だったわね」


 小声を交わす二人に被せるように、ドンドンという重い足音が続いた。誰かが入ってきたのは明白だ。


「この家の主人が帰ってきたのかな?」


「でしょうね。此処で待ってて、様子を探ってくる」


 アルテナは慎重に階段に近付き、階下を覗き込んでいる。その様子を、マーガレットは固唾をのんで見つめた。

 やがて足音はしなくなり、代わりに刃物か何かで木を削るような音が始まった。


「奥の部屋に入ってったみたい。どうやらこの家の持ち主で間違いなさそうね」


 マーガレットはたくさんのバイオリンが飾られた一階の壁と、その端に設けられた工房を思い出した。


「ど、どうしよう!? 勝手に入ったのがバレたらまずいわよね!?」


「ええ、見つかったら面倒なことになるでしょうね。このまま二階に隠れているか、いっそ不意をついて排除するか……」


 礼儀礼節を踏まえた常識的に、という意味で言ったのだが、アルテナの認識は思い切りそれとはずれている。

 マーガレットは苛立ちで声が大きくならないよう細心の注意を払いながら、その間違いを訂正する。


「違うわよ! 家主の不在中に勝手に上がり込んでいたのがバレたらまずい、って言ってるの!」


「お嬢様らしい理由ね」


 アルテナは呆れたように鼻を鳴らす。


「さっき窓から見えたでしょう? この街の住民は全員まともじゃないのよ。人間の礼節を守ろうと考えるだけ無駄、バカを見るだけよ」


「私はまともよ! あの人もそうかも知れない!」


 さっき、自分を襲ったあの男は『この街に来て三年』とか言っていた。悪意に満ちていたとはいえ、それでもある程度の意思疎通はできた。一方で街に来たばかりの自分は、まだ全然正気を保っている。この家の主もまだ此処に来て日が浅く、街の毒気に当てられていない可能性は否定しきれないだろう。


「とにかく、まともだろうと狂っていようと家主に私達の存在を知られるのはまずいわ。気付かれない内に退散しましょう!」


「それで、あの“サーヴス”共で溢れかえる街中へ出るって? あなた、見た目と違って随分と勇敢なのね」


 こちらを小馬鹿にするようなアルテナの物言いにマーガレットもだんだん腹が立ってくる。だがふと思い至り、アルテナに訊いた。


「待って。アルテナ、貴女は自分からこの街に入ってきたのよね?」


「そうよ。街を生み出している元凶を見つけ出して退治するために、先輩と二人でね。今は、はぐれちゃってるけど」


「それなら、身を隠せる拠点のひとつやふたつ、用意している筈よね? こんな街で動こうっていうんだもの、戦いや調査の準備を整える場所は必要だわ」


 アルテナが僅かに目を見開いた。


「驚いた。あなた、世間知らずのお嬢様に見えて中々どうして鋭いわね」


「それじゃあ、やっぱり……!」


「ご推察の通り、いくつか拠点は確保してあるわ。実を言うと、この近辺にもそのひとつがあるの」


 じゃあそれを早く言え、と文句をぶつけたくなるのを我慢してマーガレットはアルテナに顔を寄せた。


「どうにかしてそこに行きましょう。貴女の先輩とやらもそこへ戻っているかも知れないんでしょう?」


「可能性は高いわ。ただし、あなたを守りながら辿り着けるかどうか、そこは保証できないけどね」


 マーガレットはごくりと唾を飲み込んだ。アルテナがこの家に身を潜めようと言ったのは、足手まといの自分の存在もきちんと計算に入れてのことだった。

 またあんな目に遭ったら……。そう考えると恐ろしさで身が竦みそうだ。しかし、マーガレットはぐっと顎を引き、震える舌を無理やり動かして勇気を絞り出した。


「もしもの時は、見捨ててちょうだい」


 アルテナの顔にまたも意外そうな色が浮かぶ。何かを言おうと口を開くが、出てきたのは「へぇ~」とかいう呆れなのか感心なのか分からない溜息まじりの言葉だけだ。


「この街の恐ろしさは充分に分かったわ。貴女も見た通り、私は戦えない。でもね、確かに私は争い事から縁遠い貴族の娘だけど、それでもプライドの欠片くらいはあるのよ。他人の、それも自分と同年代の女の子の前で、あんまり見苦しい振る舞いはできないわ」


 ノーブレス・オブリージュ。貴族は平民から税を収めてもらう代わりに平民を守るべし。

 国民主権の意識が高まり、議会にも平民出身の議員が数多く輩出される昨今、従来の貴族精神は既に過去のものになりつつある。それでもマーガレットの家は、この教えを疎かにすることは決してなかった。

 マーガレット自身にも、その考え方は受け継がれている。


「アルテナの足手まといにはなりたくないの。この街をどうにかするというのが貴女の使命なら、そっちを優先してほしい」


「……マーガレットは、本当にそれで良いの?」


「……本音を言えば、やっぱり怖いわ」


「なにそれ」


 ぷっ、と思わずアルテナは吹き出した。その毒気の抜けた表情にマーガレットは一瞬見とれたが、すぐに気を取り直して補足をいれる。


「私自身の感情と、大義名分はまったく別のものよ。本当は嫌だけど……怖くて怖くて仕方ないけど……アルテナがおおやけの為に戦っているというなら、私にそれを留める権利は無い。だから……」


「分かった」


 アルテナは手の平を差し向けてそれ以上の言葉を遮る。緊張の和らいだ表情に、若干の親しみが加わっているような気がした。


「色々と言ったけど、わたしも途中であなたを見捨てるのは本意じゃない。貴重な、街の闇に染まる前の生存者だからね。出来れば無事に帰してあげたいって思ってる」


「アルテナ……」


 マーガレットは、じんわりと胸が温かくなるのを感じた。アルテナと少しだけ打ち解けたと実感できて、嬉しさが全身にこみ上げる。


「約束するわ、マーガレット。わたしとあなたは一蓮托生。わたしの手でどうにかできる内は、決してあなたを見捨てない。あなたを此処から生還させる為に尽力する。だから必ず、二人で生き延びましょうね」


「……ええ!」


 二人はそっと小指を絡め、指切りの約束を交わす。アルテナの申し出はやや控えめな内容に留まり、決して何があってもマーガレットを助けると言ったわけではない。

 だがその慎重な物言いに却って誠意を感じられ、マーガレットは心から安堵を覚えた。

 出会ってまだほんの僅かだけど、それでもいくらか心を許せる。お互いにそんな相手を見つけたことで、二人の間に笑顔が咲いた。


「さて、そうと決まればここの家主に気取られる前に出ましょ。わたしに付いてきて」


 そう言って、アルテナはゆっくりと足を伸ばして階段を下ってゆく。マーガレットも足音を軋ませないよう、細心の注意を払いながら一歩一歩慎重に階下を目指す。

 一階の工房からはいまだにシャッ、シャッ、という切削らしき音が続いている。どうやら作業に没頭しているようだ。そっちに意識が集中しているなら、自分達には気付かないかも知れない。

 マーガレットの予想は的中し、二人共問題なく一階の玄関前まで辿り着いた。アルテナが一度振り返り、マーガレットに目で合図をしてからそろそろとドアノブに手を伸ばす。


「うへへ……。いひひひひ……!」


 突如飛んできた声に心臓が跳ねた。恐る恐る工房の入口を見やるが、そこには大きな影が浮かび上がっているだけで人の姿はない。どうやら家主の独り言のようだ。


「ああ、良い木材だ……! 実に加工のし甲斐がある……! これなら今度こそ、最高の作品が造れるかも知れない……!」


 恍惚とした響きを含ませた独り言が続く。悦に入った表情が見えてくるような、妖しい声音だった。


「本当に、この街に来れて良かったなぁ……! 三流以下のバイオリン職人とバカにされた僕でも、こんな良い仕事ができるんだから……! いつもいつも材料を恵んで下さる、教会にはもっと感謝しないとなぁ……! うへへへ……!」


 マーガレットはアルテナと顔を見合わせた。アルテナは今の言葉を咀嚼するように眉根を寄せ、二度三度と視線を床に走らせる。

 やがて彼女は肚を固めたと言わんばかりに強い眼差しを上げ、マーガレットに頷いてみせてから今度こそドアノブを捻る。

 そして二人は、家主に気付かれることなくその家を後にしたのだった。

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