4.迷惑だから
午後の授業は、もう散々だった。
家庭科室のビーズのことが気がかりで、かすみはずっとそわそわしていて、先生達の声は、風のように流れていってしまった。
チャイムが鳴ると同時に、かすみは荷物をまとめて家庭科室へ向かった。走らないように気を付けるけれど、どうしても焦りから小走りにはなってしまう。
家庭科室のドアを開けようとして、鍵がかかっているのに気付いた。そういえば、日比野が顧問の深山先生に鍵を借りてくると言っていたのを、すっかり忘れていた。
職員室に鍵をとりに行かなくてはと気付いて、廊下の先へ目を向けた時だった。
そこに一人の男子生徒が立っていた。
かすみは思わず、びくりとして一歩あとずさった。ドアに背中がぶつかる軽い音がする。自分の顔から血の気が引いてゆくのがわかる。
そこに立っていたのは、さっきボールを家庭科室に投げ込んできた男子、
「あの……家庭科室の鍵、借りてきた」
気まずそうに、片手を持ちあげて、颯太は鍵をかすみに見せる。
「もういいって言われたけど、そんなんダメだから、オレにも片付けるの手伝わせて」
かすみはぷるぷると震えながら、あたりをキョロキョロ見回した。
まだ、東条達が向かってきている様子はない。
かすみはうつむいた。
かすみは、ここで、「大丈夫だから帰ってほしい」という一言すら、うまく話せない。そういうふうにして、いつも周りの人を怒らせたり、呆れさせたりしてきた。ただでさえ、ビーズがバラバラになってしまっていることで、かすみの気持ちは大きくショックを受けている。そこに、よく知らない男子と話をしなくてはならない状況まで増えてしまって、正直なところ、かすみには、いっぱいいっぱいだ。いや、もうとっくに限界を超えている。
そうして黙りこくっていると、颯太は「ええと」と頭をかきながら、こちらへ近付いてきた。
「本当に、ごめんなさい。じゃまにならないように、端っこから片付けるんで、どうか手伝わせてください。お願いします」
ぺこりと深く、颯太は頭を下げた。目の前でつむじを見せて謝っている颯太の姿を見ているうちに、かすみは、ほんの少しだけ自分の気持ちが落ちつくのを、感じた。
「あの、じゃあ、すこしだけ……お願いします」
小さくかすれるような声で、かすみが言うと、颯太がぱっと頭を上げて「よかったぁ」と安心した顔で胸を手でおさえた。
「あの、名前、聞いていい?」
大きな目で、真っ直ぐに見られながらそう言われて、かすみは思わず「へっ⁉」と大声を上げてしまった。心の底から驚いたのだ。
「な、なまえ、わ、わたしの?」
「うん。あ、オレC組の工藤颯太。君、一年だよね?」
颯太が自分の顔を指さしながら聞くのに、かすみは、こくりとうなずく。
「う、うん……D組の、
「よろしく。あ、鍵開けるね」
かすみが、こくりとうなずくのを見届けてから、颯太は家庭科室の鍵を開けた。
颯太が、パチンと電気をつけると、室内が明るくなり、昼休みと変わらない光景がそこに広がる。
二人は入り口近くのテーブルに荷物をおくと、かすみがビーズを広げていた、窓際のテーブルの近くに向かった。
改めて見ると、基本的にはそのテーブルの上と、その近くの床に被害は集中している。かすみは一つ大きく息を吸い込むと、手首にはめていた黒い髪ゴムで、自分の髪をうしろで一つにまとめた。
「じゃあ、工藤君」
「あ、はい」
颯太に呼びかけたかすみの声には、覚悟を決めた落ち着きと、意志の強さが表れている。
「手芸は、したことありますか」
「へっ? あ、授業でちょっと裁縫したくらい」
「じゃあ、ビーズの取り扱いは、あまりよく知りませんよね」
「はい」
かすみの目は、もう、どこから手をつけるかに集中している。苦手な男子が自分のすぐそばにいることは、もう意識のなかから追い出されつつあった。
そんなものより、ビーズだ。ビーズのほうが大事なんだ。
「ビーズは割れ物です。ガラスなので。ぞんざいに扱ったら、傷がはいります」
「――はい」
「それから、ここは家庭科室です。調理もします。何かの間違いでお料理に入ってしまったら大変です」
「あ、はい」
「これは、私物を持ちこんだ、わたしの管理不行き届きの問題になります。テーブルの隙間、床の板の隙間、そういう、ものすごく
「うわ、そんな小さいんですか?」
かすみは、「はい」と、現状を
「集めそこねてしまったら、家庭科部にとって大きなマイナスになります。わたしは、先輩方に迷惑をかけたくありませんし、家庭科部にとって不利になることも、絶対にいやです」
「ほんと、すいませんでした」
「それから」
かすみはブレザーを脱いで、近くのテーブルの上に置くと、シャツの袖をまくりはじめた。
「ひろっても、わたしはもう、このビーズを使えません」
「えっ、なんで?」
「工藤君には、関係がないお話ですが、お店に、商品として出すためのものだったからです。傷みがあったり、どんな汚れがついたかわからないものを、お店に預けることはできません。当然、そんなものをお客様に対して売ることもできません」
颯太は、眉間にしわを寄せた。
「ごめん……そう、なんだ」
「きっと、工藤君に話すようなことではないんだと思うんですが、ごめんなさい、先輩達がもういいから帰ってって言ってくれたのは、優しいからとか、もういいよとか、許してあげるとかではなくて」
かすみは、掃除用具入れに向かうと、ばたんとドアを開けて、ほうきとちりとりを取りだした。
「迷惑だからです。事情がわからない、意味のわからない人が中に入ってきて、選別の方法も、ビーズの扱い方も知らないのに、形だけ手伝って満足されて許された気になられるのが嫌だからです」
「お、怒って、ます、よね?」
かすみは、颯太の方へふり返ると、すこしだけ強い気持ちのこもった目で、彼の顔を見た。
「はい。多分。それに困ってます。材料を買い直さなくちゃいけないっていう、お金の事情もですが、特殊なビーズって、なかなか売ってなくて、これでも苦労して集めたんです」
颯太の顔がみるみるゆがみ、両手で頭をかきむしった。
「いや、ほんと、ちょっと、ごめん、本当に」
かすみは、小さく溜息をついた。
「こういう言い方をされて、ムカついたのなら、もう帰ってください。わたしも、ごめんなさい。ビーズと刺繍のことだけは、ちょっと妥協ができなくて――」
「いやっ」
颯太は真っ直ぐに姿勢を正した。
「話聞いて、ほんとそうだと思った。こういうホントの気持ちや事情があるのに、お腹に抱えて黙られたまま、よけい馬鹿なことするのイヤだから、言ってくれてありがとう。気をつけるべきところ、全部指示下さい。最後までやります」
颯太の真っ直ぐな言葉に、かすみは一度瞬きして、それからふわりと、やわらかく笑った。
「じゃあ、よろしくお願いします」
かすみの笑顔を見て、颯太の目が丸くなったことには、かすみは気付いていなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます