第10話:金獅子商会

お父さんの前には、あっという間に人だかりができていた。

王都の朝の光を浴びながら、ざわざわと市場の熱気が広がっていく。


「おぉ、アスタじゃねぇか! また来てくれたのか、お前んとこの果物は甘くて評判だぞ。うちのかみさんも好きでな!」


お父さんが豪快に笑いながら、木箱からリンゴを差し出す。


「ほら、今日は朝摘みだ。皮の艶も違うぜ」

「おぉ、ほんとだ。ほらよ、いつもの倍買っとくわ!」


次々と人が集まってくる。

旅人、兵士、貴婦人、近所の子ども──みんなお父さんの店を覗いていく。


「おぉ、アスタじゃないか。最近忙しくて買いに行けなかったが、これからはどんどん買うぞ」

「おう、頼むぜ。家計が火の車でな!」

「アッハッハ、おっかない奥さん持ってんな!」


そう言って、私はお父さんの横で果物を売り続けた。

通りすがる人が次々と立ち止まり、「おっ、このリンゴ甘いな」「この娘かわいいな〜」なんて声をかけてくれる。

お父さんの店は賑わっていた。次々と果物が売れて、籠の中がどんどん軽くなっていく。


――けど。


これだけ売れてるのに、どうして家計が苦しいんだろう?

お父さんは人気のない商人じゃない。

むしろ、みんなから「アスタの果物は信用できる」って言われてるのに。


(なんでだろ……こんなに売れてるのに)


私はリンゴを包みながら首をかしげた。

そして、ハッとひらめく。


「あっ、そうだ!!」


「ん、どうしたルチア?」


「ね、ね、ね! お父さん!! お金の料金あげれば?!」


「……は?」


「だって、どれも安すぎるんだもん! こんなに売れてるのにお金が足りないのって、そういうことでしょ?!」


胸を張って言う私に、お父さんは苦笑して頭をかいた。


「おぉ、そりゃ名案だ……って言いたいけどなぁ、ルチア」


と、彼は少し遠くの市場を見た。

人の声、果物を叩く音、値切る客の声――それらを聞きながら、低く続ける。


あっ、アスタおじいちゃん!!」


元気な声が響いて、私はぱっと顔を上げた。

私と同じくらいの年の男の子が駆けてきた。髪はくしゃっとしてて、手には小さな木のカゴを持っている。


「おぉ、リオか! 今日も元気だな」

お父さんが笑いながら言うと、リオと呼ばれた少年は少し照れたように頷いた。


「うん! これ、ちょうだい! お母さんにあげるんだ!」

そう言って、リオはリンゴを指差した。


「おぉ、偉いなぁ。母ちゃん想いだ」

お父さんは優しく笑って、リンゴを二つ手に取る。


「よし、じゃあ……これはおまけしてあげる。内緒だからな」

お父さんがウインクすると、リオはぱっと顔を輝かせた。


「ほんと!? ありがとう、アスタおじいちゃん!!」

「おじいちゃんじゃねぇ! まだ三十代だわ!」


そのやり取りに私は吹き出してしまった。

お父さんもリオも楽しそうで、まるで家族みたい。


(お父さん、ほんとみんなに優しいなぁ……)


そんな風に見てると、お父さんがふっと私の方を見て笑った。


「こんな風に、子どもも買いに来るんだ」

お父さんはリオが去っていく背中を目で追いながら、ゆっくりと呟いた。

風に混じって果物の甘い香りが流れる。お父さんの横顔は、どこか優しくも少し寂しそうだった。


「誰でも買えるように、俺はそうしたい。だから安くていいんだよ」


「……誰でも、買えるように?」


「そうだ。王都でも村でも、貧しい家の子は腹いっぱい食えない。果物は嗜みって言われるが、本当はみんなが笑って食えるもんであるべきだ」


お父さんはリンゴを一つ手に取って、指先で軽く磨いた。

陽の光を受けて赤い実がきらっと光る。


「俺はな、金持ちの口を満たすより、子どもの腹を満たしたいんだ。

 それで笑って“おいしい”って言ってくれたら……それだけで十分だよ」


そう言って笑うお父さんの顔を見て、胸の奥が少し熱くなった。


(お父さん、かっこいいな……)


たしかに、それじゃあ家計は苦しいのかもしれない。 けど、こんな優しい想いが詰まった果物なら、きっとどんな高価な宝石より価値がある。


「おぉ、おぉ、これはこれは、実に見目麗しく、香り高き果実。そして……なんとまぁ、気品あふるる姫君までお揃いとは。まるで市場が天上にでも移されたようですなぁ。」


 軽やかで芝居がかった声が響いた。

 振り向くと、日差しを反射する金髪が眩しい男が立っていた。金糸のような髪を後ろで束ね、白い襟のついた上着を着ている。その背後には、きらびやかな従者たちがずらりと並んでいた。


「……あれは……こ、これは『アルフィード様』」

お父さんが急いで立ち上がり、深々と頭を下げた。


(アルフィード様? 誰だろ……すごく偉そうな人……)


「よせよ、そんなに固くならなくていい。君の果物、王都でも評判になっているんだ。噂を聞いてね、ぜひ自分の舌でも確かめたくなったんだよ」


 アルフィードと呼ばれた男は、優雅な笑みを浮かべながら籠の中を覗き込む。

 その仕草ひとつひとつが貴族そのもの――まるで芝居の中の王子様みたい。


「どれも立派だね。色も形も……ふむ、実に見事だ。君の名は?」

「アスタと申します。お褒めにあずかり光栄です」

「アスタ……覚えておこう。商人にしては、ずいぶん誠実な目をしている」


 そしてアルフィードは、私の方を見た。

「そしてこちらが、噂の看板娘かな?」

「えっ、あ、えっと、ルチアです!」

「ルチア……いい名だ。可憐で、陽だまりのようだ」


 顔が一気に熱くなった。

(か、顔が近い! この人、王子様みたいなのに、なんか……)


「よし、今日の昼餐にはこの果物を使わせてもらおう。代金は、この100万円で足りるかな?」


「お札ぼん、と出した、嘘……すごいお金の量?!」


 目の前の机に置かれた紙束は、私が今まで見たこともない厚みだった。

 まるで本みたい。しかも全部お金だ。


「いやはや、嬉しい限りです。しかし、私の商品をすべて買うことは出来かねます。他の人も待ってるゆえ」

 お父さんは穏やかに微笑みながらも、断る言葉を選んだ。

 その姿に、私は少し誇らしくなった。――お父さん、かっこいい。


 だが、空気がすぐに変わった。

 アルフィードの後ろにいた、鎧を着た部下の一人が一歩前に出た。

 彼の目はまるで獣のように鋭く、お父さんを見下ろす。


「おい、お前……誰に口を聞いてるんだ?」

「え……?」

「このお方は金獅子商会の方だぞ。いいか、立ち回りを考えた方がいい。今後の商人生活を“安寧に”動きたいならばな」


 その「安寧に」という言葉が、やけに重たく響いた。

 周りの商人たちも、いつの間にか静まり返っている。誰も口を出そうとしない。

 その沈黙が、逆に怖い。


「……どうされますか、アルフィード様」


 部下がそう問うと、アルフィードは目を細めて微笑んだ。


「単刀直入に言うよ、僕の商会に入れ。」

 アルフィードの声は柔らかく、それでいてどこか冷たかった。

「君の果物、僕ならば“より良い値段”で売れる。どうだ、悪い話じゃない。手付金もある――150万円だ。」


 ……ひゃ、ひゃくごじゅうまん!?

 耳を疑った。今までお父さんが稼ぐ数か月分、いや、それ以上の額だ。

 目の前に積まれた金貨袋がきらりと光る。


 でも、お父さんは動かなかった。

 アルフィードの笑顔に、少しだけ影が差す。


「……その果物は、誰が買うんですか?」

 お父さんの声が低く響いた。


「そりゃもちろん、貴族や王族だ。」

 アルフィードは当然のように答える。

「国民には高値で売る。馬鹿だから気づかない。旨いものは、貴重な人にあげないと、な?」


 ……その瞬間、空気が変わった。

 お父さんの表情から笑みが消える。

 私は、近くで果物を整えていたけど、息をするのも忘れてた。


(なに、言ってるの……?)


 アルフィードは続ける。

「どうだい?君の“努力”を、本物の金に変えよう。村なんかで汗流してたって、何も変わらないよ?」


 その言葉を聞いたとき――お父さんの拳が、静かに握られた。

 けれど、怒鳴ることもせず、ただ一言。


「……悪いな、俺は“貧しい人たち”のために作ってる。貴族のためじゃない。」


 アルフィードは小さく笑って、肩をすくめた。


「……そうか。じゃあ、君は“理想”で死ぬタイプだ。」


 そのまま踵を返し、取り巻きを連れて去っていった。


「大丈夫?」

「あぁ、大丈夫だ。」


そういったお父さんの顔は少し不安そうだった。

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