第33話 罪の匂いと開拓の鍋
やってしまった。
文字通り、やってしまった。
朝起きると、左手がしびれていた。
ユリカが、僕の腕に頭をのせて寝ている。
枕を奪われたからか、首が痛い。
「……なんで、こうなるかな」
部屋には、脱ぎ捨てたユリカの衣類が無秩序に散乱している。
舞子の朝顔が、窓の向こうで咲いていた。
さて、どうしたものか。
とりあえず、このままユリカがここにいるのはまずい。
今は朝の8時。お昼には舞子がバイトから帰ってくる。
別に舞子とは恋人でもなんでもないし、彼氏のいるユリカからはともかく、僕の側からは浮気でも何でもない。
強いていうなら僕は間男だが。
だからといって、こんな生々しい現場を舞子に見せるわけにはいかない。
というかその前に、“祇園祭を案内してあげた親戚の子”である舞子がここに“帰ってくる”のがおかしい。
「ハルくんただいまー!」とか言って帰ってきてユリカと鉢合わせなんかした日には、
「私に捨てられたからついに子どもに手を出して、しかも同棲までしているハルヒト」
という話を、面白おかしく喧伝されてしまうのは火を見るより明らかだ。
果たして、どうやったら機嫌を損ねずにユリカに帰ってもらうか…。
学校…はもう夏休みだ。
バイト…は、一緒に店に行って客になるって言うだろう。
タツヤ…は、ユリカも顔見知りだから「久しぶりに会いたい」とか言い出しそうだ。
ユリカと一緒に部屋を出て、ユリカはついてこなくて。
それで、ユリカと分かれたらすぐに戻って舞子が帰ってくるまでに部屋の片付けと点検ができる状態にしなくてはならない。
何かないか…
時間だけがやたら早く進んでいく。
あ、あった!
「ユリカごめん、実は今日11時から関大の広研との例会があって、もう出やんとあかんねん。駅まで自転車で行って地下鉄乗らんと。」
「えー?じゃあハルの朝ごはん、食べられないってこと?」
「うん。時間あったらクロックムッシュでもフレンチトーストでもエッグベネディクトでも作ってあげたいんやけど、ほんまごめん!」
「仕方ないなあ…関大ってことは大阪まで行くの?」
「うん。吹田まで。烏丸今出川から地下鉄乗って、四条で阪急に乗り換えて、淡路で千里線に乗り換えて」
多分この時の僕はすごい早口だったと思う。
「分かった。じゃあさ、朝ごはんのかわりに一つお願いきいてよ?」
なんで朝ごはんを作ってあげることが当たり前で、それが無理ならペナルティ、みたいになってるのか理解はできないが、今はそれよりも、事態の収束が最優先だ。
「ん…なに?」
「合コンセッティングしてよ」
「は?」
「合コン。ハルの友達のいい男、紹介して!?」
おい。お前は昨夜、俺と一夜を過ごしたんじゃないのか?
それに阪大の彼氏は?
と口から出かかったが、呑み込んだ。
こいつはそういうやつだった。
ユリカは、僕が友達といる場所に、他の女を連れてくることで、僕の日常に自分の影を残し続けるつもりなんだ。
「分かった。ちょっとメンバーとか色々考えとくわ。また連絡する」
「絶対ね。」
やっと納得してくれたユリカと一緒に部屋を出た。
河原町通まで出れば、ユリカの住んでる西院までバス一本で行けるはずだ。
僕は自転車を押してバス停まで一緒に行った。
賀茂大橋を渡る時、右手の方から
「あら、今日は違う女性なんですね?」
という鴨川デルタの声が聞こえた気がしたが、もちろんそんなものは僕の幻想だ。
「じゃ、また合コンの件、連絡するわ」
「オッケー。じゃあね!」
そういってユリカは僕の頬にキスをした。
朝っぱらから人前でそういうことをする、こいつはそういうやつだった。
僕は自転車にまたがって烏丸方面に急ぐふりをして漕ぎ出し、バスが僕を追い越したのを確認してから、猛ダッシュでアパートに戻った。
今度は賀茂大橋の左側から
「あら、お早いお帰りで」
という鴨川デルタの声が聞こえた気がしたが、もちろんそれも僕の幻想だ。
◇ ◇ ◇ ◇
「わ!あと2時間ちょい!」
舞子は早い時には11時半頃に帰って来る。
僕はまず、夜の匂いの残るマットレスの上のブランケットとシーツをバサバサと丸め、ランドリーボックスにしているトートバッグに無理やり押し込んだ。
次に、ユリカが散らかしていったテーブルの上のグラスを流しに持っていって洗う。
その次は掃除機がけ、そして注意深くコロコロをかける。
舞子は癖っ毛なのに、長い真っ直ぐな毛が落ちていては不自然だ。
掃除と片づけが終われば、次は痕跡チェック。
以前、薫子がこの部屋に出入りしていた頃に、香織がいたずらでわざと真珠のピアスをベッドの下に置いていって、それが見つかって大変なことになったことがある。
その薫子だって、僕の部屋に歯ブラシや部屋着を置いたまま音信が途絶えた。
何だってみんな、マーキングしたがるのか?
野生動物なのか?
それともユーミンへのオマージュか?
洗面所、よし。台所、よし。ベッド周り、よし。トイレ…
わー!ペーパーが三角に折ってある!
僕も舞子も普段そんなことはしない。
と、ふと気づいた。
かわいいウサギ柄のマットと蓋カバー、ふわふわのピンクのタオル。
トイレだけじゃない。
部屋のあちこちにあるぬいぐるみ、編みかご等など、およそ男子大学生の一人暮らしには似つかわしくないものがこの部屋には溢れているじゃないか。
全部、いつの間にかすっかりこの部屋のもう一人の主になっている舞子のものだった。
ユリカは何も言わなかった。
人一倍、自分と自分以外のものの境界に敏感な彼女が気づかないわけがない。
でも、何も言わなかった。
それが何を示唆しているのか…僕には分からなかった。
ともあれ、昨夜の生々しい痕跡の隠蔽を終えた僕は更に、
かすかに残ったお酒と香水の匂いを消すためと、変わりない日常感の演出と、僕自身を落ち着かせるためにコーヒーを淹れた。
ついでに舞子のシャンプーを少しだけティッシュに染ませてゴミ箱に捨てておいたのはやり過ぎだったか。
「ハルくん、ただいまー。今日は暇だったからいっぱいパン貰ってきたよ。私のカップスープあるから一緒に食べよう?」
舞子が帰ってきた。
部屋に入っても、何も違和感は覚えてはいないようだ。
僕はホッとしてケトルを火にかけてスープカップを出した。
◇ ◇ ◇ ◇
さて、合コンである。
完全に無茶振りなんだから無視してしまえばいいんだけれど、
どうにもこうにも僕は付き合っていた頃からユリカからの司令には逆らえない体質になっていた。
別れて2年近くが過ぎた今でも、その呪いはまだ有効だったようだ。
合コン、どうしたものか。
メンバーは、タツヤとヒロくんとマサキとタカトモを誘えば二つ返事でOKするだろう。
ただ、相手の女性陣に元カノがいる合コンなんて、どう考えても僕は楽しくない。
気になる子がいても、監視カメラ付きで手足を縛られているようなものだ。
考えあぐねているところに、電話のベルが鳴った。
功一叔父さんからだった。
近江舞子でビーチカタマランに乗せてくれて、米軍払い下げのスタンレーの水筒を僕にくれた、あのヨットマンの叔父さんだ。
今は仕事でアメリカのテキサス州にいるはずなのだが。
「おおハルヒト。久しぶり。突然やけど、明日忙しいか?」
明日の日曜は、僕も舞子も休みだけれど特にどこにも行く予定は立てていない。
特に用事はないと伝えると、叔父さんは、滋賀まで来られないかと言う。
滋賀?帰ってきてるのか?
「ええけど、どうしたんですか?」
「いや、久しぶりに帰国して来てるんやけどな、サンアントニオっていう基地の街で面白いもん見つけてお前への土産に買うてきたから、取りにきーひんかと思ってな。」
功一叔父さんは、詳しくは知らないのだけれど仕事で海外に駐在していることが多く、たまに日本に帰って来る。
帰ってくる度に小さな娘がびっくりするくらい成長しているのを見るのが楽しみなのだが、あまりに会ってないから帰国してもお父さんだと認識してもらえず、最初は大泣きされてしまうのが悩みのタネだという。
アウトドアが大好きで、自分の子供とキャンプをしてヨットに乗るのが夢だったそうで、でも生まれてくるのは女の子ばかり。
なので、娘は娘で最大限の愛情を注ぎつつ、男で、アウトドアにも少なからず興味のある僕を何かと可愛がってくれるようになった。
「舞子、明日滋賀県までドライブ行く?」
「行くー!そしてまた鮒ずしとバームクーヘン買ってくる!」
じゃあ明日車で行きます、と叔父さんに伝えて僕は電話を切った。
舞子はすっかり滋賀のディープなグルメにハマっているようだ。
◇ ◇ ◇ ◇
「京都~大原、三千院♪」
またハモりながら大原を越え、途中を越え、堅田の町に降りる。
叔父さんの家は、国道161号線を少しだけ南に降りた浮御堂のあたり。
琵琶湖が見える庭に停められた巨大なランドクルーザーの横で、叔父さんは逃げる娘たちを追いかけては抱き上げていた。
「こんにちは~」
声を掛けると、叔父さんはこちらに振り返り
「おー!ハルヒト!久しぶり!えっと、こちらは?」
「あ、舞子って言います」
僕は当たり前のように舞子を紹介した。
叔父さんは昔から、僕が連れてる女の子が変わろうが、年上だろうが年下だろうが、ワンレンボディコンだろうが行き過ぎたサブカルファッションだろうが、全くフラットに接してくれる。
偏見もないし、細かいことも詮索しない。
「はじめまして、舞子です。ハルヒトさんにはいつもお世話になってます」
舞子も叔父さんのそんな空気を感じ取ってか、今回は初対面でも全く緊張していない。
「ハルヒト、こっち来い」
そう言って叔父さんは、僕達をガレージに連れて行った。
そこには、黒光りするゴツい鍋と、これまたゴツくて真っ赤な、開閉できる蓋のついた箱、そして、鎖のぶら下がった3本脚の重そうなスタンドがあった。
真っ赤な箱は多分クーラーボックスのように見えるが、鍋と3本脚スタンドは初めて見るもので、どう使うものなのか想像もつかない。
「持ってみ?」
叔父さんは鍋を僕に渡す。
受け取った瞬間、予想をはるかに上回る重さに、僕は危うく落としてしまうところだった。
真っ黒な鍋肌は分厚く、蓋までもがとんでもない重量感だ。
「おも。これ何ですか?いや、鍋やってことは分かるんですけど、こんなゴツくて重い鍋初めてみました。」
「これはな、ダッチオーブンって言うて、まあ、アメリカの開拓魂の象徴みたいな鍋や。」
そう言いながら叔父さんは、鍋の蓋をそっと外して中を見せてくれた。
黒く鈍い鋳鉄の肌。
底も分厚く、側面も直角に立ち上がっていて、どっしりとした重みが目にも感じられる。
「開拓時代の西部やと、家族で旅してる最中、これ一個で全部まかなってた。煮る、焼く、蒸す、炊く、揚げる。なんでもできるんや。」
「でもこんなに重たいのを持って…?」
「せや。だから“男の料理”言うんかもしれんな。重いけど、そのぶん熱が均一に伝わる。炭を蓋の上にも置けば、上下からオーブンみたいに火が入る。グラタンとか、ローストチキンとか、パンとかも焼けるで」
「へええ…」
「慣れるまでは使うのにちょっとクセあるけど、道具としての信頼感は抜群や」
そう言って叔父さんは、鍋の横にぶら下がっていた鎖と三脚を指さす。
舞子も興味津々で身を乗り出した。
「これはトライポッド。火の上に吊るすためのスタンドや。吊るせば、直火でも火加減の調節がしやすい」
叔父さんは次にダッチオーブンをひっくり返して僕に見せた。
「見てみぃ、三本足がついとるやろ?吊るしても、焚き火の上に直接放り込んでも、どっちでもいけるように設計されとるんや。」
「こっちはクーラーボックス?」
「せや。コールマンのスチールベルトクーラー。通称『スチベル』や。」
「けど、アヤハディオとかで売ってるちゃっちいヤツとは違う。こいつを積んでた車が事故って車両火災で全焼したけど、スチベルの中の氷は溶けてなかったっていう伝説もあるやつや。前の日から氷入れて予冷しといたら、真夏に3日キャンプしても中の氷残ってるんやで」
「すごいねー、ハルくん」
舞子の声を聞きながら、僕はその無骨なセットを見つめた。
旅、自由、野営の匂いがした。
「あ。」
僕は突然ひらめいた。
ユリカの司令の合コン、僕にとっては元カノのいる絶対に面白くない合コンの解決策。
みんなでバーベキューに行けばいいんだ。
僕はタツヤたちを連れて行く。ユリカはユリカの女友達を連れてくる。
そのメンバーでバーベキューなら、合コンという名目も立つし、僕も叔父さんから貰ったこのアメリカの開拓魂を使って楽しめる。
申し訳ないが、舞子には広研のイベントだということにして留守番していてもらおう。
ちょっと胸は痛むが、それが一番問題なく全てが解決するプランだ。
…が、しかし、謀(はかりごと)というのは思った通りには進まない。
◇ ◇ ◇ ◇
「ねえねえ、バーベキュー行くんでしょ?!次の日曜日!この前あのカッコいい叔父さんからもらった道具使って、ハルくん何作るの?」
バイトから帰ってきた舞子が、開口一番そう言った。何で知ってる?どこから漏れた?
「今日ね、タツヤさんが私のバイト先のホテルモーニング来てくれて。彼女さんと泊まってたんだって」
タツヤか!
「それでね、『次の日曜日のバーベキュー、舞子ちゃんも来るんやろ?』って。昨日の夜決まったって言ってた。私寝てたからハルくん話できなかったんだよね」
しまった。そうだった。
昨夜、舞子が寝たあとで、タツヤやマサキたちに電話でバーベキューに行こうって話をした。
ユリカが絡んでるって言うと、しかもそれで合コンだなんて言うと色々と追求されて面倒くさそうだったから、「他の大学の女の子も来るバーベキュー」としか言わなかったんだ。
それでタツヤは、いつもの仲間内のバーベキューに、ちょっと華を添えてくれる女の子も来る、くらいに思って、なら当然舞子も来ると思ったんだろう。
ヤバい。
が、ここは平常心だ。
「うん。舞子も行くやろ?功一叔父さんのあの道具使ってアメリカンな料理作ったら、みんなびっくりすんで」
動揺を舞子に悟られないように僕は言った。
「やったー!!バーベキュー!私、小さい頃からお父さんがバーベキューとかキャンプとか好きでよく連れてってもらってたから、大好きなんだよ!しかも結構役に立つと思うよ!」
もはや後には引けない。
祇園祭に続いてユリカと舞子が顔を合わせるのが、しかもあんなことがあった後なのが不安ではあるが、そこはアウトドアの魔力で乗り切ろう。
よもやデスバレーに迷い込んだりはしないだろう。
場所は…そうだ!
かつて毎日タツヤとウィンドサーフィンに通った、琵琶湖の第2渚公園。
あそこなら、バーベキューもできる。直火もOKだ。
早めに出て、実家においてあるウィンドサーフィンも取ってきて、久しぶりにタツヤと競争もできる。
みんなも水着を持ってきて、暑くなったら琵琶湖に入ればいい。
「よし舞子!まずはメニューの作戦会議や!叔父さんに貰ったこのアメリカのアウトドアクッキングの本の解読からや!」
「ガッテンでい!」
突然江戸っ子になった舞子に僕達は大笑いして、英語の辞書を繰り始めた。
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