第二話 王女と護衛(4)

 ようやく休み時間になった。寝なかっただけ、おれは偉い。授業は、さっぱりわからなかった。

 しょうがねえよなあ。リャンは親父から勉強教えてもらってたけど、おれは「わからないから嫌だ」と言って逃げてたから。勉強するぐらいなら、牛の世話をしてた方がマシだった。

 そんなおれでも、文字だけは書けるようになれと半ば無理矢理文字の読み書きは教え込まれた。それすら無理だったら、もっと悲惨なことになっていただろう。

 農民の識字率は低いし、おれはこれでも学がある方……なのかもしれない。

 つらつら考えていると、ふと机に影が落ちた。

 見上げると、お嬢が立っていた。

 もしかして、さっきのことについて礼を述べよと――でも、言いに来たのだろうか。うん、ありえる。


「リャン様! 災難でしたわね!」


 しかし、お嬢は明るい笑顔を見せた。


「ど、どういうことだよ。お前、昨日と今日で態度が違いすぎるぞ。何か、悪いもんでも食べたのか? それか実は双子でもいるのか?」


 おれは思わず、のけぞってしまった。


「あら。どちらも、違いますわ。わたくし、昨日のあなたの厳しさと優しさに感激してしまったんですの」


「はあ?」


「そういうわけで……」


 お嬢はおれの右手を取り、にっこり微笑んだ。


「お慕いしておりますわ」


 青天の霹靂へきれきとは、正にこのことだった。




 お嬢は休み時間になる度に話しに来るし、昼休みはもちろん一緒に食堂へ行くと言い張った。

 食堂への道を歩いていると、いつの間にかあの護衛三人が一定の距離を取って追って来ていた。


「あれ? あいつら、普段どこにいるんだ?」


「授業のときは、廊下で立ってますわ」


「そ、そうか」


 罰みたいで、かわいそうだな。


 話している内に、食堂に着いた。

 昨夜と同じ要領で食事を受け取り、席を探していると「リャン!」と声が響いた。

 見れば、ジルが男子生徒と向き合って座っていた。

 ちょうど、おれとお嬢と……あの護衛三人は少し狭そうだが、座れないことはないだろう。


「よう、ジル」


「やあ。やっぱり、レイチェルと仲良くなれたんだね」


 ジルの隣に座ると、耳にこっそりささやかれた。


「仲良くなれた、どころじゃねえよ!」


「もしかして告白でもされた?」


「何でわかるんだ! お前は予言者か何かか?」


「違うけど、見ればわかったよ……」


 ジルは涼しい顔で、パンを千切っていた。

 正面の男子生徒の隣に護衛三人がせせこましく並んで座り、男子生徒はやや不満そうだった。

 お嬢は当然とばかりに、おれの隣に座る。


「そういや、お嬢。あの三人の名前は何だ?」


「アン・ドゥ・トロワですわ!」


 気になって尋ねると、とんでもない答えが返ってきた。

 1・2・3って……名前じゃなくて数字だろ。


「はー? なんで、そんな名前なんだ」


「名前というより、コードネームですわね。わたくしの母国では、ワン・ツー・スリーと呼びます」


 へえ……って納得してしまったが、もう少し凝ったコードネーム付けてやれよ。1・2・3って……。


「護衛なのに、何で制服着てるんだよ」


「それはもちろん、生徒に溶け込ませるためですわ」


「溶け込めてないだろ!」


 筋骨隆々のアン・ドゥ・トロワは、どう見ても十代に見えなかった。


「そ、そうなんですの?」


 お嬢は驚いたようだった。結構、天然なのかもしれない。


「レイチェル。リャンに告白したって本当?」


 ジルが、おれを挟んでお嬢に尋ねた。直球で聞くなよ。


「ええ。昨日あの後、顔がぽやーっとして熱かったんですの。恋に違いない! と思い、早速、告白したのです!」


 お嬢は頬を押さえて、恥ずかしがっていた。

 待て。それは単に、頬が腫れただけなのでは?


「それにリャン様みたいな殿方は初めてで、新鮮なのです!」


「……ありがとよ」


 そりゃあ、お嬢の周りは王侯貴族ばかりだったんだから、こんな粗野な男……じゃなかった女はいなかったろう。

 どうしよう、という意味をこめてジルの横顔を見たが、ジルは笑って肩をすくめるだけだった。




 一日の授業が終わり、部屋に戻ったおれはブーツを脱ぎ捨て、ベッドに寝転がった。

 やばい。何もわからなかった。

 いくらリャン代理といっても、まずい! 勉強サボるんじゃなかった! でも、まさかこんな展開になるとは思わないだろ! くわえて、お嬢! どうすればいいんだ! 女ってバレるかもしれない!

 苦悩のあまりベッドでじたばたしていると、扉が開く音がした。

 ジルが帰ってきたらしい。

 おれはベッドから飛び下り、カーテンを開け放った。


「おかえり」


「ただいま」


「ジル! どうすればいいんだ! 一日目にして、絶望だ!」


 叫ぶおれにジルは近づいて、首を傾げた。


「えーと、落ち着いて話して?」


 そう請われて、おれは今日のことを全て話した。お嬢のことはジルも知ってるけど、もう一度、懸念と共に話しておいた。


「んー、まず授業は仕方ない。セルン神学校は、大学を除いたらこの国最高の教育機関と言ったよね? それだけ、授業内容も難しい。基礎を学んでない君が付いていくのは、至難の業だろう。僕も勉強を教えてあげるから、長い目で見よう。……それでレイチェルだけど、別にそこまで気にしなくていい。心強い仲間ができたと思おう。むしろ、友達になっておきなよ」


「仲間?」


「そう。僕は学年が違うからね。ずっと庇ってあげられるわけじゃない。その点、レイチェルはクラスメイトなんだし」


「うーん、そういう考え方もアリか。でも、惚れられたら、女ってバレやすくなるんじゃね?」


「レイチェルは思い込みが激しいから、大丈夫だと思うな……。もしバレても、密告するような子じゃないよ。……おそらく」


 最後の付け足しが、怖いんだが。


「とにかく、心配せずに彼女の好意はいなしつつ、頑張って」


「お、おう」


 軽く励まされたが、とてつもなく難しそうだ。

 でもたしかに、くよくよしたって仕方ないか。

 親父の顔を思い浮かべて、拳を握った。

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