第4話 ガーディアン
辺りはもう小さな吹雪になっていた。僕はサドリと呼ばれた少女と千沙と呼ばれた眼鏡の小さな女の子に付いて、公園から一キロほど離れた商店街の中を歩いていた。千沙と呼ばれた女の子は僕の隣をちょこちょこ歩いている。いい加減この子の名前も確かめなければならないだろう。
「えと、千沙ちゃんでいいのかな」
彼女はぽっと頬を赤らめながら僕に向かって笑顔を見せた。
「はい。
悠理くん、何だか新鮮だ。そんな風に呼ばれるのは小学生の時以来かもしれない。
「うん、それでいいよ。……ねえ、君はサドリっていうの?」
僕は前の方を歩いていた銀髪の少女に向かって声を掛けた。
「そうだ」
「サドリさん?」
「さん付けされるような人生は歩んでいない。サドリでいい」
サドリはぶっきらぼうにそう言って前を歩き続ける。商店街の人はサドリをちらちら見ていた。なかには凝視する人すらいる。当然だろう。ただでさえ銀髪と紫の瞳は目立つ。加えて彼女は恐ろしく端正な顔立ちをしていた。明らかに只者ではない風貌だ。
しかし、一方でもう慣れっことばかりに彼女に一瞥もくれない人たちもいる。つまり、彼女の姿に慣れている人もいるらしい。僕は横にいる千沙ちゃんに訊いてみた。
「この辺りにはよく来るの?」
「そう、サドリの家がこっちにあるの」
「道覚えておけよ」
とサドリ。僕たちはそれから八百屋のある角を左に曲がり、さらにその先にある小さな路地を二三回曲がった。
曲がった先の路地に一人の男が立っていた。四十歳くらいだろうか、彫が深く瞳は
「こんにちは、イギリス魔術機関ガーディアン日本駐在員アラン・スミシーと申します。きっと、今のあなたにとっては初めましてなのでしょうね」
ほとんど訛りの無い流暢な日本語だった。コツ、とサドリはヒール付きのブーツで一歩前に出た。
「ガーディアンの人間が何の用だ……と聞く必要はあるまいな。こいつに用があるに決まっている。だが、通してもらおう。こちらは急いでいるんだ。結界を張っていないあたり、手荒なことをする気は無いのだろう?」
アラン・スミシーは穏やかにええ、と頷いた。
「サドリ、あなたと戦うのは手間ですし、何より私は十年前にその少年と会っているのですよ。きっとあれはあなたが持っているものの力なのでしょう。であれば、これからしばらくその少年があなたの保護下に入ることは確定しているんです。私、無駄なことをするのは嫌いで。今日はほんのご挨拶に上がったまで」
サドリは眉間に皺を寄せた。
「……問い質したいことはあるが、こちらも急ぐ身だ。挨拶とやらは済んだだろう。そこをどけ」
「はい、お暇いたしましょう」
その金髪碧眼の男は中折れ帽を取り慇懃に礼をすると、路地を僕たちに向かって歩き始めた。そして僕とのすれ違いざま、
「またお会いしましょうね」
と寒気のするような親しみのこもった声で囁き、角を曲がって行った。サドリはそれをずっと睨んでいて、アラン・スミシーの姿が見えなくなってから、白く息を吐きだした。
「嫌なやつが出てきたものだ。しかし、今は先を」
と言いかけて、サドリはいきなり咳込み始めた。かなり激しく咳をしている。尋常ではない様子だ。
「だ、大丈夫?」
僕は様子を見に彼女の横へ行ってハッとした。血を吐いている。雪の上に鮮血が零れていた。激しい咳は間もなく治まったが、サドリは肩で息をしている。まさか、今のやつに何かされたのだろうか。そんな風には見えなかったが。
「とにかく病院に」
そう言うと、千沙ちゃんが首を振った。
「違う。早く家に帰らないと」
「だけど」
家に帰ってどうにかなるものじゃないだろうと思ったところで、サドリが僕に手のひらを向けた。
「千沙の言うことが正しい。とっとと帰るぞ」
僕たちは再び歩き出した。僕はその間中これで本当に大丈夫なのだろうかと心配していた。
しばらく路地を進むと、いきなり辺りが静かになった。吹雪が止んだみたいだ。というよりも空はからりと晴れていて。今しも夜が明けたところという雰囲気だ。僕は思わず後ろを振り返った。来る途中のどこかで違う空間に入ったとしか思えない。横に立ち並ぶ建物もいつの間にか日本のものとは思えない石造りの家々になっていた。しかし、人の気配はない。道には緩やかな傾斜がかかっていて、目の前は坂道になっている。
「横の家や道に入ろうとするんじゃないぞ。その先は虚無だからな」
荒く息をしながらサドリは言う。
「これは一体」
「気に入って昔から借りている場所だ。私が名前を知って許可した者しかここに入ることはできない。私の家は突き当たり。ほら、もう見えただろう」
サドリの向こうには確かに道の突き当たりに、横に並ぶ他の家と変わらない石造りの平たい家があった。入口の部分には扉が無く、ただ赤い布がかけてある。
布を払いのけて家に入ると、いきなり大きなリビングがあって、木製のテーブルと三つの椅子が窓の近くに置かれていた。綺麗に片付いている澄んだ空気の部屋だ。リビングに入って左側には台所があるらしい。鍋とフライパンがちらりと見えた。右側にも何やら部屋があるらしいが、青い布が入口に掛けられていて中が見えない。壁は白く滑らかだが、所々に何か黒々とした印がつけてあった。
「サドリ、座って」
千沙ちゃんがテーブルの近くにある椅子を引いた。サドリは手のひらを振る。
「いや、もう大丈夫」
実際サドリの様子を見るともう息も落ち着いていた。あまりにも急に彼女の状態がよくなったので驚いてしまう。僕はふと壁につけてある印が青く光っているのに気が付いた。この家と彼女の身体に何か関係があるのだろうか。
彼女は口元についていた血を拭った。
「しかし、いずれにせよ、これから話をするには座らなければならないか。では、まあ座れ」
そう言って椅子の一つを指差した。促されるままテーブルに着く。椅子は三つだ。と、右の部屋でごとごとする音が聞こえて、千沙ちゃんがもう一つの椅子を持って来た。これで四つ。どうもこの家に来る人間は僕を除いて固定で三人いるらしい。サドリは壁に彼女の大きな上着を掛けた後、僕の向かいに座った。
「サドリ、お茶入れようか」
千沙ちゃんが何かわくわくした様子でサドリと台所を交互に見ていたが、
「お前じゃ背丈が足らんだろう。危ないからやめておきなさい」
と言われて、少ししょんぼりとしながらサドリの横に座った。サドリと千沙ちゃんは随分親しいようだ。もう知り合って長いのかもしれない。
サドリは自分で茶を出す気はさらさら無いらしい。彼女はそのまま椅子に落ち着いて頬杖をついた。銀の髪がざっと肩から流れ落ちた。
「今日の時点で、日本側だけでなく、イギリスのガーディアンまで絡んできたと……さすがに動きが早いな。だがともあれまずはお前の話を聞こうじゃないか。お前側から見て何があったのかそれを整理しよう。なるべく事の大本から事情を話せ」
彼女は紫の大きな瞳で僕を見つめた。有無を言わさない感じだ。僕は事情の説明を始めた。それは必然的に、父さんが死んでから、即ち彼女と初めて会ってからのことを大方喋るのと同じになった。何故なら、僕には父さんが死んでからの十年間に起きたこと全てがもはや信じられなくなっていたからだ。サドリは僕の話を別に驚くでもなく頬杖をついたまま静かに聞いていた。彼女は僕がすべて話し終えて初めて口を開いた。
「概ね分かった。何点か訊こう。母親がイギリスに行ったというのは確かか」
「そう言われてはいたけど……分からない」
「ふむ。どうも嫌なことになっている気しかしないが、今の段階で不用意なことを言うのはやめておこう。次、バイトとして清掃をしている筈だったが、実際のところは電極を取り付けられた自分の姿を見たと。で、その上で何をしていたんだ?」
僕は考え込んでしまう。何をしていたかというのは難しい。僕もあれが何なのかよく分からない。
「椅子に座らされていた。それでテレビで何かをずっと見せられていたと思う。人の顔がいくつも出てきた」
「中学時代はずっと遊んでいたということだが、その時も実はそういうことをしていたんじゃないのか?」
「よく分からない」
「部分的に思い出したということだな。きっかけは何だったんだ。これまでごく普通に伯父伯母の家で過ごしていたわけだろう。そこから逃げ出すほど違和感を感じたきっかけは何だったんだ」
きっかけ? 確かに言われてみれば何だったんだろう。
「何をしていた」
僕は思い出す。
「本を読んでいた。それで栞が入っていて」
「今持っているか」
僕は持っていたかばんを漁った。本は入っていた。逃げてくるときは無我夢中だったけれど、無意識のうちにかばんに放り込んでいたのだ。僕は本のページを開いて栞を取り出す。
「千沙」
とサドリが言うと、千沙ちゃんがじっとその栞を見た。
「消しちゃうやつ。でももう終わってるよ」
「そうか、安心した」
サドリはそう言うと、再び僕の顔を見た。
「私の中で話はつながった。しかし、お前に説明するのには時間がかかる。何故ならお前には基本的な知識が欠落しているようだからな。なに、これはお前のせいではない。お前はこの話では被害者なのだから。まず、最初にするべきことを言おう。家に連絡を入れろ」
「そんな」
サドリは僕の困惑を見透かす。
「別に連絡を入れたくらいでどうもなりはしない。心配なら伯母の方に連絡するのがベターだろう。伯父はほぼクロだからな。急にいなくなったことを詫びて、しばらく友達の家に泊まるとでも言うのだ。何の連絡も無しに行方不明になる方がかえって話が面倒になる」
僕はその場でスマホを使って伯母さんへのメッセージを書いた。文面をどうするか困ってしまうが悩んでいても仕方がない。半ばやっつけで送ると、すぐに返信が返って来た。少なくとも文面の上では心配しているらしい。何度かメッセージのやり取りをして一段落つけた。どう説明しようとも事前に何の説明もなく年末に友達の家へ泊まりに行くというのは不自然なのだが、これは仕方のないことだ。
「千沙、やはり何か飲むものが欲しい。コンロを使わないやつで、何かあるか」
「冷蔵庫に牛乳があるよ」
千沙ちゃんは三人分のコップと紙パック入りの牛乳をテーブルまで運んできた。
「ありがとう。千沙は適当に遊んでていいぞ。別にここからはお前にとって新しくもない話だ」
千沙ちゃんはふるふるとおかっぱ頭を振ると、椅子に座って自分のコップに牛乳を入れ始めた。物好きなやつめと呟くとサドリは頬杖をやめた。
「さて、何から説明しようか。話さねばならないことが多過ぎるのだ」
彼女は思案している。そして、こう言った。
「私は既に魔術師であることをお前に明かしたな。そして、それはお前もそうなのだ、悠理」
あまりにもあっさりとした言葉だった。
「お前は千年に一度の才能を持つ魔術師。今の状況は全てそれが原因となっている」
それから彼女の長い長い説明が始まった。
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