16.告白
一時間ほど屋台をひやかしてから、颯太の案内で二人が移動した先は、すこし高台にある神社だった。
花火見物の穴場であることを知られているのか、駅前ほどではないにしろ、境内には、テントや、それから屋台が設営されている。近所のお年寄りたちや、混雑のなかを出歩くのが難しい、小さい子を連れた家族連れが目立つ。
夕暮れの朱色から、夜の薄い藍色に空の色がゆっくりと変わってゆく時刻。かすみと颯太は、手をつないで、ゆっくりと境内を歩いた。
「そういえば、かすみちゃん、足って痛くなってない? ほら、ゲタとか
ふり返りながら聞く颯太に、かすみは「ああ」と自分の足元を見た。
「これね、素足にレース足袋っぽく見せてるんだけど、実は足袋靴下の上にレース足袋を二重履きにしててね」
「そうなの?」
「うん。鼻緒が当たるところには、中にテーピングもしてあるんだ」
「すごい、準備万端だ」
「前に、わたし捻挫したでしょう? その時のテープがちょっと残ってたから、ちょうどいいって」
境内の横側に回ると、そこはちょうど海の方角へ向けた、見晴らしのいい崖になっていた。木も何もないので、三日市の市内中心部がよく見えている。
崖の端には、危なくないよう、手すりが設置されている。小さい子達が、万一くぐって越えてしまうことのないように、厳重に、緑のネットが張り巡らされていた。
かすみと颯太は、その手すりの一部に、ぽっかりと開いたスペースを見つけて、そこに近付いた。
「夏休み、終わるね」
颯太の言葉に、かすみは静かに「うん」と返す。
あちらこちらから、さわさわと聞こえてくる楽しそうな会話。だけれど、かすみと颯太の間には、少しぬるい暑さに包まれた、静かな緊張感があった。
「オレ、さ。あれからずっと考えてたんだけど」
周りから「あっ」と声が上がる。指さす先で、一つ目の花火が上がっている。
「一学期のときに、かすみちゃんが、なんか元気なくなったのってさ、あれ、マリが学校に戻ってきたタイミングだったよね?」
颯太の言葉に、かすみは、ぎゅっと手すりをつかむ手に少し力をこめた。
かすみが答えずにいると、颯太は小さく溜息をついた。
「――これ、言葉の順番を間違えたら、ものすごく後悔することになりそうだな。何から言えばいいかな」
次の花火が上がる。その次の花火も。歓声がわく。
かすみと颯太、それぞれに抱えている思いがある。だけれど、次の一歩を、どこから踏み出せばいいのかがわからなかった。
どの言葉から選べばいいのか。どう伝えれば間違わずに済むのか。ふくらみ切った思いばかりが今にも破裂しそうで、何一つ言葉を口に出すことができない。
ただ、花火だけが上がり続けてゆく――。
どれほど無言の時間が続いただろう。
結局、口火を切ったのは、かすみだった。
「颯太君は、まりやさんのこと、すごく、よく知ってるんだと思う」
「――まあ、幼なじみだから」
「あのあと、わたし、まりやさんと話したんだよね」
「えっ」
「体育の授業が一緒だから、見学してるときに。――まりやさん、やっぱり男の子に人気あったんだね。わたしとは真逆」
「それは」
「それで、まりやさん、女の子たちから無視されていじめられてたんだって」
「――そう。でも別に、マリが何かしたとか、なんかわざとらしいことをしたとかっていうのは絶対なくて」
「わかるよ。そんなの見てたらわかる」
どぉん、どぉん、と花火の振動と光が、少しずつずれて、二人のところまで届いている。
「まりやさんは、真っ直ぐにステキな人だから、近くにいると、自分がものすごく無価値なものなんだってことを突き付けられるってこと、颯太君には、多分わからないんだと思う」
颯太が、まさか、といった顔で息を飲んだ。
「無価値だなんて、誰もそんなこと言ってないだろ?」
かすみの、静かな目が、じっと颯太を見つめた。
「颯太君、やっぱり、わかってない」
「かすみちゃん」
「わたし、まりやさんのことが嫌いなワケじゃないよ。ステキな人だってわかってる。でも、だからこそみじめになるの」
「なんで……マリとかすみちゃんを比べるなんて誰もしてない。オレだって、オレ」
「比べるのは、わたしの中にいる、わたしを馬鹿にしてきた人達だよ」
どぉん、どぉん……ぱらぱらと、光が散り落ちてゆく。
すっと、まるで百合の花のように、真っ直ぐに立つかすみの姿に、真っ直ぐな視線に、颯太は言葉を失う。
「わたしは、今まで、色んな人に馬鹿にされてきたよ。ブスだとかデブだとか、何言ってるのかわからないとか、無能とか、邪魔だとか、とにかく、本当にそうか、嘘かなんてどうでもよくって、わたしを下げるための言葉なら、何でも使って下げようとしてきたんだよ、みんな」
「松添、とか、だよね」
「みんなだよ。はじまりは光君達でも、結局みんな、乗ったんだよ。それでね、わたしはとにかく、下、下の存在なの。クラスや、学年や、もしかしたら学校全体のなかでの、下の存在なんだよ。それで、まりやさんは、その対極の存在なんだよ」
「でも、まりやだっていじめにあって」
「それは、まりやさんが非の打ちどころのない、
「わ、わからないよ、それ、そんなの」
「目の前に、自分より明らかに優れていて、ステキな人がいるとね、自分が劣っているのがわかってしまうから、それが辛いから、わざと皆で一緒になって仲間外れにして、価値を落とそうとするんだよ。まりやさんは、価値があるから、そうされたんだよ。――でも、わたしは違う。本当に価値がないから、踏み台にされたんだよ」
「それっ」
颯太の手が伸びた。手すりをつかむ、かすみの手を握りしめる。
「それっ、かすみちゃんも同じだよ。かすみちゃんだって、昔から作品作って、表彰とかされてたんでしょ? 先輩達から聞いたよ? それにっ」
どぉんと、一際大きな花火が上がった。
「オレっ、かすみちゃんのこと、家庭科室ではじめて見た瞬間に、なんてキレイな子なんだって、すっごい驚いたんだよ」
かすみの手が、びくりと震えた。
「そんなの、うそ」
「嘘じゃないよ。そんな子に何てことしちゃったんだって、オレ、すんごい震えてたの、気付かなかったでしょ? それくらい、かすみちゃんだって、ほんとのところ見えてないよ。絶対皆、かすみちゃんに嫉妬してたんだよ。それにオレ、松添だって、アレ、絶対やり方間違えただけで本当は――」
「ほんとう、は?」
かすみが小首をかしげると、「あっ」と颯太は瞬いた。
「それっ、それはいい。今はいいよ。――それより、前、ラインでじゃなくて、ちゃんと話したいって、オレ言ったじゃん」
かすみの手を包みこむ、颯太の手に力がこもる。
じっと、泣きだしそうな瞳で、颯太がかすみを見つめる。
「花火さ、今年は新年にもやるんだって。オレ、それもさ、かすみちゃんと二人で見にきたいと思ってる」
「颯太君……」
「かすみちゃん、オレ、かすみちゃんが好きだ。オレ……オレ、かすみちゃんに、オレと、つきあってほしいと思って――」
どぉん、という花火の振動と共に、二人のスマホが同時に震え出した。
はっとして、颯太がかすみから手を離す。
二人、目線を泳がせながら、「電話だ」と、口ごもりつつ、スマホを手に取った。
かすみのスマホの画面に表示されていたのは、村岡の名前だった。どうしてこんな時に? と不思議に思いながら、かすみは着信ボタンを押した。
「もしもし? 宮原です」
『かすみちゃんか』
切羽詰まったような村岡の声が、喧噪まじりに聞こえてくる。
「はい、かすみです。どうかしましたか?」
『今、三日市の花火見に来てるよな? どのあたりにいる?』
「ええと、近くの神社に、たしか名前は――」
『そこ、一緒に工藤少年はいるか?』
「えっ⁉」
すぐとなりで、颯太の切羽詰まった大声がした。
「まって、それで救急車乗って、どこの病院? 三日市市民?」
『かすみちゃん? 聞こえてるか?』
スマホから聞こえる声に、かすみはあわてて集中する。
「はい、すいません、聞こえてます。先輩は、今どこなんですか?」
『三日市市民病院だ。さっき救急車降りたところ』
「救急車って」
村岡の、震えるような溜息が聞こえる。
『私らも、花火見に来てたんだ。ふ頭近くにいた。だけど――』
「かすみちゃん」
がっと、颯太がかすみの手をつかんだ。血相を変えて、唇を震わせて。
「かすみちゃん、マリが――!」
スマホの向こう、遠くから、いやにハッキリとした村岡の声が、告げた。
『まりやが、倒れた』
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