第一幕
雨のしみ込んだ空気が部屋に残っている。湿気が壁に貼りついて、朝になっても剥がれない。さえは換気扇を回し、窓を閉めたままそのままソファに沈み込んだ。
昨日の夜、夢を見た。
夢の中で、誰かが窓をノックしていた。
その音は小さく、でも確かに“内側から”だった。
昼休み、仕事帰りにふらりと寄った古本屋で、彼女は一冊のノートを手にした。誰かの書きかけのスケッチブックだった。表紙には、薄く鉛筆でこう書かれていた
『ゆらへ。開けたらだめ。あの人が来るから』
胸がきゅっと締め付けられた。妹の名前——ゆら。偶然にしては、出来すぎている。
ページをめくると、何も描かれていない白紙が数十枚続いた。その最後に、一枚だけ、ぐしゃぐしゃな鉛筆の線が渦を巻いていた。そこには、こんな言葉が埋もれていた
『開けたのは、だれ?』
その夜、さえは妹の遺品を探した。実家に預けた段ボールの中から、埃まみれのカセットテープが出てきた。
テープには文字が書かれていた。
『夜が見てるとき、聴かないこと』
録音された音は、無音だった。
……いや、違う。
無音のはずなのに、鼓膜が震えた。
聞こえない音が、確かに“いた”。
耳の奥で、何かが爪を立てている。
その夜、眠りは浅く、夢は深かった。
夢の中で、さえは二階の窓の前に立っていた。窓の外に、妹がいた。濡れた制服、裸足。顔は見えない。だが、それがゆらであることだけは、確信できた。
ゆらは笑っていた。
唇は動いていた。
何かを言っている。だが声は聞こえない。風の音だけが、窓の外と内をかき乱していた。
そのとき、さえは気づいた。
——この夢は、見たことがある。
起きた時、窓はまた、開いていた。
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