第14話 紫陽花祭り

 休日、揺月は母親の入っている施設に顔を出しに行った帰りのコンビニで、その張り紙を見つけた。


「紫陽花祭りか……」


 揺月の住む地方都市で毎年開催されている祭りだ。

 祭りは駅からほど近い紫陽花で有名な公園で行われ、屋台も出る。

 揺月も小さい頃両親や兄と連れだって遊びに行った記憶があった。

「…………」

 顔を出しに行った施設で、母はまた揺月の面会を断った。入居してから結局一度も顔を見られていない。

 手紙も出しているのだが、返事が返って来たことは無かった。

「……仕方ない、か」

 またため息をつきながら、スナック菓子を手にレジへと向かった。



 *



 紫陽花祭りは夕刻を避ける為、昼の部と夜の部に分けて行われ、夜の部には怪異の出没に備えて、夕暮れ怪異対策支部の人間が警備に当たることになった。


「しっかし、怪異が出る危険性があるなら昼の部だけにすればいいのに、夜もやるんですね」

 祭りの警備担当に当てられた揺月がぼやく。

「でも夜祭りの雰囲気って良いじゃない。おれこういうの好きー」

 隣を歩く櫻がのんびりと答える。

「仕事じゃなかったらもっと良かったんですけどね」

 揺月は左右に立ち並ぶ屋台を見渡した。日の落ちた公園内に屋台の明かりが皓々と輝き、その間を楽しげに人々が歩いている。中には浴衣の女性の姿もあった。

「んーここに来てなんにも食べれないのは悔しいかも。あ、イカ焼きうまそう」

「だめですよ、仕事中なんですから」


 二人とも武装はしているが、櫻はいつものナップザックも背負っていないし、私服である。端から見れば祭りを楽しんでいる一般人と大差ない。

 揺月としても仕事にしてはのんびりとした気分で祭りの風景を見ながら歩いていると、ふと人混みから小柄な影が飛び出した。

「わっ」

 とっさに立ち止まったせいでぶつからずに済んだが、飛び出して来た子供は驚いて尻餅をついてしまった。子供は赤い浴衣を着て黄色い兵児帯を締めている。

「ごめん、大丈夫?」

 とっさに手を差し出すと、子供は揺月の手にすがって立ち上がって笑った。高い位置で結んだ黒髪がひょこひょこと揺れる。


「だいじょうぶー。ごめんなさい」

 何でもなさそうに浴衣の尻を払う少女にほっとする。と、足元に艶々としたりんご飴が落ちているのに気付いた。

「これ、君の? ごめんね、だめにしちゃった」

 りんご飴を拾い上げて汚れ具合を確かめていると、少女の声が耳に響いた。

「ねぇ、おにいちゃん」

「うん?」

 これ、少女に返すべきだろうか。こっちで預かって捨てた方が良いか。

「白いワンピースの女の子が探してたよ」


 ざぁっと風が吹いた。ぎょっとした揺月が顔を上げると、屋台の照明が落ちて辺りは真っ暗だった。そして、先ほどまであれほどいた人々も姿を消していた。少女の姿もない。

『こっちだよ』

 闇の向こう側から声がした。

 導かれるように歩き出す。白いワンピースの少女。忘れもしない、父と兄を奪った怪異。揺月がずっと追っている怪異だ。あの浴衣の少女は知っているのだろうか。

『こっち』

 声のする方に歩く。祭りの喧噪に慣れた耳に、周りの静けさがきぃんと響いた。ざくざくと自分が砂利を踏む音だけが響く。


 ――そういえば櫻は?

「……櫻さん?」

 辺りを見回す。誰もいない。皆消えている。

 いや、消えたのは恐らく自分だ。自分一人だけが夕暮れに引き込まれたのだ。

 少女の声がした方向に歩くうち、黒く塗りつぶされた視界に見慣れた朱色が混じり始めた。


「やっと来たね」

 朱と黒が混じり合った空をバックに、赤い浴衣の少女が屋台の屋根の上に足をぶらぶらさせて座っていた。少女は笑っていた。

「白いワンピースの子がね、おにいちゃんが一人でかわいそうだって」

「……かわいそう?」

 刀の柄に手を掛けながら聞く。おそらくこの少女も怪異だろう。

「おにいちゃんの、お兄さんとお父さんは殺したのに、おにいちゃんだけ生きてるからかわいそうだって」

「…………!」

 揺月は目を見開いた。すぐにでも少女を斬りたかったが相手は屋根の上だ。こちらの間合いではない。それに、白いワンピースの少女についてもまだ聞くことがある。


「……白いワンピースの怪異はどこだ」

 少女は遠くを見るような仕草をした。

「ここにはいないよ。今は、遠いところ。会いたいの?」

「……ああ。会いたいさ」

「……へんだね、お互い会いたがってるのに、会えないなんて、ここは変な世界」

 少女は屋根の上に立ち上がると浴衣の裾を払った。

「……どういう意味だ」

 少女は一度口をつぐむと、真っ直ぐに揺月を見た。

「……私たちは遠くから来てるの。遠く、とおい世界」

「……異世界か?」

「……そう呼んでる人達もいる。こことは違う世界。そこから来て、そこに帰るの。私たちを殺す事はできないんだよ」

「斬れば殺せる」

「殺したと思ってるだけ。ほんとは」

 

 そこまで少女が言ったとき、背後から銃声がして、少女がよろめくように屋根から落ちた。

「ほんとは? ほんとはなんだ!」

 叫びながら駆け寄る。同時に屋台の裏にいた櫻が走って来た。


「……こっちで死ぬと、元の世界で目が覚める。私たちが死ぬ事は無い」

 ふいに少女の口調が大人びると、す、と白い手が上がって揺月の額に触れた。同時にキン、と耳鳴りがして辺りの世界が遠くなる。

 激しい頭痛に眩む視界で、揺月はしゃにむに少女に斬りかかった。辛うじて刃先が少女の身体を捕らえる。いつものぐにゃり、とした手応えがして、消える瞬間の少女は笑っていた。



 *



 揺月はその後激しい頭痛と吐き気で病院に運ばれたが、精密検査の結果、異常は無かった。大事を取って一晩入院することになったベッドの傍らには、難しい顔をした櫻がいた。


「……頭はどう。まだ痛い?」

 パイプ椅子に腰を降ろした櫻が聞く。面会時間外だが、仕事関係者ということで特別に病室に入れて貰っていた。

「……痛みはもう、なんとも。……まだちょっとぼうっとしますけど」

 言葉を交わしながらも、二人の胸中にあったのは浴衣の少女が残した言葉だった。

「……ほんとなんですかね、あれ。……殺せてないって」

 沈黙の末、揺月が呟く。

「……嘘をついてる感じじゃなかった」

 櫻は揺月が少女の元に辿り付いた時にはもう屋台の裏手にいて、奇襲の機会をうかがっていたらしい。

「……だとしたら、俺たちのやってる事って、なんなんですかね」

 重い頭を抱えてため息をつく。怪異を討つ。ただそれだけの想いでやって来たのに。

「……例え一時的に追い払えてるだけでも、人は助けてる。無駄にはならないよ」

 慰めるように櫻が言う。揺月は無言でかぶりを振った。

 理屈ではそれも正しいのだろう。だが感情が納得しない。特にあの白いワンピースの少女だけは、確実に息の根を止めたい。


「……俺は、怪異を確実に討ちたいんです」

 ベッドに半身を起こしたまま、膝の上で拳を握りしめる。

「……お兄さんとお父さんの仇、だよね。……気持ちは分かってる。……一緒に怪異を殺す方法を、探そう」


 そう言った櫻の瞳の色は、静かだが強い意志が宿っていた。

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