第59話 救われた夜

「神山祭な、アウトになるかも知れんわ」


保津川下りから帰ってきた夜、またもや嵐山で買ってきた辰ちゃん漬けで白ご飯を食べようと米を研ぎ始めたところに、タカトモから電話がかかってきた。


「え?ほぼイケるって話やったんちゃうん?」


「あれや、『自粛』ってやつや」


受話器越しのその一言で、ここ数週間のテレビ画面の光景が脳裏によみがえった。


◇    ◇    ◇    ◇


タカトモのバンドに僕がベースで参加することが決まった頃から、テレビでは天皇陛下のご容態について報道され始めていた。

10月に入ると、「急変」「自粛」、そんな単語を耳にする機会が増え、車のCMから井上陽水の「皆さん、お元気ですか?」という声が消され、チェコレートCMの工藤静香の「その日が来ました」は放送中止となり、台詞を差し替えた編集版が放送された。


最初のリハで手応えを感じ、ライブハウスのオーナーから「自分ら、いけるやん」という言葉をもらった僕達は、

まさかそんなテレビの向こうの事件が自分たちに関係してくるなんて事は夢にも思わず、毎週練習を重ねつつ、同志社EVE、神山祭、つまりは僕とタカトモのそれぞれの学祭に、学外メンバー混成バンドでライブ出演できるよう、確認と根回しに奔走していた。


同志社EVEの規約には、


「出演団体は同志社大学の公認団体であること」

「他大学メンバーがいる場合は、学内集会届か学外行事届を事前に提出し、大学の許可を得ること」

「出演内容・演奏曲目は事前に実行委員会の審査を受け、校風・風紀に反しないと認められたものに限る」


なんて条件が並び、演奏曲目も実行委員会の審査付きだ。


京産側は軽音部員のタカトモが代表者ってことでかなり楽ではあるが、それでも完全フリーというわけじゃない。

規約には、


「出演申込および責任者は京都産業大学の学生であること」

「学外メンバーがいる場合は、実行委員会と学生支援センターの承認を得ること」


とあって、こちらも事前申請とお墨付きが必須だ。

企画内容や演奏形態も事前審査があり、当日は実行委の指示に従うことになっている。

要するに、どっちの学祭も“学外者は顔パスでは出られない”仕組みだ。


とりあえず、よりハードルの高そうな僕は、「広告研究会 企画部長」の名刺を持って、もっともらしい企画書をでっち上げ、

二回生までの第二外国語のスペイン語で顔と名前だけ知ってた軽音サークルの部長に接近し、学食の昼飯をおごり、実行委員会のメンバーを紹介してもらって、またもっともらしいプレゼンをし、

新福菜館でラーメンをおごり、どうにかこうにか、軽音サークルの特別枠に入れてもらえそうなところまで話を進めた。

ちなみに実行委員には、黒すぎて光吸ってるんちゃうかというチャーハンも付けた。


神山祭の方は、ほぼいける、そんな見通しをもらって、メンバーで祝杯も上げた。

まあ、王将の餃子とビールだが。


◇    ◇    ◇    ◇


「神山祭な、アウトになるかも知れんわ」


タカトモとの電話のまさにその最中、テレビから流れる「最大量の下血」というアナウンサーの声が耳に入った。


「ほな、学祭自体なくなるんか?」


僕は訊いた。


「いや、神山祭そのものはやるらしいんやけど、金曜に軽音の部長が『天皇陛下の容態がこれ以上悪化したら、学外のメンバー入れてとかの派手な事はやめろってなるかも知れん』言うてたんや」


「なるほど。ちょうど今テレビでその『これ以上』のニュース流れてるわ。」


「お前の方は、どうなんやろな?」


「分からん…僕は直接軽音部員とかやないから、明日にならんと情報入ってきーひんわ」


「まあ、お互い何かはっきりしたらまた連絡取ろうか」


そう言って電話は終わった。

受話器を置いたあと、なんとなくテレビの方を振り返る。

画面の端には「天皇陛下ご容態」のテロップ、アナウンサーが静かにご容態の経過を読み上げていた。


正直、頭の中は学祭ライブのことと半分こ。

ライブが飛ぶのは痛いけれど、画面に映るあの字面が重たく感じるのも確かだった。

子どもの頃から当たり前に「そこにおられる」存在だった人の病気や、国中が落ち着かない空気になるのを、どうにも他人事にはできなかった。



そしてやはり翌日、こちらも「学外メンバーを入れてのライブは許可できない」という通達が実行委員会から軽音サークルに降りてきた。


「中田くん、ごめんな。これは俺の力ではどうしようもないわ」


昼休みの学食で、部長が謝ってきた。


「いやいや、これは謝ってもらうような事ちゃうて。むしろありがとうな、色々」


僕はそう言って席に座り、Bセットの唐揚げ定食を食べ始めた。


◇    ◇    ◇    ◇


「こっちもあかんかったわ」


タカトモがメンバーにそう言ったのは、水曜日のことだった。

昨夜電話で、夕方4時に集合という連絡が回ってきた。

僕は舞子も誘って、2人で三条木屋町まで自転車でやってきた。


「おー!舞子ちゃん、今日も一緒か?」


タカトモはそう言って僕をニヤリと見てから、ニシケンとコウジに


「親戚の子なんやて。なんやエラい懐いてるみたいやけどな」


と舞子を紹介した。


「こんにちは」


舞子がペコリと頭を下げる。

例によって初対面の相手にはガチガチだ。


────


タカトモの知らせを受けて、僕達は黙り込んだ。


「しゃあないな…」


「でも、せっかくええ感じでまとまってきたのにな…」


「どっかででけへんかな?」


「いやあ、まだ何の実績もない学生バンドなんか、どこも出してくれへんやろ…」


舞子は所在なさげに、そんな僕達の様子を見ていた。



「あれ?自分ら今日は楽器は?」


カウンターの準備をしているスタッフに指示を飛ばしていたオーナーが、僕達の様子に気づいてやってきた。


「いや、それがね…」


タカトモが事の次第をオーナーに説明する。


と、


「渡りに船や!」


とオーナーが大きな声を出した。

僕達は一斉に顔を上げてオーナーの方を見る。


「いやな、今週の日曜日のブッキングで、1バンド急に都合悪なった言うて穴空いてしもたねん。なんや、ボーカルが盲腸なってもた言うてな」


「ほんでやな、出てくれる他のバンド探さなあかんねんけど、もう4日後やろ?なかなかそうもいかんかってな」


「自分ら、学祭のライブなくなったんやろ?もしなんやったら、ウチで日曜日やらへんか?」


「「「「え!?」」」」


僕達は一斉に声を上げた。


「ええんですか?僕らで?」


「おう。ここんとこ毎週自分らの練習聴いててな、まだまだ荒削りなとこはあるけど、その荒削りなとこが何ていうかな、パワーっていうか、小賢しくまとまった最近のバンドにはないもん感じてな。ほやから、その内に声かけようとは思てたんや。」


「「「「うぉー!やった!!!」」」」


僕達は沸き立った。

こちらこそ渡りに船だ。


「ほな、やってくれるんやな?」


「喜んで!」


そこから話は早かった。


その日の出演バンドは自分ら入れて4バンド、夜7時スタートで、各バンド転換込みで45分ずつ、終了予定は夜10時。

自分らの出番は、キャンセルしたバンドの位置にそのまま入ってトリの前。

サウンドチェックは逆リハで15分ずつやるから、開場の6時の1時間前の5時から、自分らはトリ前やから、5時過ぎくらいに来てくれたらええ。

あ、バンド名だけ考えて教えてくれ。


あっという間に全部決まり、僕達は順番にオーナーと握手をした。

舞子はそんな様子をニコニコと見ていた。


「良かったね!ハルくん!」


「ハルくん!?」


コウジが目ざとく舞子の言葉尻を捉えた。


「ハルくんねえ、ほな、俺もハルくん♪て呼ぼかな」


「いや、やめて…」


ニシケンもタカトモも笑っている。


「ほなな、ハルくん!」


「バイバイ!ハ~ルくん♪」


「やめてって…」


そう言ってビルの下で解散した。


「よかったね、ハルくん」


改めて舞子が言う。

こっちが本家だ。安心する。


「うん。舞子も観にきてな」


「もちろんだよ!しかも私の誕生日の前の日!」


そういやそうだった。

ライブの次の日は舞子の17歳の誕生日だった。


「楽しみやな。…ところで、お腹すかへん?」


「うん。実は私もそう思ってた。」


そう言ってビルの案内板を見上げると、

7階のところにデフォルメされたニワトリの絵と

「LATIN BAR & FOODS COCK-A-HOOP」の文字があった。


「ラテンバーだって。食べものもあるみたいやし、行ってみる?」


「ハルくんが一緒なら、行ってみたい!」


エレベーターを降りると、オレンジ色のランプと白い漆喰の壁、遠くから聞こえるパーカッション。

扉を開けた瞬間、スパイスとライムと、聞いたことのないリズムが一度にどっと胸に飛び込んできた。


出てきたのは、熱々のトルティーヤと具材が並んだタコスの皿。

肉とトマトとレタスとチーズを好きなだけ重ねて、最後に「サルサ」と呼ばれるトマトソースをのせて巻いてかぶりつく。


「……おいしい!」


舞子が目尻をくしゃっとさせる。

タバスコをかけすぎて一度だけ口の中を火事にしたけれど、それも含めてやけに楽しかった。


カウンターの向こうで、マスターがにやりと笑う。


「これはね、サルサって音楽。キューバだのニューヨークだの、いろんなものがごちゃ混ぜになったやつですわ」


強いパーカッションと、うねるベースと、胸の奥をぐっと掴むホーン。

陽気なのに少し悲しくて、じっとしていられなくなる。


その夜、僕は初めて「サルサ」という音楽を覚えた。

ここ、COCK-A-HOOPは、それから何度も僕と舞子が通うことになる“行きつけ”の店になる。


ライブの予定と、ふたりのお気に入りになりそうな店。

どちらも、これからの季節を少しだけ明るくしてくれる気がして、

僕は舞子の横顔を見ながら、胸の奥がそっと温かくなるのを感じていた。

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