第19話

 エミリアが攫われた。

 反省と後悔は無限に湧いてくるが、それにかまけている時間もない。アデルはすぐさま大通りに戻る。火事の現場に向かっていた衛兵は戻ってきていた。

「エミリア様が攫われた! ベルセール領の方向だ! 教会と治療院が糸を引いている可能性が高い。お前は治療院に行き、捜査の責任者をベルセール方面の門へ呼び出せ。現時点での捜査の結果を知りたい。応援も呼べ。私は馬を用意する」

「はっ!」

 返事をし、衛兵は治療院の方へ走り出す。

 アデルも、衛兵の訓練所の厩舎へ向かっていった。


「ヴォルタンの調子はどうだ!?」

 その気迫に気圧されながら厩舎係が答える。

「絶好調です! ど、どうかなさいましたか?」

「緊急事態だ。エミリア様が攫われた。『翔駆の蹄帯』はあるか?」

「申し訳ありません。去年、エティエンヌ様の救助任務で破損し、まだ補充されておりません……」

 アデルは苦い顔をした。

 エティエンヌ・マリオンーー領主ロベールの親族で、数ヶ月前、レオナールの見舞いのために訪れようとしていた折、道中で大きな怪我を負ってしまった。その命を救う際に『翔駆の蹄帯しょうくのていたい』、馬を一時的に速く走らせる魔道具が使われた。

「仕方ない。ヴォルタンの足を信じよう」

 馬を駆り、ベルセール方面の門へと向かう。

 門では文官と衛兵が待機していた。

「リシャールは捕まったか?」

 アデルは端的に問う。

「いいえ。不在でした。モンターニュ司教と共にベルセール領へ向かったとのことです。名目は、患者の治療のためということでしたが…」

 文官が答える。

「やはり教会も噛んでいるか。他に何か重要な情報は?」

「ひとつ。モンターニュ司教の補佐官が、ベルセールとの関所に『神鉄の刻環』を手配する手紙を出したと白状しました」

 アデルの顔色が変わる。

 『神鉄の刻環』。それは特殊な祝福を与えられた魔道具の鎖。一度つけられれば、高位の聖職者が作った正規の解除符以外では、いかなる魔法も物理的手段も通じず、外すことは絶対にできない。過去に様々な特異魔法や魔道具も試されたが、一度として破られた記録は存在しない。『神鉄の刻環』をつけられた瞬間、その者は教会公認の『神の奴隷』となる。

 しかも、ベルセール領は教会の影響が極めて強く、もはや手出しできない状態となる。

「クソッ…! 私は先に行く! 他の者もすぐに追って来い!」

 アデルはヴォルタンの腹を蹴る。

『神鉄の刻環』を使われる前に、追いつかなくてはならない!



 一方。

 街道沿いに佇む一台の馬車。その内部には、重苦しい沈黙が流れていた。

 馬車の座席にはリシャールとモンターニュ。

 そして座席の影、暗がりの隅に小さく身を潜めるようにヴィンセントがいた。彼は既にこの作戦を知っており、街でエミリアが攫われるより前から馬車に潜り込んでいたのだ。

 今、馬車がいるのは隣領、ベルセール領との国境にほど近い場所。ヴィンセントは街を出た時点から、街道沿いに憑依したネズミたちを点々と配置していた。

「大丈夫でしょうか……?」

 リシャールがそわそわした落ち着かない様子で呟く。

「失敗したら我々だけで向かえば良いです。エミリアは惜しいですが仕方がありません。別の機会を伺うだけです」

 モンターニュ司教は冷静に返した。

「そうですよね……」

 リシャールは頷きながらも、やはり不安の色を隠しきれてない。


(いつもの高慢さはどこへやら。そんな弱気になって、実に小物に見えるぞ。心配しなくても、人攫いさんは順調に来ているよ)


 ヴィンセントは、街道のネズミを通じて、エミリアを連れて馬で向かってくる男の姿を確認していた。

 蹄の音が馬車に近づき、馬に乗った男が現れた。その前方には、布袋を被せられ、身体を縛られたエミリアが座らされていた。

「ほら! 連れてきたぞ!」

「来た! よくやった! 早くよこせ!」

 リシャールが歓喜の声をあげ、モンターニュも満足げに頷く。

 エミリアが馬車の中に運び込まれる。

 リシャールはジャラァと金属音がする袋を男に投げ渡し、受け取った男は街道から逸れて走り去って行く。

「行け! 早くだせ! 『疾風の車輪環しっぷうのしゃりんかん』を使え!」

「は、はい!」

 御者が馬を走らせる。車輪が青白く発行し、馬車は一気に加速する。まるで早馬のような速度だった。

(速っ! なんか車輪光ってるし、これが魔道具か? 初めてみたぞ)

 魔道具は貴重品だ。ヴィンセントとは今まで縁が全くなかったものだ。

 馬車の内部では作戦の成功にリシャールが高揚し、モンターニュも興奮を隠しきれなていないようだ。

 対して、エミリアは袋を被せられたまま、袋ごと身体をきつく縛られていた。布袋の中からは、かすかな嗚咽が漏れている。

(いや…、しかし、これは…、なんか申し訳ない気持ちになってきたね……)

 ヴィンセントはエミリアの困った顔を見るのは好きだったが、これはただ可哀想なだけだった。ヴィンセントはそっと彼女の手の中に自分の小さな身体を滑り込ませる。

 エミリアは驚いたようにビクッと震える。だが、手の中をネズミを撫でるうちに、やがてその震えがほんの少しだけ和らいでいった。

(流石に同じネズミだとは思ってないだろうけど、ちょっとは落ち着いたかな?)

「助けて…助けて……」

 リシャールたちには聞こえない程の小さな声でつぶやくエミリアが、手の中のネズミをぎゅっと握りしめた。

(ちゃんと助けるから…、助けるから……! それ以上絞められると中身が出ちゃうヨォ……!)



 一方で街道を監視しながらヴィンセントは考えていた。

(さて、と。どこで助けようか悩んでいたけど、思ったより馬車が速いな)

 ヴィンセントは馬車を無理に止める方法も検討していたが、なかなかに速い。この速度を止めると、エミリアに怪我をさせる可能性もある。治せばいいけれど、気が進まない。

(まぁ、どうせ関所で止まるし。そこまで行ってからでいいか。エミリアもちょっと落ち着いたっぽいし)

 だが、それよりも。

(アデルさん……、顔が怖すぎませんか?)

 街を出たアデルは、険しい形相で馬を駆っていた。その迫力に街道沿いで見ていたヴィンセントも逃げ出したくなるほどだ。

 それにエミリアが乗っている馬車よりもさらに速い。誘拐犯の男はエミリアを載せていたので、そこまで速度が出ていなかったようで、距離を縮められている。ここから更に近づけるとなれば、馬車が関所に到着するのと同じぐらいに着くかもしれない。

 そうしたら、自分の出番はないかもなぁ、とヴィンセントはぼんやり考えた。

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