1-4 金、アルバイト

○●○●


 戦車の主は強盗が残していった銃を拾い上げ、部屋の奥へ進んでいった。途中、真ん中の棚の上に手を伸ばし、ぶら下げてあったライトの灯りを点ける。


 黄色を帯びた暖かい光が部屋を満たした。闇に隠れていた所も光でその姿を現し、部屋の全貌が明らかになる。


 車内は三つの棚の奥にはカウンターがあった。さらに先に続きがあるらしく、カウンター裏には閉ざされた扉が一つあった。


「どうした? さっさと来い」


 戦車の主の急く声で兎はやっと我に返る。まだ震える足で立ち、ふらつきながら後を追う。


 すでに戦車の主はカウンターの裏へ回り、頬杖ついて座っていた。横長のカウンターは、小さな鉄屑や布切れ、空瓶などが無造作に散らかり、机の面がほとんど見えない。カウンター奥も、戦車の主を中心に雑多に溢れ、物の無法地帯と化していた。


「その暑っ苦しい服脱いだらどうだ?」


「あっ、はいっ」


 言われるがまま、兎は外套を脱ぎ、折りたたんで片腕に掛ける。


 薄汚れたシャツにハーフパンツ。ブーツは何度も穴が開いたため、ツギハギだらけ。そんな兎のみすぼらしい格好を見ながら戦車の主は問いかける。


「えー……名前なんだっけ?」


 未だ心臓がドクドクと脈打ちこの状況に混乱する少女。つい先程伝えたばかりだが、聞かれた事を素直に答えることしかできない。


「じ、十六尾じゅうろくび うさぎです」


 戦車の主は無味乾燥な表情で兎を見つめ、小さく呟く。


「「兎」か……。まぁ、たしかに兎っぽいな」


「はい?」


 「兎」という生き物がすでに絶滅している、というのはこの名を付けた母から聞いていた。どんな動物なのかも聞いているが、見たこともないので兎はいまいちビンと来ていない。


 戦車の主は「ま、どうでもいいか」と溢し、話を戻す。


「では、まず出勤できる日とか、色々決めなきゃならんのだが――」


「あっ、あのっ、ごめんなさい、ちょっといいですか?」


 ようやく緊張がほぐれた兎は勇気を出し戦車の主の言葉を遮る。


「なんだ?」


「えーっと、その、ですね……」


 兎は考える。


 どうやら自分は「アルバイト」を志願している者と勘違いされている事は分かった。しかし、もちろん「アルバイト」が何なのか自分はよく分かっていない。このまま事を進めてもよいのだろうか。


 兎は全身に冷や汗を感じながら、笑顔を作り、問う。


「あの、アルバイトって具体的にどんなことするんでしたっけ?」


「そんな事も知らずに来たのか? ……まぁ、募集板には内容まで書いてなかったっけな。……チッ」


 戦車の主は軽く舌打ちするとカウンターの奥から小さな椅子を引っ張り出し、兎に渡す。


「座れ。話すと長い」


「ど、どうも」


 兎は散らかったカウンターに外套を置く。そして、受け取ったグラつく椅子に座る。


 戦車の主は小さく咳払いすると話を始めた。


「この店のとりあえずの目標はここいら一帯に「金」を流通させる事だ。その為には――」


「ち、ちょっと待って下さい」


 再度、出端をくじかれた戦車の主だったが、また抑揚のない声で聞き返す。


「今度はなんだ?」


「「金」ってもしかして、「コイン」とか「お札」の事ですか?」


「あぁ、そうだ」


「そ、そんな三百年前に滅んだもの、一体誰が使うんでしょうか……?」


 兎は聞き馴染みのない大昔――文明が滅ぶ前の時代『旧時代』の言葉に、首を傾げる。


 国や政治という概念の無くなった現代。規則も制度も失われた。そんな世界に金貨や紙幣を使った物のやりとりなんて当然存在しない。欲しい物は力づくで奪う。それがおよそ三百年前からの新しいこの世界での物流・・だ。


 生まれた時からそれがこの世の常である兎にとって、「金」とはもはやおとぎ話の中での道具である。しかし、戦車の主は真剣に語る。


「そう、今はもう存在してない「金」を使った物の流通を復活させよう、って話だよ」


「は、はぁ……なんでまた、そのような事を?」


 恐る恐る問うと、戦車の主は少し考え込む素振りをみせて、言う。


「金のある世界の方が、楽しそう・・・・だろ?」


 戦車の主はやはり表情一つ変えない。「楽しそう」と夢を語るにしては全く楽しくなさそうだ。しかし兎は適当に「なるほど」と相槌を打つ。


 なんなんだろう、この男は。こんな辺鄙なところに店を構えているだけのことはある。何かが可怪しい。ネジが外れている――否、あの大立ち回りからして、諸々の制限リミッターが外れているというか……。


 悶々と考え込む兎。気づけば考え込んでしまう彼女の癖。それを見ていた戦車の主がまた抑揚のない口調で言う。


「お前。笑わない・・・・んだな」


「え、何に対してですか?」


 強盗が現れても眉一つ動かさない無表情男に言われてもなぁ、と思う兎。戦車の主は「……いや、なんでもない」と言う。


 兎の頭の中でこの大きな話がグルグルと駆け巡る。


 確かに滅茶苦茶な話ではあるが、貨幣の復活は、力無き弱者にとっては喜ばしい事なのかもしれない。財は他者から奪うしか手段のない現代、弱者には奪うという選択肢すら与えられない。しかし、もしも「金」があれば、コツコツと私財を貯めるという弱者でも財を成せる手段が生まれる。


 ……だが、果たして一個人が働きかけてどうにかなる事なのだろうか?


「そんなこと、本当にできるんですかね……」


 思わず口から溢れた。しまった、と思ったが、戦車の主は変わらず淡々と話す。


「まぁ、一筋縄じゃいかねぇよ。金を広めるには、ルールと物流を作らねばならん。手始めとして俺が持つ金と客である誰かが持ってきた物資を交換することで、俺の金が世に出回るようにする。そして、金を持った別の客が俺の元に来て、その物資を買い取る。と、この店をこの世で最初の換金所、兼、即売店にするんだ」


 一息つき、続ける。


「多くの人間が関わる事でこの物流は大きくなる……はずなんだが、如何せん今は肝心の客足が少ない。強盗として来る奴にはこの店の宣伝してるんだけどなぁ。さっきの奴らみたいに」


肉体言語暴力の宣伝とはまた斬新ですね」


 兎のツッコミを戦車の主は鼻であしらう。


「仕方ないだろ、言葉が通じねぇ馬鹿ばっかりかなんだから。お前、どうせ盤堅街ばんけんがいから来たんだろ? 今日からお前もこの店で働く店員だ。ちょっとは街の奴らに宣伝しとけよ。もちろん、ちゃんとした言葉でな」


 盤堅街とは、ここから北に約五キロ離れた小さな街である。そこには小さな人工オアシスがあり、老人、子供、病人が多く住んでいる。この時代に合わぬ、力無き者達が協力し合い細々と生きぬいている街だ。


 戦車の主の言う通り、兎はその街から来た。


「まぁ、宣伝くらいなら……って、「働く」? 私が?」


 戦車の主の話によると、兎は自分はここで働く事が分かった。つまり、「アルバイト」とはここで働く人の事であると理解。


 ようやく事を理解したのも束の間。声に出したのがいけなかった。


「てめぇ、やっぱりよく知りもせずにここに来たんだな?」


 戦車の主はドスの利いた声で呟いた。そして、エプロンから先ほど奪った拳銃を素早く取り出し、銃口を兎の額に押しつける。


 冷たく硬い銃口は兎の背筋を一瞬で凍らせた。たまらず両手を上げる。


「ぇあああ! すいません! すいません! し、正直あまり詳しく知りませんでした! ででで、でも、やります! アルバイト、やります! 働きます!」


 生命の危機に瀕し、呂律の回らない口で必死の命乞い。冷や汗が止まらない。


 戦車の主は銃を放さず、そのまましばし考え込む。静かな室内で兎は自分の心臓の鼓動だけが聞こえる。


 沈黙が少し続くと、戦車の主は銃をクルッと回し、またエプロンのポケットにしまう。


「ま、いいだろう。雇ってやるよ。俺も人手が無くて困っていた所だ」


 ドッと体から滲みだす冷や汗を感じながら、安堵の息を漏らす。


 何はともあれ、当面の命の危機は回避した――はず。兎は椅子に座り直す。


「ところで……私はあなたの事をなんて呼べばいいんですか?」


 今更な質問に戦車の主はややあって答える。


「「店長」とでも呼べばいい。「店長様」もしくは「店長閣下」の方が親近感が湧くか?」


「距離感しか生まれない気がするので……わかりました、「店長」」


 なんだか大変なことになってしまった気もするが、これも目的のためだ。耐えるしかない……。兎は半ば諦めつつ腹を括った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る