第六章:炎に目覚めし幼き角 ~魔王アカリ~
地を焦がし、空を裂くような咆哮が森に轟いた。
獣の鳴き声ではない。だが、間違いなく“命を持つ何か”の叫びだった。
「……こいつ、今までのとは格が違う……!」
私は太い幹の陰に身を潜め、目前の異形を睨んだ。
全身を岩で覆ったかのような魔獣。四足歩行で、口からは紫の毒煙を吐き出している。目は赤く、明らかに知性を持ってこちらを見据えていた。
けれど、私はもう怖くなかった。
右手に力を込める。地面に亀裂が走り、空気が震える。
数ヶ月前なら絶対に倒せなかった。けれど、今なら——
「……燃えろ」
空気が火を孕み、爆ぜる。
爆風と共に、獣の顔面に直撃する魔炎。咆哮と共にのたうち回る魔獣。その隙を逃さず、私は背後に跳び、第二撃を叩き込んだ。
水。氷。風。火。闇。そして、光。
この世界に転生してから、私は己の中にすべての属性があることを知った。
ただし、どれも未熟で不安定。最初は指先に火を灯すのすら命懸けだった。
だが、力を振るうたびに少しずつ制御できるようになってきた。
それはまるで、“魔法そのものが私に応える”かのようだった。
獣の咽喉を凍結させ、脚を切断し、胸を焼き貫く。
ドン、と鈍い音を立てて、それは崩れ落ちた。
——勝った。
息をつきながら、私は自分の手を見つめた。爪の形は丸みを帯び、鱗も目立たなくなっている。何よりも、鏡のような水面に映った自分の姿が——
「……人間……?」
小さな子どもの姿だった。見た目の年齢は、七歳くらいだろうか。
皮膜だった翼は小さく収まり、肌は灰色がかった薄紫に。目は紅のままだが、輪郭は明らかに「ヒト」のそれに近づいていた。
変化の兆しは、数日前から始まっていた。
魔力の流れが滑らかになり、言葉が増え、感情を言葉にできるようになった。
そして、他の魔族からの視線も微妙に変わってきた。
「おい……そこのガキ、てめぇ、またあの上級魔獣を一人で狩ったのか?」
集落の長屋で、痩せた魔族が目を見開いていた。
「うん。倒さなきゃ食料ないから」
「…………」
言葉を失ったような顔。だが、これで三度目だった。
もう“無能”や“虫”と罵る者は、ほとんどいない。
魔族の社会は単純だ。強さこそが全て。
生まれがどうであれ、力を持つ者は敬意を払われる。
今では、私が歩けば道が空く。
無視されていた存在が、今や“名”を呼ばれるようになった。
「……アカリ様、次の狩り場はどうなさいますか」
(様? ……ふふ)
笑いがこみ上げた。
私が望んだのは称賛ではない。ただ、存在を認められること。
ようやく、ようやくその第一歩に立てた気がした。
その夜、私は集落の外れで星を眺めていた。
子どものような小さな手に、確かに宿る魔力の光。
「まだ……足りない。全然、届かない……」
そのとき、上空から重々しい風音が降ってきた。
頭上に浮かんだのは、黒き翼と白い双眸を持つ魔族。
圧倒的な魔力。空気すら震え、私の背筋が凍りつく。
「……なんだ、お前」
言葉は粗野だが、体から放たれる気配は尋常ではなかった。
私は立ち上がり、無意識に構える。
「殺すつもりなら、やってみればいい」
相手は少しだけ目を見開き、それから笑った。
「……良い目だ。気に入った。名前は?」
「アカリ」
「ふん、八柱の一角、〈黒の牙〉のゼルだ。名を覚えておけ、小娘」
「……はちばしら?」
その名を、私はこのとき初めて耳にした。
魔族の頂点に立つとされる、“八柱(やちはし)”。
種族も姿も異なる八体の魔族であり、その力は一国を滅ぼすと言われる。
中には天空に住む龍の王や、不死なる氷の女王、幻影の森に棲む道化王などもいるという。
ゼルもその一柱。
「お前には興味がある。人の形を持ち、全属性を使いこなす……“可能性の魔族”か」
「……可能性?」
「お前が本当に“魔王”の器かは知らん。だが、見せてもらおうか。どこまで昇る気か」
そう言い残し、ゼルは空へと消えていった。
風が止んだあと、私は一人、夜空を見上げた。
(魔王……)
今の私では、まだ到底届かない。
けれど、目指すべき頂があると知っただけでも、世界は違って見えた。
それから私は、さらに戦い続けた。
より強き魔獣を求め、地の果てまで足を運んだ。
言葉を話す知的魔族との戦闘では、読み合いと思考を学んだ。
毒、幻術、精神攻撃……多種多様な“死”の手から、自らを守り、適応した。
やがて、私の体は一回り成長し、身長も伸び、髪も伸びた。
姿はより人に近く、魔力の制御も洗練されてきた。
——だが、“魔王”と名乗るにはまだ遠い。
八柱と渡り合えるほどの力も、軍を率いる器もない。
だからこそ、私は誓う。
「必ず、たどり着いてみせる」
この名を、アカリという名を、ただの“転生者”としてではなく、
世界を統べる者の名として。
そのとき——
彼が、私の前に立ち塞がるのなら。
私は、笑って言おう。
「久しぶり、ユウト。やっと“魔王”になれたよ」
その日のために。私は、進む。
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