第八話 外国語と中間試験(3)

 その日の放課後、早速、帰ってきたジルをつかまえて頼んでみる。


「エスパニア語? 別にいいけど……。母語話者ほど、とはいかないけどね。問題出題ぐらいはできるよ」


「やった!」


 おれはバンザイし、素直に喜んだ。


「エスパニアからの留学生はいないのか?」


「いるけど、みんなそろそろ語学の中間試験だし……。ちょっと頼みにくいよね。留学生は今ごろ、引っ張りだこじゃないかな」


 おれの疑問に、ジルは苦笑する。


「なるほど」


「その点、よかったね。レイチェルがいて。レイチェルだけじゃなくて、アン・ドゥ・トロワにもやってもらうといいよ」


「あ……そういえば、あいつらも母語話者か。うん? でも、なんであいつらにも?」


「話しかたには、癖があるから。僕と君は同じフランシア語でしゃべっていても、違うだろう?」


「そりゃ貴族と庶民だからじゃね?」


「それもあるけど……。じゃあ、わかりやすい例で言ってみると――ベルトランと僕は? 貴族でも、違うでしょ?」


「……言われてみれば。個人で話しかたの癖が違うってことだな」


「そうそう。だから、レイチェルだけじゃなくて、色んなひとに特訓してもらったほうがいい」


 助言をしながら、ジルは疲れたように机の前に置かれた椅子に座る。


「もう中間試験……。早いものだね。語学は、エスパニア語がレイチェルと一緒、アングリア語がベルトランと一緒だっけ?」


「そうそう。同じで助かってる」


 お嬢はもちろんだが、ベルトランも意外と面倒見がいいのか、おれが宿題を聞き逃したりしたら(なぜか先生はアングリア語やエスパニア語で宿題を出す!)ベルトランは舌打ちしながらも教えてくれるのであった。


「ジルも中間試験はあるんだろ? 全然心配そうじゃないな」


 おれの指摘に、ジルは苦笑する。


「勉強はしてるからね。……ああ、でも……ベルトランにアルマニア語で出題してもらおうかな、僕も」


「なんでベルトラン?」


 たしかにベルトランはアルマニア語を取っているけど……。


「クドリエは東に領地があって、アルマニアと国境を接しているって言ったでしょ? だから、クドリエは幼いころからアルマニア語を仕込まれているはずだよ。交渉などに使うからね」


「ははあ。ジルは、アルマニア語は自信がないのか?」


「アングリア語に比べれば、そうだね……。文法も、アルマニア語のほうが複雑だし」


 それなのに、アルマニア語を選択しているのがすごいな。

 でも、と思い至る。

 ジルとおれでは、勉強に対する姿勢が違うんだと。

 おれは単位を取るために、なるべく有利な科目を取る。

 ジルは単位を落とす心配がないから、自分では学びにくい難しい科目を取る。


「ジルって、なんでそんな語学ができるんだ? 貴族だと普通なのか?」


「――普通かどうかは知らないけど……。僕の場合は、使う機会があったからね。父が外国人を歓待することもあったし」


「ほほう」


 そうか……貴族には、外国語が身近なわけか。

 それに対し、おれは――外国人と会った記憶もない。

 親父は何カ国語かを話せたし、リャンも習っていたけど……おれは聞き流していた。

 神学に比べると興味がなかったんだよな。


「それに、僕よりレイチェルのほうがすごいさ」


「うーん、たしかに……お嬢はすごいけど」


 お嬢にとっては外国語であるフランシア語で、ここの難しい授業を受けてるんだしな。

 でも、ジルだって留学してやっていける気もした。


「大丈夫?」


 心配そうに問われて、おれはハッとする。


「中間試験も大事だけど、無理はしちゃだめだよ。……リャンが無事だとわかったんだ。君が証明する必要はなくなったんだよ」


 その言葉に、おれはハッとしてうなだれた。


「わかってるけど……。リャンが、いつ戻るかもわからないのに」


「ガルヴァランツの情報網で調べてもらっているけど、全然つかめないってさ」


 ジルは前髪をかきあげ、ため息をついた。


「君のお父さんにも、聞いてきてもらったんだけど……なにも知らない、の一点張りだってさ。脅されているんだろうね。息子の命を人質に取られているのなら、仕方ない」


「そうだよな……」


 リャンが生きていた。

 それ自体は、とても嬉しい。だが、どうしてさらわれているのか、見当もつかない。


「一般的に、子息が誘拐された場合は――金銭の要求が多いんだけどね」


「おれのうちは、別に裕福じゃないし……」


 親父は大学で教えていたから、普通の農民よりは裕福だったはず。だが、その親父が高い本ばかり買い込むものだから、結果として普通の農民とそう変わらない経済状態だった。

 飢えたことは、ないけれど……。


「そうなんだよね。金銭を要求するなら、王侯貴族をさらうはず。だから、やはり――狙いは別にある」


「神父の予言か? リャンをさらって、証明できないようにした?」


「その線も、変なんだよ。それをするとしたら、ラフォンヌ伯爵なわけで。でも、ラフォンヌ伯爵はリャンをここに通わせるように言った人物だ。死んだから証明できなかったな――なんて、するかな?」


「する可能性もあるじゃねえか? 確実に問答に勝てるじゃん」


「でも、それだと犯人が丸わかりだし、どうしてリャンを生かしているのかもわからない。それに、ラフォンヌ伯爵が犯人なら、君が姉だってわかるはずだから、とっくに正体がばれてるよ」


「……ううん、たしかに」


 考えれば考えるほど、わからなくなってきた。

 一体、リャンはなにに巻き込まれたんだ?


「考えても仕方ないけどね……。とにかく、君はリャンが戻るまで、ここでリャンの代理を務めるのが大事。勉強も大事だけど、無理はしないようにね」


「ああ……」


「心配しなくても、中間試験はそこまで難しくないよ。先生の質問だけ聞き逃さないようにすればね」


「それが難しいんだろ!」


 耳が慣れていないおれにとって、語学の中間試験は恐怖でしかなかった。



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