第31話 美波、ユーチューバーになる。

 久しぶりの再会なのに、ラブラブする事も、イチャイチャする事もない健全な私たち。話したい事は沢山あるのに、何から話したら良いか分からない。でも、海斗くんと一緒の時間は有限だから、有意義に過ごさなければ。そうだ、海斗くんの仕事を手伝おう。そうすれば、二人の時間がもっと増える。


「ねえねえ、海斗くんの仕事ってなに?」

 簡単な朝食を作って二人で食べている時に聞いてみた。しかし、プログラミングがなんたら、HTMLがCSSでどーたら。全くチンプンカンプンで仕事を手伝うという案は即刻あきらめた。 


「仕事かあ……」


 よく考えてみれば、私は一切仕事をしたことがない。学生だから当然だけど、アルバイトくらいは高校生だってみんなやっている。私は、自分でお金を稼いだことがない。なんだか、急に自分が子供のような気がして恥ずかしくなった。海斗くんは良く解らないが、ちゃんと仕事をして、こんな立派なマンションに住んでいる。


「なに、美波は仕事がしたいの?」

 鮭の切り身を上手にほぐしながら、海斗くんが聞いてきた。どうなのだろう、やってみたい気持ちはあるが自分に務まるのか不安だ。


「うーん、一度くらいは、まあ」


「やめとけ、やめとけ、別に金に困ってる訳じゃないんだから」


 お前にはムリムリ。って言われているようでカチンときた。絶対に仕事してやる。そして、そのお金で海斗くんに何かプレゼントを買う。あ、これすごくいい考えだ、採用。そうだ、ここの家賃なんかも払っちゃおうかな、夏休みの間だけでも。


「ねえ海斗くん、ここ家賃いくら?」


「え、二十三万だけど」

 に、にじゅうさんまん、だと――。


 家賃は諦めよう。

 さて、問題は何の仕事をするかだ。家を空けて海斗くんとの時間を減らす様な事はしない。それは本末転倒だ。家にいながら、自分にもできる仕事。しかも稼げる。出来れば楽に。そんなんあるかな。


 朝食を食べ終わって、食器を片した後も、ずっとその事を考えていた。そして、スマートフォンで検索していると、あるワードが目に飛び込んできた。


『YouTuber 月収◯◯万円』


「え、すごっ……!」

 記事を開くと、『家にいながら好きなことをして、沢山お金を稼げる』と書いてある。まさに私が求めていた仕事だ。


「……これだ!」

 私は勢いよく立ち上がり、ドタドタと廊下を走る。


「わたし、ユーチューバーになる!」

 書斎で仕事をしていた海斗くんに後ろから宣言すると、くるりと椅子ごと振り向いた。


「は? どうした急に、ユーチューバーって……何でまた」


「だって、お家でできるし、お金もすごく稼げるんだってさ」


「いや、それはごく一部の奴らだけで――」

 いーや、やる。もう決めたんだから。


 久しぶりの再開なのにマイペースに仕事をする海斗くんの事は無視して、さっそく準備に取り掛かった。スマホで調べれば、やり方なんていくらでも出てくる。便利な世の中だ。


『グーグルのアカウントを取得してください』


「……?」


 アカウントとは何の事だろう。グーグルは知っている、アメリカの会社だ。ユーチューブとアメリカの会社に何の関係があるのだろう。よく考えてみたら自分はあまり機械に詳しくない事に気が付いた。スマホの初期設定すらできない。早くも挫折しそうで、天井を見上げてため息をつくと、後ろから視線を感じた。海斗くんが私のスマホを覗き込んでいる。


「手伝ってやろうか?」

 そう言いながらニヤニヤした顔を近づけてきた。かぁー、憎たらしい。しかし、ここは海斗くんの助力が必要だ。まったく先に進めないのだから。


「お願いします……」  


「何にせよ、パソコンでやったほうが早いな」

 そう言って書斎に入ると、ノートパソコンを小脇に抱えて戻ってきた。


「これやるよ。前に使ってたやつだけど、まだ全然」

 そう言ってパソコンを起動させると、カタカタと何やら打ち込んでいる。そして、アッという間にアカウントとやらは取得された。


「で、なんの動画を上げるわけ?」

 それが問題だった。人気のあるユーチューバーの中にはカップルで動画を撮って上げている人達も多いらしい。見知らぬ他人のイチャイチャ動画に需要がある事自体が謎だったが。うーん、カップルかぁ。


「海斗くんと、美波のカップルチャンネルは?」


「絶対に嫌だ!」

 意志の強さが語尾に現れていた。


 確かに海斗くんがユーチューバーになって、動画に出ている姿は想像できない。どうしよう。自分の得意分野といえばソフトボール、野球、読書、妄想? 以上。


 それからも、ずっと何を配信するかで悩んでいた。パソコンであれこれ検索しても、コレと言って良いアイデアは浮かんでこない。


「まあ、取り敢えず撮ってみるかな」

 なんの計画もなく、スマートフォンを動画撮影モードにして、ダイニングテーブルの上に置いた。ティッシュ箱に立てかけて角度を付けると、画面には自分の姿が映し出される。


「どーもー! 星野美波でーす」

 流石に本名はまずいか。みんなニックネームのような物を付けていた事を思い出す。ニックネーム……ね。


 よし、と深呼吸してから、録画ボタンをタップする。

「どーもー! ホシミナでーす! 今日はワイルドピッチと、パスボールの違いについて解説していきまーす。野球初心者のそこの君、ホシミナチャンネルで目指せメジャーリーグ」


 イェイイェイ! とダブルピースしていると、後ろから大爆笑が聞こえてきた。書斎で仕事をしていたはずなのに、いつの間にか出てきたようだ。


「プッ、クククッ、誰が観るんだよそれ? ワイルドピッチとパスボールの違いって、お前、ホシミナってお前……冗談だろ」

 腹を抱えて笑っていた。今日は一年ぶりに逢ったというのにこの仕打ち。絶対に良い動画を作って見返してやる。


「これは練習だから良いの。もう、そんな馬鹿にして、海斗くんなんて嫌い」


「いや、ごめんごめん。あまりにおもしろ――じゃなくて、ハイセンスすぎて」


「じゃあ、キスして」  

 私は、目をつぶって首の角度を上げた。


 やってしまってから顔が熱くなる。本当にされちゃったらどうしよう? まあ……いっか。と、一人で興奮していると、海斗くんが意外なことを言ってきた。


「駄目だ、美波が成仏するかもしれない」


「へ? なにそれ」

 閉じていた目を開けると、海斗くんは真剣な瞳で私を見ていた。


「美波が夏休みに凪沙の体を借りれるのは、確かに凪沙の願いが神様に通じたのかも知れない」


 ぷっ。海斗くんの口から神様なんて、なんか笑える。


「でも俺は、それだけじゃないと思う。この世に未練というか、やり残した事があって。それを叶えるために夏休み限定で戻ってこられる。そう推理した」


「なるほど、それで?」


「俺は考えた。美波のやり残したこととは、一体何なのか――」

 海斗くんは名探偵よろしく、部屋の中を歩き回りながら、事件を解決するコナンくんのように私を見た。


「……そして、ついに見つけたんだ。去年、実家に行った時に」


「え、えっ?」


「それは、美波の手帳に書かれていた!」


「ちょっと待って! なんで?! 見たの?」


「いや、見てはないけど、お父さんに聞いた」

 海斗くんはあっさりと白状する。悪びれた様子はない。


「ちょっと、プライバシー!」


「でな、その手帳にはこう書かれていた。『海に行きたい』『花火を見たい』――そして、『キスをしたい』、と」


 私は眩暈がした。


「そして、俺たちは海と花火に行ってしまった! 残されたのはキスのみ。それが達成された時、美波の未練はなくなり成仏する。アーメン」


 一年でキャラ変わった?


「あの、考えすぎじゃないかな?」


「いーや! 危ない。リスクは回避するに越した事はない」

 やり残した事を全て叶えた時に美波は成仏する。つまり夏休みをループするのもお終い。海斗くんともサヨウナラ。つまりは、そう言う事らしい。私はため息をついた。


「美波とキスしたくないの?」

 うわあ、自分で言ってて恥ずかしい。顔が火照って赤くなるのが分かる。恐る恐る見上げると、海斗くんはそっぽを向いていた。けど耳まで真っ赤で少し震えている。


「な、な、なんてねー。なんちゃってー。よーし、ユーチューバーになるぞー」

 無理やり誤魔化すと、海斗くんは「お、おう」と頷いた。


「ま、まあ、最初から上手くはいかないだろ。取り敢えずカメラを固定する機材くらい合ったほうが良いな。動画の編集するならソフトも必要だし、秋葉原でも行くか?」


「うん」

 結局、いつも私の味方になってくれる優しい海斗くん。さっき大爆笑したのは許さないけど、やっぱり大好き。これからもずっと一緒にいたいけれど、それは出来ない。最初から分かっている。


 記念すべき第一回目の動画は、海斗くんに馬鹿にされたワイルドピッチとパスボールの違いについて解説する動画だった。あまりに需要がなさそうな所が逆にウケるかも知れないと思ったからだ。終始、海斗くんは笑いを堪えていたが、私は無視して撮影を続けた。


 出来上がった動画に音楽やテロップを付けてくれたのは海斗くんだ。それだけで一気に本格的なユーチューブ動画になった。あとはアップロードして再生回数が上がるのを待つだけだ。


「私って、何にも出来ないなぁ」

 結局は海斗くんに頼りっぱなしで、情けなくなる。


「ロイヤルストレートフラッシュにも苦手な事があったか」


「え?」


「凪沙が言ってたんだよ。人生は配られた手札で決まる。美波はロイヤルストレートフラッシュだってよ」


「そ、そんな事……」


「ああ」

 ああ、の意味は聞けなかった。海斗くんも言わなかった。


「ねえねえ、どれくらい見られるかな?」


「いや、厳しいと思うよ。まあ、面白いから毎日あげてこーぜ」


 すっかり海斗くんの中では趣味の部類に入っている。収益化出来るとはまるで考えていないようだ。でも、明日はなんの動画を撮ろうか考えているだけで、直面している悲観的な問題から逃避する事が出来て、私の心は穏やかになった。


 毎朝、五時半に起きてお婆ちゃんの家を出る。歩いて二十分の道のりは朝の散歩にちょうどいい。目的地には好きな人が待っていて、今日も一日一緒にいられる事が、こんなにも私を幸せにする。


 ラジオ体操をしたら二人で朝食を食べて、海斗くんはお仕事をする。その間に私は動画を撮影して、撮影した動画は午後に海斗くんが編集する。去年とはまた違う一日のルーティーンは、すぐに確立されていった。


「また、明日ねー」


「ああ」


 タクシーで帰れと言う海斗くんの忠告は無視して、お月様の下を歩いて行く。しみじみと今日の出来事を思い返しながら、時折り顔がニヤけた。でも、海斗くんとの距離が離れるにつれ、それは物理的な距離にも関わらず心細くなる。自分は何者なのか? 自問自答の末に行き着くのは、いつも同じ疑問と曖昧な答え。


 ――ねえ、海斗くん。あの場所で出会ったのが星野凪沙でも、やっぱり好きになったのかな?


 イエスでもノーでも嫌な答えに、耳を塞ぎたくなった。本人に尋ねればきっとノーと答えるだろう。しかし、美波は死んでいて、凪沙は生きている。この揺るぎない現実に直面すると、何が正解なのか分からない。


 どんなに立派な手札でも、ジョーカーが混じっていたら終わり。人生はトランプじゃない。私たちの手札には、口の端を卑しく上げたジョーカーが、仲良く一枚づつ混じっていた。

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