第2話 郁美への感情

 妹は名前を、

「郁美」

 と言った。

 ちょうど女子大を卒業して3年目くらいになるのか、OLとして、仕事にも会社にも慣れてきた頃だろう。

 郁美がまだ大学時代、葛城は転勤することになり、今の勤務地に来たことで、実家を出て一人暮らしをすることになったのだ。

 とは言っても、そんなに極端に遠いところというわけではない。

 実際には、隣の県であり、規制するにも、特急電車で2,3時間くらいで帰ってこれる距離であった。

 だが、さすがに毎日通うのも大変で、転勤して1年くらいは、毎月のように帰省していたが、最近では、

「半年に一度くらい」

 ということになった。

 正直、

「毎月だと、あっという間のことだ」

 という感覚と、さすがに、

「お金が持たない」

 という金銭的な事情もあったのだった。

 もっとも帰省する理由としては、

「妹に逢うため」

 というのが、一番の理由で、親はどうでもよかった。

「どうせ、母親は義理だしな」

 ということで、変に帰省すると、一緒に暮らしている時はそこまで感じなかったが、義母の余計な気の遣い方というのが気になるのだった。

 妹とすれば、

「実の母親なので、自分のような気の遣い方はしないでいいのだろう」

 確かに、父が、義理だということで、気にしないわけにはいかないということも分かっている。

 以前、毎月のように帰っていたのは、

「父親の妹に対しての接し方が、自分がいなくなったことで変われば怖い」

 と考えたからだった。

 考えすぎと言われれば、確かにそうなのだが、

「いくら義母がいるとはいえ、血のつながらない男と、若い年頃の娘がいる」

 ということになるのだ。

 自分が帰省した時、妹が異常に喜んでくれたのは、

「そういう父親の圧力が怖かったからではないか?」

と感じていたが、それは、

「考えすぎではないか」

 と感じた。

 ただ、

「兄貴の自分から見ても、義妹は魅力的で、もし自分が親父の立場だったら」

 と思わないでもないことから、そんな自分に嫌気がさしたこともあったのだ。

 実際に、

「帰省の回数が極端に減った」

 というのは、

「そんな妹を見る自分の目が怖かった」

 というのが、本音だったのだ。

 妹に対していかに対応するか?」

 というのは、父親を見ていて、それを、

「反面教師ということにしよう」

 と考えることで、どこか、自分が言い訳の元、生きているように思えるから不思議だったのだ。

「俺は妹のことが好きなのか?」

 と思い始めたのは、妹が、高校生の時だった。

 制服姿を見て。

「こんなに妹はかわいかったんだ」

 と感じた時だった。

 その頃、就職してからまだ仕事にも慣れていない頃、頭の中では、、

「営業だって俺にはできる」

 と思ってはいたが、実際にやってみると、

「考え方がまったく違って、自分が正しいと思うことがまったく通用しない」

 と考えることで、何度となく、なやみとしてぶつかってしまうという、結界を感じていた時のことだった。

「妹のことを考えていれば、頑張れる」

 と思うようになった。

 それは、いわゆる、

「癒し」

 ということで、癒しがあるから、いつも、

「まるで観音様のごとく」

 とばかりに、自分では拝み倒しているつもりであったが、そこに、恋愛感情がまさか含まれていると感じていたのだろうか?

「いや、間違いなく含まれていたことだろう」

 自分にとっての妹が、これまで誰とも付き合った経験がなかったことが、

「俺がモテないだけなんだ」

 ということで諦めていたのだが、その時に感じたのが、

「俺は、昔から妹が好きだったんだ」

 と思ったことだった。

 もちろん、妹が家に来るまでは、

「本当に女性にモテなかった」

 ということであろうが、今から思えば、

「妹が家に入ってから、自分を見る女性の視線が少し変わった」

 とも思っていたが、それまで何しろ、

「彼女が一人もいなかった」

 ということでの、

「負の実績」

 というものが、

「女性を見る目だってないに違いない」

 と感じるようになったのだった。

 ただ、家に来た時の妹は、まだまだ中学生で、

「まだまだ子供」

 ということだった。

 母親もまだ、30代で、若かったこともあって、

「ひょっとすると、その時最初に意識したのは、義妹ではなく、義母だったのではないか?」

 と感じていたのだ。

 だから、逆に、

「妹に対して、妹として以外の感情を持ってはいけない」

 と考えた。

 それはあくまで、

「モラル」

 としての感覚であり、大学生の頃の葛城の性格そのものといってもよかったであろう。

 ただ、気になったのが、

「ここまで年が離れていて、妹というのは」

 と考えると、

「だからこそ、血がつながっていない」

 ということでの自分を納得させる気持ちであり、そのせいで、

「恋愛感情が浮かんだとしても仕方がない」

 と感じるのだが、

「それは許されることではない」

 という、

「結局、モラル的なことに戻ってくる」

 という発想だったのである。

 実際に、

「世の中には、年の離れた兄妹というのは多く存在している」

 ということであるし、それが

「義理の仲」

 というのも多いだろう。

 しかし、

「義理ということだからこそ、苦しむということもあるはずだ」

 ということで、実は最初から、

「義理の兄妹」

 ということを気にしていたと思うのだった。

 それを、苦しみとして受け入れないようにしないと、

「きついのは自分だ」

 ということになる。

「今までの人生を振り返ると、確かに、ここまで意識したことはなかった」

 と思った。

 しかし、そんな義妹と、別れを告げられる時が実際に来ようとは、夢にも思っていなかった。

 それも、自分からではなく、妹の方からであった。

 というのは、

「お兄ちゃん、私、今度結婚しようと思っているの」

 といってきたからだ。

「えっ、結婚?」

 といってあっけに取られている葛城を横目に、何とも言えない、まるで、苦虫を噛み潰したかのような表情になった妹の心境を、慮ることはできなかった。

「どこか寂しさを感じている」

 と思ったのは、自惚れであろうか。

 それまでは仕事において、

「自信過剰は悪くはないが、自惚れはあまりいい傾向ではない」

 と思っていたのだ。

「まさか妹に対して、いけないと思っている態度を取るなんて」

 と思ったが、それを妹が感じたかどうか分からないが、出してしまったことに対して、自己嫌悪に陥ったのだった。

 妹は、

「お兄ちゃんの気持ち、私分かっていたわ」

 という。

 そして、妹は、

「私もお兄ちゃんが好きだったのよ」

 という爆弾発言をした。

 さらに、妹は、

「お願い、最後に一度だけ、私を抱いて」

 と言い出すではないか。

「何を一体」

 というと、

「私、実はお兄ちゃんを待っていたの。でもお兄ちゃんが私のことをモノにしようとしてくれないので、しびれを切らしたの。そこで、私にプロポーズしてくれた人と付き合うことにしたの」

 というではないか。

「俺は……」

 と言いかけたが、それに構うこおなく、いや、遮るように、妹は言葉を続けた。

「その人は、お兄ちゃんに性格的に似た人で、きっと私が待っていた人だと思ったのね、彼も、私のことを、ずっと前から意識していて、ずっと前から知り合いだった気がするっていってくれたの、それが私は嬉しかったの」

 という。

「それなのに、どうして俺に抱いてほしいと?」

 と聞くと、

「お兄ちゃんとは、最初で最後の思い出を作りたいの、いいでしょう?」

 と、今度は、完全な、

「おねだり」

 であった。

 それが、おねだりだったことで、葛城は完全に負けてしまった。妹の思いを遂げさせてあげようと思ったのだ。

 いや、自分の欲望に正直になろうと思っただけのことで、ここで何かを言えば、すべてが言い訳でしかないということになるのであった。

 実際、今まで彼女がいたことがなかった葛城だったが、それを、義妹に知られるのが嫌で、

「実は彼女がいる」

 というようなそぶりを見せていた。

 本来であれば、

「彼女もいないのに、いるというようなそぶりを見せる」

 というやり方は、葛城としては、

「これほど嫌なことはない」

 といってもいい。

 彼には彼で、プライドというものがある、

 もちろん、妹に対して、

「お兄ちゃんはモテないわけではないんだぞ」

 ということを思わせたいというプライドもその一つであるが、それ以上に、

「友達などに、彼女もいないのに、いかにもいると思わせるのが嫌だ」

 という、別の意味でのプライドだった。

 妹のような、

「特別な感情を持っている相手」

 と、

「普通に友達」

 という第三者というには、憚られるような相手に対してとでは、そのプライドの示し方が、正反対だったりするのだ。

 だから、

「友達を対象として考えると、モテもしないのに、モテるかのような素振りの自分が許せない」

 と感じるのだが、逆であれば、

「モテないくせにモテないと思わせるのが嫌だ」

 ということで、ジレンマに陥るということであった。

 だから、それぞれに開放的であれば、

「友達のウワサガ妹に伝わったら」

 ということであったり、

「妹の考えが友達に伝わったり」

 ということになれば、どちらであっても、自分の立場が難しくなる。

 ということで、自分が、会社に行っていて、家とは関係ないのをいいことに、

「友達と、妹を決して近づけない」

 という方法を取っていたのだ。

 だから、会社で、

「葛城に妹がいる」

 ということを知っている人はいないということになるのだろう。

 今の時代は、

「個人情報の保護」

 ということから、社員であっても、勝手に調べたりはできない。

「もっとも、そこまで親しい相手でもないのに、家族構成を知って、何になるというのか?」

 ということで、

「これ幸い」

 ということで、会社の人も、妹の存在を知らないに違いない。

 葛城は、学生時代であれば、

「彼女がほしい」

 と思っていた。

 しかし、社会人になってから、最初は、

「仕事に慣れるまで、彼女などほしいとは思わない」

 と感じていたが、仕事に慣れてくると、

「彼女くらいいてもいいよな」

 と思ったが、それは、

「実家から離れて、一人になったからだったのだ」

 大学卒豪前まで、実は、

「義妹のことが好きだった」

 これも自分のプライドから、誰にも言わなかったし、当然、その相手である妹に悟られるのも嫌だった。

 しかし、好きな気持ちに変わりはなく、

「ごまかすにも限界があった」

 と思っている。

 妹にも、

「悟られたくはない」

 という思いと、自分が感じていることを、妹に対して好きだという気持ちでないまでも、何か、様子がおかしいというとことまでも知られなくないという思いが強かったのだ。

 だから、自分でも、

「俺の気持ちはどこにあるんだ?」

 と、感じている気持ちが、まるでカオスの中にいるようで、どうしていいのか分からずに、パニックになっていたのだ。

 だから、実は会社で、

「転勤」

 と言われた時はありがたかった。

 まだ大学生の頃は、まだ子供だったので、そこまで感情が性的ではなかったが、中学生から高校生になってくると、見る目が完全に性的な目で見ている自分を感じたのだ。

 特に、自分が高校時代など、

「同級生の女子からは相手にされていない」

 という自覚があり、同級生男子と女子が付き合っているというウワサを聞くと、嫉妬に溢れる気分になっていたのだが、それだけではなく、

「高校時代はこの三年間しかないんだけどな」

 という特別な感情しかなかった。

 というのは、

「自分の同級生は、自分と同じように年を取っていく」

 という考えで、自分の中では、

「同級生との恋愛感情しかない」

 と思っていたのだ。

 それは、

「自分よりも若い子は、子供にしか見えない」

 ということであり、年上の女性は、

「今は大人の女性と思うのだが、自分がその年齢になれば、向こうも年を取っているので、同じ目では見れない」

 ということで、

「下から見上げるしかない」

 と思うと、結局、

「同級生しか、同じ目線で見ることはできない」

 と思うのだ。

 そうなると、

「彼女たちを、女子高生として見ることができるのは、この三年間しかない」

 ということで、その考えというものが、

「一人の誰かを好きになる」

 ということではなく、

「女子高生としての、その子がいい」

 ということである。

 そうなると、彼女はそのまま年を取らないわけではなく、その時他に付き合っている人がいれば、もう自分にはどうすることもできない」

 と考えるのだ。

 だから、

「同級生しか好きになれない」

 と、自分の中で、ストライクゾーンを狭める結果になったということであった。

 だが、実際には自分が大学生になると、新たな高校生が生まれてくるわけである。

「当時は中学生だった女の子が大人になって、女子高生になった」

 ということであるが、その理屈は分かっているのだが、今度は自分が大学生になると、

「高校生の時に見ていた彼女たちと、それまで中学生が大人になった姿として見るのとでは、何かが違う」

 ということである。

 ただ不思議なことに、それは、自分が就職してすぐくらいまでのことであって、就職してしまうと、女子高生も、女子大生も、OLというのも、今まで考えて見ていた目線とは明らかに違い、

「皆同じようにさえ見えてくる」

 ということであった。

 それは、自分の中で、

「女性を見る」

 ということの成長が、

「そこで止まった」

 ということなのかも知れない。

 下手をすれば、そこから先、

「老化が始まっている」

 ということであり、確かに、

「人間の老化というのは、20代後半から始まっている」

 と言われているではないか。

 それを考えれば、成長が止まり、老化現象というところまではいかないが、自分の中で、

「大人としての成長が終わり、今がピークなんだ」

 と思えば、あとの成長期にいる女の子も、

「次第に、自分の今の年になるまで、自分が待っていればいいだけだ」

 と思うようになってきた。

 その考えからか、

「年上の女性」

 というのも、

「すでに成長が止まっていて、老化が始まるまでは、皆同じ年齢ではないか?」

 という感覚に陥っているのであった。

 だから、今では、

「彼女になってくれる人は、どんどん増える」

 と考えるようになってきた。

 さらに、

「これだけいれば、焦る必要もない」

 と思うようになるので、却って、

「じっくり探せばいい」

 とまで思うようになった。

 その頃には、一人暮らしにも慣れてきたので、妹のことも、半分は気にならなくなっていた。それはそれでありがたかったのだが、まだまだ若い、正常な成人男性なのである。

 それを思えば、

「性的欲求というものをどうすればいいのか?」

 と考えるようになった。

 そうなると、考えたのは、

「風俗」

 というものであった。

 大学時代までは、

「風俗というと、最後の手段だ」

 というくらいまでに思っていた。

 特に、童貞は、風俗では嫌だと思っていた。

 それは、自分が思っていた、

「うしろめたさ」

 であったり、

「罪悪感」

 というものが邪魔をする形で、どこか、

「勧善懲悪」

 という気持ちから、

「風俗というものに対しての、偏見がひどかったのであろう」

 しかし、その気持ちが変わってきたのが、

「女の子に対しての見え方」

 ということであった。

 確かに。それまでの自分が、

「罪悪感」

 のようなものを持っていたのは、そもそも、高校生の頃にあった、

「同級生の女子高生」

 というものに対しての、性的好奇心が、今のような大人になることで、少し薄らいだことで、

「罪悪感というものが、自分の中にある性的好奇心によるものだった」

 ということの裏返しだったことに、初めて気づいたことで、

「好きになるということが、罪悪感をもたらす」

 ということを感じていた高校時代こそが、

「罪悪感だったのではないか?」

 と思えてきたのだ。

「だとすると、今、大人になった自分の、身体も考え方も、自分に対して、罪悪感などというものを抱くことなく、素直に感じていればいいのではないか?」

 ということでかなり気が楽になったのだ。

 しかし、気は確かに楽になったが、それは、

「妹のことを除いて」

 ということであった。

「妹に対しての気持ちを表に出してしまったり、誰か他の人に悟られるなどということは、あってはならない」

 と思っている。

 だから、

「妹を離れて暮らすのは、実にありがたいことだ」

 と思うようになっていた。

 だから、一人暮らしを始めて、

「そのうちに彼女もできる」

 というくらいに、余裕を持っていたが、さすがに、そうは思い通りにはいかなかった。

 しかし、それでも、

「自分の中の欲求不満をどうすればいいか?」

 と考えて、

「風俗もやむなし」

 と思うことはできるようになったのだ。

 もちろん、

「自分に対しての言い訳」

 ということであることに変わりはないが。

「風俗でもいいか?」

 と、自分の中で勝手にハードルを下げていた。

 その頃までは、

「童貞は風俗で卒業はしたくない」

 と思っていたが、そのハードルが下がった。

「ここまで我慢したのだから、もういいだろう」

 と思ったのだ。

 前であれば、

「ここまで我慢したのだから、もう一息だ」

 と考えるのが普通だと思った。

 しかし、その考えが変わったのが、

「俺は大人になったんだ」

 という、女性の見え方としての目線が変わってきたことからであった。

 確かに大人にはなったが。それは、

「余裕を持つこと」

 ということであったが、逆に、

「余裕を持てるようになる自分を作る」

 ということを考えると、

「何も我慢などすることはない」

 と思うようになった。

 実際に、時代背景もそういうことで、以前ほど、

「我慢をしなくてもいい」

 という風潮があり、

「今まで我慢しなければいけない立場だった人間が、声を高らかに自由に主張する時代だ」

 ということである。

 それを思えば、

「今の風俗業界は?」

 ということで見てみると、

「女の子も、仕事にプライドを持っていたり」

 であったり、あるいは、

「風俗に入る理由も、昔のような、暗い事情がある場合ばかりではない」

 といえるだろう。

 そう思うと、

「それだけ市民権があり、しかも、使うお金だった。自分が、頑張って仕事して設けた金ではないか」

 ということから、

「女の子というものも、プライドを持ってやっているんだ」

 と考えると、

「まるでアイドルを応援するファン」

 というような心境になってきた。

 だったら、

「何が恥ずかしいというのか?」

 ということであり、欲求不満を別の形で発散させようちして、犯罪に走ってしまえば、「気の毒なのは、被害者の女性たちではないか?」

 ということになる¥

 それを考えると、

「彼女たちの存在が、犯罪の抑止になっている」

 ということであれば、却って悪どことか、

「社会貢献している」

 といえるのではないだろうか?

 それこそ、百歩譲って、

「必要悪」

 という言葉で言い表せるのではないかと考える。

 というのも、

「必要悪」

 と言われているもので、

「パチンコ屋」

 を例に出す人もいるだろう。

 もちろん、それに関しては諸説あることになるだろうが、そもそも、

「暴力団の資金源」

 と言われていたものを、

「合法」

 ということにすることで、資金源になりにくくしたということを考えると、そこにあるのが、

「合法ということで、法律の保護下にある」

 ということである。

 パチンコ屋も、性風俗業界も、それおれに、

「風俗営業法」

 というもので守られている。

 そして、

「悪」

 と言われる根源としての根拠を、法律によって規制することで、その悪という考え方を、

「合法」

 ということにするため、法律で縛るということは、

「元々問題となり、法律で規制しなければいけないものを、遠回しだが、検挙したり、帰省するために、資金源として利用させない」

 ということを考えると、

「パチンコ屋」

 というものも、

「風俗営業」

 というものも、社会全体で考えれば、

「本当に悪なのだろうか?」

 ということになるだろう。

 パチンコも風俗も、今の時代で、

「悪だ」

 と言われることとして、問題なのは、

「依存症」

 ということであろう。

 人間の中にある欲望を餌にしていると考えるから、

「依存症というものになった場合、その人が不幸になる」

 という考えであろうが、それも、最初から、

「パチンコや風俗は、依存症ありきで、危ない」

 ということを、

「必要以上に宣伝するということからきている」

 とも考えられないだろうか?


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