第30話
音楽会を終えて、椿と宗介は近くの馬車乗り場が込んでいたために少し歩くことにした。
そして歩きながら二人は演奏の話で盛り上がっていた。
「この世のものとは思えないほど素晴らしい音色でしたね……あ、そうだ。あの大きな楽器は弦が4本ありました」
「へぇ~~相変わらず目がいいな~~待てよ、ってことは三味線じゃなくて四味線だな!?」
「なるほど四味線……宗介さん琵琶は4本ですので、大きな琵琶かもしれません」
「ああ、琵琶な、確かに!! 椿は賢いな」
宗介と椿が笑いながら歩いていると、辻馬車乗り場に着いた。宗介の予想通り、こちらの馬車の乗り場は空いていた。
椿が宗介を送ろうとすると、宗介が馬車の御者に代金を渡した。
「ほら、椿」
「え?」
「何驚いているんだ? 送って行くに決まってるだろ?」
実は椿は馬車代を持っていなかったので、宗介を見送ったら歩いて帰ろうと思っていたが、宗介に手を引かれて椿も馬車に乗り込んだ。
「宗介さん、送っていただきありがとうございました」
「どういたしましてと言うほどのことでもなけどな。だが、どうせ通り道だ、気にするな」
「通り道? 回り道のように思いますが?」
「……ああ、椿は家に来たことがあったな。まぁ、そうれほど遠くはないから気にするな。だが、あの楽器の音色は本当によかったな……今から練習したら弾けるようになるかな?」
「自分で弾くなど考えもしませんでした!!」
「そうか? 同じ人間が弾いてんだ。死ぬ気でやりゃ~一曲くらいには弾けるかもしれねぇだろ。言っておくが、椿の戦闘能力の高さも常人のそれではないからな? 椿は刀をどのくらい訓練したんだ?」
「どのくらい? そうですね、年齢にして三つには跳躍や回避訓練は初めていて、現在十六ですので十年以上でしょうか?」
「それなら、あの楽器も十年あれば一曲は弾けるようになるんじゃねぇか? 知らないものってのは怖いが、腹くくって飛び込んでみれば案外なんとかなるもんだ」
「ふふふ、そうですね……知らないことは怖い……確かにそうかもしれません」
馬車の中でも椿と宗介の会話が途切れることはなかった。
終始楽しく話をしている間に馬車が停まった。
「もう、着いてしまったのか……」
宗介は名残惜しそうに、椿を見つめながら言った。
「椿、今日は会えてよかった。楽しい時間だった」
「私もです。ありがとうございました」
椿は馬車を降りると宗介に頭を下げた。そして馬車が動き出す。
「またな!!」
「また!!」
辻馬車の窓から手を振る宗介に向かって椿も手を振って宗介の姿が見えなくなるまで見送った。
するとちょうど庭の掃除をしていたスミが楽しそうに言った。
「椿、もうこちらで逢引をする相手が出来たの!? 私なんて勇さんと出会うまで一年もかかったのに!! でも……ふふふ、あんなに素敵なお相手がいたら、成孝様や秀雄様や政宗様を見ても動じないはずよね~~」
「優しい方だから私を放っておけなかっただけよ」
「そんな風には見えなかったわよ~~? あら? でもそう言われてみると……確か秀雄様とお出かけしたよね?」
「ええ。途中で仕事の入った秀雄様の代わりに私が一人で見ることになったの。きっと不慣れな私に気を遣ってくれたのよ」
「え!? 秀雄様、途中でいなくなってしまったの?? 高貴な方々ばかりが集まる場に一人? 夜会の時も一人で見知らぬ方々を相手にしながら過ごしていたって聞いたし……椿も大変ね」
今日は仕事ではなかったので椿が説明しようとした時だった。
車が入ってきたのが見えたので椿とスミが頭を下げると、車が停まって中から政宗が急いで出てくると嬉しそうに言った。
「椿、迎えに来てくれたのか!! ただいま!」
「おかえりなさいませ。お荷物お持ちいたします」
「では、こちらを頼む」
政宗は椿に学生帽を渡し、鞄は自分で持った。椿はスミと目で合図をすると、政宗と共に屋敷の中に入ったのだった。
廊下を歩いていると政宗が椿を見ながら言った。
「出迎えなんて、何かあったのか?」
「実は、本日は音楽会があり、そちらから戻って参りました」
「ああ……なんだ……俺を迎えに来てくれたわけではないのか……」
少し肩を落とした政宗の姿に罪悪感を覚えた。
「……申し訳ございません」
「いや、俺の早とちりなので謝らくともかまわないが……音楽会ってもしかして、秀雄が渡戸様から招待を受けたというものか?」
「大変申し訳ございませんが、どのたからご招待されたのかまでわかりません」
「まぁ、そうか。チェロとヴィオラとヴァイオリンの弦楽四重奏だろ?」
椿は無表情で答えた。
「ゲンガク……? あの大きな楽器は、琵琶ではなかったのですね……」
椿の言葉に政宗は眉を寄せた。
「は? 音楽会に行って聴いてきたのだろう? 秀雄に聞かなかったのか?」
「はい。秀雄様は途中で用事が入りましたので一緒には聴いておりません」
すると政宗が怒りを見せた。
「はぁ~~? 誘ったのは秀雄だろ? それなのに女性を放って仕事に行くって……成孝が椿に偽装許嫁の話を持ち掛けたと聞いた時も愚かだと思ったが、心底あの二人と血が通っていると思いたくないな。椿、俺はそんな愚かな男じゃないからな」
「私は気にしておりません」
「……全く気にされないというのも寂しいものだな……」
椿が、政宗と廊下を歩いていた時だった。窓の外に辻馬車が到着したのが見えた。
「ん? 誰か来たのか?」
政宗が窓を覗き込んだので椿も窓の外を見た。
すると馬車から酷く慌てた様子の成孝が飛び出してきたのだった。
「椿はいるか!?」
エントランスにいたスミに問いかけた大きな声が二階の廊下まで響いた。
「はい。つい先ほど政宗様と屋敷内に入られ……」
「もう戻っているのか!!」
成孝が珍しく凄い勢いで階段を駆け上がってきたのを、椿と政宗は唖然としながら見ていた。
そして成孝が椿の手を取った。
「来てくれ」
「はい」
椿は成孝に手を取られて成孝の執務室に入った。
部屋に入るとすぐに成孝は椿に詰め寄った。
「椿!! なぜ、西条と共にいたのだ!? 秀雄と出掛けるというのは嘘だったのか!?」
階段を駆け上ったせいか、成孝は息を切らせて、怖い顔で椿を見ていた。
「秀雄様が仕事で音楽会に出席できなくなったので一人で行きました。招待状には秀雄様のお名前が書いてありましたので、参加した方がよいと思いまして……」
「……秀雄が仕事でいなくなった??」
少しだけ落ち着いた成孝に向かって、椿は落ち着いた様子で答えた。
「はい。秀雄様がお仕事で戻られた後、会場の入り口で偶然宗介さんとお会いして、慣れない私を心配して一緒に音楽を聴いて下さったのです」
「そうだったのか……」
成孝が少し椿から距離を取った後に少し不機嫌そうに呟いた。
「随分と楽しそうだったな」
「はい。とても楽しかったです」
椿が答えた瞬間、成孝が椿の手を握った。
「実は私も……音楽会に出席していた」
椿はゆっくりと答えた。
「はい。存じております。入口付近で、成孝様とご令嬢のお姿を確認いたしましたので」
「知っていたのか……」
「ですが、あの方が成孝様の本命の方だと思い、お声がけは控えさせていただきました」
椿の言葉を聞いて成孝が椿に背を向けた。
「そうか……椿は、それほど簡単に割り切れたのか……本命か……そうだな、本命かもな……すなまかった。今日は休みだったな。もう下がっていい」
成孝の背中が椿を拒絶しているように思えて、椿は頭を下げた。
「それでは………失礼します」
椿が部屋を出ると、扉の前に政宗がいた。
「どうして泣いてるわけ?」
「え?」
椿は思わず自分の頬に触れた。すると指の先が濡れた。
(涙……なぜかしら?)
そんな椿に政宗は椿が持っていた自分の学生帽をかぶせた。
そして椿の手を取った。
椿は、涙が止まらずに政宗の帽子をかぶったまま二階のベランダに出た。
「泣きなよ。泣きたいんだろ?」
椿は無表情に涙を流しながら答えた。
「泣きたい……? そうなのでしょうか?」
政宗は、ベランダの壁に寄りかかりながら言った。
「そうだよ……心より身体の方が正直だね。椿は……何言われたのか知らないけどさ、イヤだとか、無理だと思ったら断っていんだよ。江戸時代じゃないんだ。もう……身分とかないんだからさ……」
椿は何も言わずに涙を流したのだった。
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