第2話 十年後の日常

『母さん久しぶり。元気にしてる? イギリスは寒いでしょ。風邪に気を付けてね。実はこっちもすごく寒いんだ。数十年に一度の大寒波だって。これから年末にかけてずっと雪みたいだ。高校は今日から年明けまで冬休みだけど外に出るのはダルそう。伯父さんの家でゆっくり本でも読むよ。本と言えば、最近父さんの蔵書を漁ってる。倉庫で段ボールにぎゅう詰めになっていたのをこの前開けたんだ。父さん怪奇小説が好きだったんだね。知ってた? 割と面白いよ。あと墓参りは済ませました。安心して。それじゃ』


 メールの送信を済ませると僕は布団から起き上がった。今日は冬休みの初日。朝起きて、父さんの墓参りをして帰ってきて、ご飯を食べて昼寝して、さっき起きて母さんにメールを送った。台所からのいい匂いが僕の部屋まで漂ってきている。僕は部屋の障子を開けてリビングに行った。和洋折衷型になっているこの家のリビングには大きな木のテーブルと椅子がある。リビングのすぐ横が台所だ。


「あら起きたの? 大分寝ていたんじゃない?」


 と伯母さんが煮物の火加減を見ながら僕に言う。伯母さんは今日も白髪交じりの髪を後ろの方で上品に結わえている。十年前、父さんが死んでから数か月しないうちに、母さんはイギリスに海外赴任することになった。僕もついて行くという手はあったのだけど、母さんは僕を伯父さんと伯母さんの家に預けて行くことを選んだ。だから僕はこの十年伯父さん達と一緒に暮らしている。この家は元々父さんと伯父さんのお父さん、つまり僕のおじいさんの家だ。父さんは大学を出るまでここで暮らしていたらしい。


 僕は台所に行くと、調理に使って流しに置いてある食器の類を洗い始めた。


「そうだね。墓掃除で疲れちゃったのかも」


 ああ、と伯母さん。


「そうよね。重造じゅうぞうさんがいる時に一緒に行けばよかったのに」

「いいよ。伯父さん忙しいじゃん」


 伯父さんは小さな建築会社の社長なのだ。いつも夜遅くに帰ってくる。そんな伯父さんを折角の休日に墓参りへ連れ出すのは気が引けた。それにここ数年墓参りには僕だけで行っている。もう一人で行くのにも慣れていた。


「さっき母さんにメールしたよ。墓参り報告」

「そう、あずささん、なんて?」

「まだ返信なんて来ないよ。結構時間がかかるんだ、母さんがメール返してくるの」

「忙しいのねえ」


 僕は皿と箸を棚から出して並べる。いつも夕飯は伯母さんと僕の二人で食べている。ご飯も炊けているらしい。もうよそってしまおう。


 母さんが実際忙しいのか、それとも別に僕とのメールをさして重要と思っていないのか僕には分からない。もう十年会っていないのだから。海外赴任と言ったってそんなことあるだろうか。一度も子供に会いに来ないだなんて。この家でずっと育てられてきた僕にとって父さんと母さんの存在は段々と希薄になってきている。寂しいけれど、二人とももう僕にはよく分からない人達なのだ。


「さあ食べましょう」


 テーブルの上には四五品の料理がきれいに並んでいた。毎日こんなに何種類も料理を作って伯母さんは本当にすごい。


「いただきます」


 僕はいつも伯母さんに一人で料理を作らせてしまって悪いなと思う。今日くらいは手伝おうと思っていたのに結局うっかり昼寝をしていた。


ゆうくん、今日はバイト無かったのね」

「そう。今日だけは休みを取らせてもらったんだ。明日からはまたあるよ」


 僕は高校に入ってからほぼ毎日のように放課後の時間アルバイトをしている。近くの研究所に行って清掃するのが仕事だ。伯父さんに紹介してもらったのだが、かなり割がいい。伯母さんは僕の返答を聞いて、箸を置いた。


「ねえ、悠くん、いつも言っていることだけれどね、バイトなんかしなくていいのよ。うちはそれなりに余裕があるし、遊ぶお金が欲しいなら少しくらいあげるから」

「違うよ、伯母さん。自分で稼いでいるって所が大事なんだよ」


 十年過ごして伯父さんと伯母さんにはほとんど我が子のように可愛がられている。けれども僕はやはり「預けられた子供」で、この家でただ食わせてもらっていることへの罪悪感に似たものが次第に積み重なるようになった。アルバイトをしたからといって、やっぱり食わせてもらっていることに変わりはないけれど、それでも自分で金を稼いでみたかった。


 伯母さんはため息をつく。


「昔悠くんが毎日お友達と遊んで遅くまで帰って来なかった時は心配していたけれど、今思えばそっちの方がましだったかも」

「ええ?」


 そういうものだろうか。バイトの方がしっかりしている気がするけれど。


「まあ、でもあんまり大雪だったら明日のバイトも休みになるかもね。すごいんでしょ、今回」

「そうねえ。まだ積もっていないみたいだけど」


 そう言って伯母さんは窓の外を見た。外はまだちらちらと小さな雪が降っているだけだった。


 夕飯を終えた後、僕は自分の部屋で父さんの蔵書の一冊を数時間読んでいた。泉鏡花の小説。結局何冊も読んでいて分かるのは、綺麗な女の人に付いて行ったら碌なことにならないということだ。


 短編を一つ読み終わって、僕は物思いにふけった。この家に来てから十年。自分たちの子供でもないのに、伯父さんと伯母さんにはよく育ててもらった。僕は六歳で父さんとも母さんとも別れてしまったけれども、それで自分が不幸だったとはあまり思わない。それぐらい二人にはよくしてもらっている。ただ。僕は本に目を落とす。父さんがどういう人だったのかは興味がある。


 そこで玄関のドアが開く音がした。伯父さんが帰ってきたのだ。僕が部屋の障子を開けると、丁度伯父さんがリビングに入ってくるところだった。伯父さんは貫禄のある身体をテーブルの椅子に落ち着かせて一息ついた。顔が赤くなっている。呑んできたらしい。


「おかえりなさい。もう食べてきたの? 晩ごはん残してあるよ」


 伯父さんはくりっとした目で僕を見た。この恰幅のいい社長さんは憎めない顔をしている。


「悠、まだ寝てなかったのか。呑んでは来たが、そんなに食べなかった。晩飯は食べるよ」

「オーケー」


 僕は二皿分くらいの料理をレンジでチンして、味噌汁を温めながら、ご飯を伯父さん専用の茶碗に盛った。伯父さんはその様子を眺めながら感慨深げにため息をつく。


「悠は大きくなったなあ」


 僕は思わず笑ってしまう。


「何言ってるの。当たり前じゃん」

「当たり前か。それはそうかもしれんが」


 伯父さんは右手の手のひらを下にして床の近くまで下げた。それはあまりに伯父さんの十八番の仕草なので僕は次に何を言われるか予想がついてしまう。


「「うちに来た時はこんなに小さかった」」


 僕が伯父さんの言葉にかぶせてそのセリフを言うと、伯父さんは参ったというように軽く額を叩いた。僕は伯父さんの前に温めた料理を並べた。そのままご飯を食べる伯父さんを放っておいて部屋に引っ込むのも何なので、伯父さんの向かいに座って本を読むことにした。


「何を読んでる」

「泉鏡花。父さん怪奇小説が好きだったの?」

「さあ、知らない。俺と周造しゅうぞうは昔から気が合わなかった。飯は一緒に食べるから何が好きか知っているが、他に普段何が好きだったかなんて、あいつがここに住んでいた時から知らなかった」

「え、そうなの?」


 意外だった。伯父さんと父さんの気が合わなかったなんて初めて知った。僕を育ててくれたくらいだから、仲は良かったんだと思っていた。


「喧嘩した?」

「いや、しかしそりが合わなかった」

「じゃあ、伯父さん、なんで父さんの子供なんか預かろうと思ったの。母さんに頼まれたから?」

「それは……お前事情があるんだよ。大人の事情が」

「何さ、一体」

「しかし、お前は本当にいい子だ。俺たちはお前を育てることができて幸せだと思っている」


 何だ? 全然答になっていない。ますます僕はその事情とやらが気になった。


「悠、お前にはすまないと思っている」

「またそんなことを言う。なんで僕にすまないのさ」

「…………」


 伯父さんは酔っぱらっている時、僕と二人きりだと唐突に「すまない」と言うことがある。僕には何のことだかさっぱり分からない。そしてそう言う癖に、すまない理由を答えたことはなかった。


「伯父さん、ご飯食べたらもう寝な、ね。酔ってるんだよ。お風呂は朝入ればいいんだから」

「うん……」


 その後夕食を食べ終わった伯父さんからスーツを引き剥がして寝室に放り込んで、僕はやっと自分の部屋で一息ついた。酔っている人間の相手は大変だ。僕は本に指を挟んだまま布団に寝転がる。伯父さんがすまないすまないと言うのはもう何度もあったことだし、理由を聞くのもほとんど諦めたけれど、なんで僕を引き取ったのかについては今度伯父さんが素面しらふの時にちゃんと聞いてみようと思った。もう十年経つのだし、いい頃合いだろう。それから、ぼんやりと明日のバイト面倒くさいなとも思った。自分で選んでいることではあるけれど。


 読書灯を照らしていると、窓側の障子に雪の影がちらちら映った。拡大されて見えるせいもあるけれど、もう随分雪の粒が大きくなってきたらしい。明日の朝には積もっているだろう。時計を見ると十二時を回っていた。


 ごろりと俯せになって本のページをたぐる。そろそろこの短編も読み終わるから、読んでから寝ようとそう思ったところで、指に何か固いものが触れた。ぱらぱらとページを開いて見ると後の方に栞が入っていた。紫色の紙と白い押し花がラミネートしてある。僕はそれを手に取ってよく見ようとして、その瞬間バチッと強い静電気が起こったような音と共に手を弾かれた。


「痛っ」


 プラスチックからなんで静電気? 僕が怖々もう一度栞に触れてみると今度は何ともなかった。一体何だったんだろうか。


 そこでふっとあまりにも唐突にいくつかの疑問が湧いてきた。


 母さんはなんであんなに急にイギリスに行ったんだろう。小さかったからいまひとつよく分からないけれど、母さんは海外に赴任するような会社に勤めていただろうか。それに子供に一度も会いに来ないのはやはりいくら何でも不自然すぎるだろう。


 なんで僕は伯父さんと伯母さんに預けられたんだろう。父さんが死ぬまで、伯父さんたちとはほとんど会ったことがなかった。僕が知らなかっただけというのもおかしい。父さんと伯父さんはそこまで仲が良くなかったって、伯父さんは言ったじゃないか。母さんはなんで子供を父方に預けるんだ。普通預けるなら自分がよく知っている母方に預けないか。


 それにバイト? なんで? いやバイトをするのはよしとしても、なんでそんなに毎日放課後の時間をバイトに充てるんだ。他にやることがあるだろう。僕は高校に入ってからというもの、学校が終わってから友達と遊んだ記憶も、趣味に時間を割いた記憶もほとんど無い。どうしてそんなことになっている。僕は毎日バイトをしたいだなんて


 清掃バイト? 嘘だ。そんなことしていない。だって今思い出した。あれは、ふとした時窓ガラスや暗くなった液晶画面に映るのは。


 電極らしきものを取り付けられた自分の姿。


 僕はなぜそれを忘れて、研究所の掃除をしているだなんて思い込んでいたんだろう。


 この状況は何だ。


 僕はなんで今こういうことになっている?


 僕は左手で口を覆った。手が小刻みに震えている。頭が痛い。


 僕は財布やスマホ、そして自分の周りにあったいくつかの荷物だけを持って、静かに伯父と伯母の家から飛び出した。

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