あいつら付き合ってないけど結婚してるらしい

相生蒼尉

第1話 ナンパなんて!? なんでこんな地味でオタクでメガネなわたしに!?



 綾羅木澄子(あやらぎ・すみこ)はいつものライトレールの駅へと急いでいた。

 放課後の騒がしさがあふれる表通りをさけて、駅までの近道になってる抜け道へと澄子は足を踏み入れる。


(今なら! こっちの抜け道からだと一本早いライトレールにたぶん間に合う! というか、絶対に間に合わせたい……。)


 急いでいるのは女子寮での食事を早めに食べてゲームをしたいからという……花も恥じらう女子高生としてはなかなかオタクな理由だった。


 澄子はどちらかというと圧倒的に地味子タイプなのである。

 しかもラノベやゲームが好きでだいたい金欠というオマケつき。


 友達はゼロではないけれど誰かとずっと一緒にたむろするようなことはなく、ややドライな関係ですごす。

 むしろ一人でいる時間の方が多い……という、8割ぼっちな感じくらい。


 何より、澄子は今やっているゲームにどっぷりとハマっていた。

 そう。ハマりすぎていた。


 ちゃんと理由はある。


 澄子は今、奇跡的な抽選倍率をくぐり抜けて開発中のゲームの第1期テスターに選ばれていたのだ。


(誰よりも早くゲームを楽しめる上に……発売半年前なのに予約だけで抽選倍率が軽く10倍を超えそうだといわれてる、テンカトルドーの『スリッピ』がすでに手元にあるんだから! そんなの楽しむしかないでしょう!)


 寮に帰ってゲームをするんだと意気込み、セーラー服のスカートを大きくゆらして歩く澄子。


 脳内の90%以上がゲームという文字で埋め尽くされていた澄子は、周囲の確認ができていなかった。実際、油断していたのだろう。


 いつもとはちがう道を選んだことも失敗だったのかもしれない。


「おっ、なかなかいいじゃん」

「は? 地味じゃね?」

「あのくらい地味な子がいいんだろ。いろいろ、慣れてねーんだから」

「そーゆーもんか?」

「これから自分好みに育てるんだっつーの。あっちの方も、な?」

「いや……見た感じぺったんだぞ?」

「それはそれで……今後の楽しみってもんだろ?」


 澄子が男たちの声に視線を少し上げた瞬間には、すでに進行方向をふさがれていた。


「なあなあ、もう放課後だろ? 今から一緒に遊ぼうぜ」


 不意にかけられた声に、澄子は緊張した。

 ナンパだ。それも澄子にとっては人生はじめてのナンパである。別にそれが嬉しいという思いは澄子にはなかったけれど。


 声の主は、派手なシャツを着た見知らぬ男たちだった。それも二人組だ。

 一瞬で警戒心が澄子の全身を駆けめぐる。


 うつむき加減に無視を決め込む澄子だけれど、男たちはにやにやといやらしい笑いを浮かべて澄子の前をふさいだままである。


「一人で寂しそうにしてるじゃん? オレたちと遊ほうぜ?」

「そうそう、もっと楽しいこと、いろいろ教えてやるからさ? へへっ……」


(大学生っぽい……しまった。いつもの道じゃないから油断してた。こんなところでナンパされてる場合じゃないのに……。わたしなんて地味でオタクでメガネでとどめに貧乳なのに! そんなわたしをナンパするなんてきっとモテない人たちに決まってる……。)


 心の中で悪態をついてみるけれど、それを口にする強さは澄子にはなかった。


 男たちの生ぬるい笑い声が澄子には気持ち悪かった。

 澄子の心臓がドクドクと音を立て、手のひらには嫌な汗がにじんでくる。


 逃げ出したいのに……足がすくんで動かないし、動けない。


「ほらほら、うつむいてないで顔見せろよ?」

「声も聞いときてーな」


(……怖い。でも、逃げないと……。だけど逃げてもきっと、追いつかれちゃう……こんな時、わたしが本物のコーナーだったら……。)


 澄子は今楽しんでるゲームで自分が使っているアバターを思い浮かべた。あのステータスなら絶対に逃げ切れるはずだ。それどころか、逆襲して倒せるだろう。


 でも、現実の澄子の体は動かない。


 男たちがそんな澄子へ手を伸ばしてくる。


(嫌っ……。)


 その瞬間だった。


「すみません、この子、ボクの妹なんですけど……」


 澄子の背後から、はっきりとしながらも少しぶっきらぼうな声が聞こえた。


 澄子はひとりっ子なので兄などいない。そして、澄子の両親のどちらかが浮気をしていたとも思えない。

 つまり、聞こえてきた妹だという言葉はどう考えても嘘だ。


 澄子と男たちが振り返ると、そこに立っていたのは澄子と同じ中高一貫校の高等部の制服を着た男子生徒だった。


 真っ直ぐな黒髪が目元を少し隠している、どちらかといえば陰キャっぽいタイプの男の子。

 背はかなり高いけれど、ひょろりとしていて……澄子が受けた印象ではケンカが強そうには見えなかった。


(た、助けてくれるのは嬉しいけど……そんなに強そうじゃない……。)


 助けにきてくれた相手に対してやや失礼な考えを澄子は抱いてしまった。

 恐怖で気が動転していたのかもしれない。


 澄子は知ってる人かどうか思い出そうとしてみたけれど、少し戸惑ったような表情を浮かべた彼には見覚えがなかった。

 つまり、まったくの他人に対する善意での助けという可能性が高い。


 よく見ると、彼の左手首にある少し大きめのデバイスウォッチが点滅していた。

 彼は澄子たちの方へと近づいてくる間に、デバイスウォッチの操作を済ませていたようだ。


 ナンパ男たちは彼の登場に眉をひそめる。


「なんだよ、お前。関係ねーだろ」

「妹だって? ふざけんなよ? 全然似てねーだろーが」


 それはそうだろう。似ているはずがない。

 澄子は彼の妹ではないし、彼は澄子の兄ではないのだ。

 むしろ似ていたらいろいろと怖い想像をしてしまいそうである。澄子は家庭崩壊など望んでいない。


 そんな男たちの言葉にも彼は怯むことなく、澄子と男たちの間に立った。澄子を自分の後ろに隠すようにしてくれたようだ。

 そして、小さな声でデバイスウォッチに向けて何かをささやいた。


「……本当に妹なんですよね。連絡がつかなくて心配してたんでよかったです。どうもご迷惑をおかけしました。あなたたちは……そろそろどこかに行った方がいいと思いますよ? ほら?」


 彼はそう言い終えると、デバイスウォッチを男たちの方へと見せびらかすように向けた。


『こちらは警察です。位置情報は把握しました。具体的な状況を教えてください』


 デバイスウォッチから聞こえてきた男性の声ははっきりと警察を名乗った。

 さっきのささやきはスピーカー音量の操作だったのだろう。デバイスウォッチは音声操作が可能なのだ。


 男たちはその声を聞いたとたん、ギクリとしたように動きを止めた。

 そして互いに顔を見合わせ、眉をひそめている。


「ちっ、うっせーな」

「なんだよ、つまんねーな」


 かなりまずい状況になったと気づいたのだろう。すでに警察への通話がつながっているのだ。

 男たちは舌打ちをして、あわててその場を去っていった。


 ナンパ男たちが完全に視界から消えるまで、澄子は彼の背中に隠れたまま息をひそめていた。


 男たちがいなくなると、彼がデバイスウォッチを口に近づけた。


「どうやらあきらめたようです。ありがとうございました」

『一応、周辺の監視カメラから画像を保存はしておきますが、実際の被害はなかったようですから逮捕などはできないでしょう。これからもどうか気をつけてください』

「はい、助かりました。失礼します」


 警察との通話を終えた彼は澄子の方を見た。


 そこで澄子はようやく深く息を吐いた。ずっと緊張していたのだ。

 力が抜けてしまった澄子は、危険は去ったというのにそこから動けなくなっていた。


「もう大丈夫だと思うけど……」


 彼がそう声をかけてくるけど、澄子はまだ少し震えていた。

 安心したこともあって、目には少し涙も浮かんでいる。


 澄子の震えに気づいたのか彼は、困ったような顔をしながらも何も言わずに澄子のセーラー服の袖をそっと引いて人の多い大通りへと連れて行った。


「……ここなら、たくさん人もいるから」


 彼は短い言葉でそう告げると、澄子の袖からそっと手を離した。


 袖のあたりからのぬくもりが消えたことで澄子が顔を上げると、彼はもうすでに歩き始めていた。

 そっちは澄子とは別のライトレールの路線の駅がある方向だった。


「あ、ありがとう……」


 澄子は感謝の言葉を伝えようとしたけれど、その声は小さくて彼に聞こえたかどうかはわからなかった。

 彼はそのまま振り返ることなく、足早に去っていった。まるで、最初からそこにいなかったかのように。


 あっという間の出来事に、澄子は呆然と立ち尽くした。


 彼の背中は、あっという間に人混みに紛れて見えなくなった。


 名前も知らない、彼。


 澄子と同じ高校生だということは制服でわかる。

 このあたりにはひとつだけの中高一貫校しかないし、その学校では中等部の1~3年と高等部の4~6年で制服がちがうのだ。


 でも、どこのクラスなのかも、学年も知らない。ただ、彼が澄子をナンパから助けてくれたという事実だけがそこにあった。


 澄子は頭の中のほとんどを占めていたゲームのことを一瞬だけ忘れてしまうくらい、あたたかい気持ちになっていた。


 それは彼の中にある正義や勇気を分けてもらったかのようなあたたかさだった。


「……あっ!? ライトレール!? 早く帰らないと……」


 しかし、そのあたたかさはまだ澄子にとってはゲームの方が優先されてしまう程度のものだった。





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