第七話 夜会と戦慄の女侯爵(4)
庭は、まるで花の迷路だった。色とりどりの薔薇が咲き誇り、きつい香りにくらくらする。
「ややこしい道だね。三手に分かれよう」
ジルの提案にうなずき、おれは中央の緑の回廊を選んだ。ジルは右、アンは左だ。
しばらく歩いたところで、開けた場所に出る。そこの四阿のなかで、ひとりの女が座っていた。
どう見てもベルトランじゃないが、ベルトランの姿を見たかもしれない。おれは四阿に近づき、なかを覗き込む。
「悪いんだけど……」
声をかけると、女が顔をあげる。
緑のドレスに身を包んだ女は、誰かを思い起こさせる顔立ちをしていた。つり気味の目は猫みたいで、ハシバミ色。髪も薄茶色で、おれの知る誰かにそっくりな色だ。
「ベルトラン……?」
血縁であることはたしかだろう。女は美しかったが、若くはなかった。だとすると……
ぞくっと背筋に悪寒が走る。
――戦慄の女侯爵。
「クドリエ女侯爵……」
つぶやいて、おれは後ずさる。すると女は微笑み、立ち上がった。
「わらわの顔を見て逃げようとするとは、意外に意気地がないのう。リャンヌ・リーヴル」
「へ?」
どうして、おれの名前を知ってるんだろう。いや、知ってて当然か。クドリエ女侯爵はこの国一番の、情報通。それに、おれは女の格好をしている。リャンの顔を知っているなら、おれが姉のリャンヌだとわかって当然だ。
「お前に会えるとは、
「どうして、おれに」
「お前は、何に巻き込まれておる? わらわも調べておるが、なかなかつかめんでな」
リャンが何に巻き込まれてるか、ってことだよな? おれは関係ないんだし……。
「おれが知りてえよ。あんた、情報通だろ。むしろ、おれに情報くれよ」
「ふむ。依頼をするか。わらわは高いぞ」
すっ、と女侯爵は手を差し出す。もちろん、持ち合わせがあるわけもなく、おれは唇を噛んだ。
「金はない」
寮に帰れば金貨が置いてあるが、あれぐらいでこの女は動かないだろう。それに、あれはもしものとき用だ。大体、取りに戻るまで待ってくれるはずがない。
「金でなくても、よいぞ? たとえば情報とか」
「情報なんか、ねえよ」
なんとなく、おれはこの女を信じられなかった。依頼するとしても、こいつだけは嫌だ。
口元に浮かぶ、酷薄な笑みのせいだろうか。推測に過ぎないけれど、彼女は自分の指示でひとが死んでも何とも思わないのだろう。
薔薇の香りに紛れて、血のにおいがするような気がするのは――きっと気のせいなのだろうけど。
「ふん。まあいい」
女侯爵が座ったところで、おれは当初の目的を思い出した。
「ベルトランを知らないか?」
「ベルトラン? 先ほどここで話して、奥に行ったが……」
そこまで聞いたところで、おれは走りだした。この道で、合っているようだ。ジルとアンを呼び戻したいところだが、もし狙われているなら間に合わない可能性もある。
「おい、女侯爵! 息子が狙われてるかもしれねえんだぞ!」
怒鳴ると、彼女は眉をひそめてまた立ち上がっていた。さすがに、息子は気にかかるようだ。
おれはハイヒールを脱ぎ捨て、疾駆した。下は柔らかい草なので、ちょうどよかった。
庭園を抜けると、川のせせらぎが聞こえた。
そしてベルトランが、少し離れたところで川の近くに立っている。
おれが叫ぶ前に人影が近づき、ベルトランを突き飛ばした。当然、ベルトランは川に落ちる。
「畜生っ!」
おれは舌打ちして、川に飛びこんだ。ドレスだと泳ぎづらいこと、この上ない。苦労しながら、川底に沈んでいくベルトランをぼやけた視界で捕らえる。衝撃で意識を失ってしまったらしい。
おれはベルトランの体を抱きかかえて、水面に顔を出した。
「リャンヌ!」
ちょうど、ジルが走ってきたところだった。
「ジル! 手を貸せ!」
さすがに、ベルトランがいくら小柄でも――意識のない少年を抱えては上がれない。
「待って」
ジルはすかさず駆け寄り、まずおれからベルトランを受け取り、横たえる。次いで、おれの手も引いて、岸にあげてくれた。
「ベルトラン、平気か!?」
頬を叩いたところで、ベルトランは咳き込んで水を吐き出した。
ひとまずよかった、と安堵したところで気配を感じ、振り返るとクドリエ女侯爵が立っていた。
「息子は、無事か」
「ああ。でも、こうなったのはお前のせいだぞ」
「リャンヌ!」
「ジル、黙ってろ。――子供を道具みたいに、情報収集の駒にするなんてあんたは母親失格だ。ベルトランは無理してでも、セルン神学校に通い続けることを望んだ。それは、あんたから逃れるため。少しでも利用されるのを防ぐためだろ。こいつが狙われるのも、お前が危険な仕事をさせてるせいだぞ!」
おれが延々と怒鳴ると、女侯爵はばつが悪そうにそっぽを向いた。
「ジル様! リャン様のお姉様!」
と、ここでやっとアンが追いついた。
「ちょうどいい、アン。ベルトランを運んでやってくれ」
「はっ! ずぶ濡れですな」
「川に落とされたんだよ」
説明したところで、ベルトランの目が開いた。まずい。今のおれは、化粧が取れてるしカツラもどこかに行ってしまった。
「ジル、先に行こう!」
ベルトランは女侯爵とアンに任せるとして、おれたちは一足先に戻ることにした。
おれは例の部屋で、濡れたドレスを脱ぎ、元の服に着替えた。
「やべえ。こんな高そうなドレス、水浸しにしちまったぞ」
「男爵も怒らないよ。ベルトランを助けるためだったんだし。弁償なら、クドリエ女侯爵がするでしょ」
ジルは平然とした顔をしていた。
「それより、早く馬車に。セルン神学校に着くのは夜中だろうけど」
「おう! 急ごう!」
と言いながら、おれは廊下に出てきょろきょろした。
「どうかした?」
「いや……。リャンはもう、いないのかと」
「男爵に聞いてみようか」
おれたちが会場前に戻ると、もう貴族たちは出ていくところだった。
挨拶をしていたダルブル男爵に、ジルがすかさず近づく。
「男爵。今日は突然の訪問で、申し訳ありません。僕らはこれで、失礼します」
「ああ……。おや? そこの君はさっき、出ていったはずだろう?」
男爵に目を細めて確認され、おれは汗をだらだら流した。
「用があって、戻って来たようです」
ジルは顔色ひとつ変えず、嘘をついている。貴族ってすごい。
「彼と出ていったのは誰か、わかりますか?」
「うん? 学友だと言っていたよ。サウラという男だった。学生にしては、大人びていたが」
サウラ? 聞いたこともない名前だ。
「ま、まさか黒髪黒目で彫りの深い顔立ちだったか?」
おれの疑問に、男爵は首を傾げていた。
「そんな感じだったかな。一度挨拶しただけだから、よくわからないな」
なら……オイディプスかもしれない。
青ざめるおれをよそにジルは丁寧に礼を述べて、おれの手を引いた。
「ほら、行くよ」
「ああ……。ジル、サウラって何者だ?」
「わからない。僕も、聞いたことのない苗字だ。有名な貴族にはいない、学生にもいなかったと思う」
話しながら、城を出る。おれたちが乗ってきた馬車が、既に用意されていた。
「リャン様! お会いしたかったですわ!」
お嬢が、おれに抱きついてくる。拒む元気もなく、「はいはい」と生返事をしておく。
アン・ドゥ・トロワは、全員揃っているようだ。しかし、ベルトランがいない。
「ベルトランは?」
おれの質問には、お嬢が答えた。
「ベルトラン、川に落ちたんですってね? クドリエ女侯爵が、念のため一晩休ませてから学校に帰すと言っていましたわ」
「ははあ。なら、ベルトランはここに泊まるんだな」
一応、母親の情はあったらしい。少しホッとして、おれはお嬢を引き剥がし、馬車に乗り込んだ。
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