第18話

 

 銀座の町は人通りが多くて、椿は必死に成孝について行く。道行く女性が成孝を見て振り返っていたり、立ち止まっていた。


(成孝様って、本当に女性を引き付けるお顔なのね……)


 椿が感心ながら歩いていると、成孝が立ち止まって椿を見た。


「皆が椿を見ている……」

「なぜそのような勘違いを!? 見られているのは成孝様です!」


 椿は驚いて声を上げてしまった。そんな椿を見て成孝が驚いた後に、小さく笑った。


「ふっ、お前も冷静さを欠くことがあるのだな」

「申し訳ございません。想像もしていなかったことを言われたので」


 椿が頭を下げると、成孝が手を差し出した。


「人が多いとはぐれるかもしれないだろう? それに……慣れておけ。今後は、こうして手をつなぐことも増えるだろうからな」


(なるほど、これは訓練!!)


 椿は成孝の手を取った。


「はい。それでは失礼して……成孝様の手は大きくて、あたたかいですね」


 椿が思ったことを口にすると成孝が顔を赤くしながら言った。


「椿の手は……冷たくて、硬いな」


 椿は急いで手を離した。


「申し訳ございません」


 椿はこれまで刀の稽古や体術の稽古など様々な訓練を受けているので、一般的な女性のような柔らかい手ではない。しかも手も荒れているので不快に思われたと思ったのだ。

 すると成孝がすぐに離した椿の手を取った。


「なぜ、離すのだ」

「不快に思われるかと……」

「突然離される方が不快だ。それに私はこの手を……好ましいと思う。だから、離すな」


 椿は「はい」と言ってうなずいた。

 二人は手をつないだまま銀座の街を歩いた。手を取り合って、時々会話をしながら歩く成孝と椿の姿を見て、皆が憧れ、注目していたが、当の二人は楽し気に銀座の街を歩いていたのだった。





 しばらく歩くとパーラーに着いたので、二人は手を離した。

 椿は以前、秀雄に言われたレディファストと思い出して扉を開けようとしたが、先に成孝が扉を手にした。


「椿、扉は私が開ける。覚えておけ」

「かしこまりました」


 椿が返事をすると成孝が扉を開けた。


「入れ」

「はい」


 椿は先陣を切るように中に入った。


(東稔院様のお屋敷も異国のようだけど、ここも異国に来たようね……)


 お店の中は食べる場所と、持ち帰り用にお菓子を陳列するガラスケースのおいてある場所に分けられていた。

 ガラスのケースの中には色とりどりの見たことのないお菓子が並んでいた。

 

(……パーラーでの荷物持ちは集中した方がいいわね。儚くて壊れてしまいそう)


 椿は荷物をしっかりと持つ覚悟を決めて壁際に立つと、成孝が怪訝な顔をした。


「そんなところに立って何をしている? 早く好きな席に座れ」

「え!?」


 椿はてっきり令嬢への品を買いに来たと思っていたので、座れを言われて心底驚いて声を上げた。


「なぜ、そんなに驚いているのだ? いいから座れ」

「はい」


 椿は座れと言われたが、どこに座ればいいのか全くわからない。


(これは一体、どこに座ればいいの? やはり狙われた時に対処できるように壁際に……それとも入口付近の方が何かあった時にお店に迷惑がかからずに対処できるかしら?)


 椿が護衛のことばかりを考えて座席を決めかねていると、可愛らしい洋装の店員が現われて、成孝から目を離さずに言った。


「窓側のお席にどうぞ……」

「ああ」


 そして成孝が窓側に座ったので、椿も慌てて成孝の前の席に座った。


「メニュウはそちらです」


(メニュウ?? 何かしら?)


 椿が首を傾けていると、成孝が高級感の漂う厚紙を手に取った。そして成孝が椿の前に差し出した。


「好きな物を選べ」


 珈琲??

 紅茶??

 パフェ??

 シュウクリム??


(どうしよう。読めないし、読めても何か、全くわからない。一番上は読めない。真ん中は赤いお茶?? 何かの生き血の類いかしら?? パフェとは何?? 飲み物なのか食べ物なのか、見当もつかない!! シュウクリムは、なんらかの栗菓子かしら??)


 椿が何かを聞こうと店員を見たが、店員はじっと成孝を見つめていて動かない。

 そのうち成孝が声を上げた。


「決まったら呼ぶので、下がっていてくれたまえ」

「……」


 店員は全く動かない。


「君、聞いているのか?」

「は、はい。私はイネと申します」

「名前など聞いていない。決まるまで下がっていろ」

 

 少し苛立った様子の成孝に怯えた店員は足早に去って行った。


「はい!!」


 そして奥からはひそひそと「素敵だけど怖い」という声が聞こえた。椿は地獄耳なので聞こえたが、成孝には聞こえただろうか?

 椿が悲しくなりながら成孝を見ると、成孝が「決まったか?」と声をかけてくれた。


「いえ、正直この一番上の文字は読めませんし、他は読めても何か全くわかりません」


 成孝は、一つ一つ説明してくれた。


「これは『コーヒー』と読む」

「ああ、これが噂のコーヒーですか!」

「なんだ、知っているのか?」

「聞いたことはあったのですが、文字では初めて見ました」

「そうか、そしてこれは『紅茶』ある特定の茶葉を発酵させた発酵茶だ」


(生き血じゃなかったのね……)


「なるほど……」

「これから下は菓子だ」


(この中では、シュウクリムだったら今の持ち合わせで買えるわ)


 椿はどんな食べ物なのか全くわからないので、持ち合わせを考慮して決めることにした。


「では、このシュウクリムをお願いいたします」

「飲み物は?」

「飲み物は……いりません」


 椿の言葉を聞いた成孝が小さく息を吐き手を上げた。

 すると先ほどとは違う店員が二人でやってきた。二人ともじっと成孝を見つめている。


「珈琲と紅茶、シュウクリムとホットケエキを」

「かしこまりました」


 二人は頭を下げるとすぐに去って行った。またヒソヒソと「本当に素敵」という声が聞こえたので、成孝を見に来たのだろうということが予測できた。

 そして椿は成孝の顔をじっと見つめた。


(確かに整ったお顔だわ……)


「私も初めて入ったが、女性の好みそうな内装で気づくことが多い」


 成孝が椿を見ながら言った。


「内装……なるほど。私は場違いで緊張しておりますが……」

「そうか? お前は姿勢もいいし、表情があまり顔に出ないから緊張しているとは全く思えないな。むしろ馴染んでいる」

「ふふ、私がこの場に馴染んでいるのなら、成孝様に買っていただいた洋装のおかげです」

「そうか? 洋装は着物よりも女性の姿形を浮き彫りにするように思う。その洋装を着こなしているのは他でもない椿自身だ」


 椿はなんだか顔に熱が集まるのを感じて成孝から視線を逸らして下を向いた。


「お褒め頂き光栄です」


 椿がお礼を言うと成孝が優しい声で言った。


「それに……椿がいなければ、ここに来ることはなかったかもしれない」


 椿が顔を上げて成孝を見るとこれまで見たこともないほど優し気な顔の成孝と目が合ったのだった。





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