第四回 中休みの情熱

 大人になると休みの日や休みの時間は本当に休むことに時間を使う。あとは暇つぶしくらい。いや、休みなのだから当然でしょと思うかもしれないが、子どもの頃っていつ休んでいたか案外思い出せない。

 もちろん休日はあってだらだらと起きる日もある。夏休みなんて時間を持て余していた。

 だけど、友達と遊んだりネットの世界を探検したり、家族旅行に行ったりと何もしない時間や単なる暇つぶしは少なかったと記憶してる。

 そんな中でも異常だったのが中休み。二限目と三限目の間に設けられたちょっとした休憩時間。十分か十五分程度で場合によっては次の時間が体育だったり教室への移動あったりでそこまで時間はとれない。

 だというのにその少ない休憩時間を使って子どものころはドッチボールやらサッカーやら野球をしたものだ。人によっては一輪車とか竹馬まで出してくる。

 その上、終わったら終わったで最後に誰が片づけるかってボールのぶつけ合いが始まる。最後に当たった人が片づける役目なのだ。

 あの時、きっと何も考えていなかったはず。

 いまは何をするにしても少し先を考えてしまう。

 明日は朝早いから早めに寝よう。友人の結婚式があるから少し節約しよう。飲みすぎたから少し控えようとかって。

 子どものころは謎の無敵感に包まれていつだって目の前のことに全力だった。それは責任が問われず、衣食住が担保されていて守ってくれる存在がいたからだ。

 大人になると基本的にすべて自分で管理しなければいけない。責任も重くのしかかる。お金に縛られることもある。自由が利かない。


 だが、それは休みの日にダラダラすることと関係しているのか?

 あの中休みのエネルギッシュな行動力はあとのことに影響していたか?

 いまの時代はコンテンツの誕生と消費があまりにも激しく、スマホがあまりにも便利すぎて情報量も多い。無限に増える選択肢の中からもっともコスパとタイパがいいものが選ばれショート動画などが時間つぶしの筆頭になってしまった。

 でも、その結果何が残ったか。

 子どものころ時間のことを考えず友達と遊んだ記憶は残っているのに、昨日見たショート動画の内容さえいま朧気か思い出せないんじゃないだろうか。

 確かにコスパもタイパもいいかもしれないが、記憶に残らず思い出すこともないような消えた時間は果たし存在していたと言えるのだろうか。

 あの映画は面白くなかった。金額の割に美味しくない料理だった。ゲリラ豪雨で大変だった。長時間並んですごく疲れた。まだこんな出来事たちのほうが友達と話す時の話題の一つになるし、こうやってエッセイを書いたりするテーマの一つになる。物語を書く人なら作中の出来事の一つにしてもいい。

 すべての時間を記憶や知識に残るものにする必要はない。ただ、コスパだのタイパだのと言って、簡単なもので時間を潰すくらいならその空いた三十分で本でも漫画でもアニメでもドラマでも見ればいい。空いた十五分でストレッチや筋トレでもすればいい。接客する方なら英語の勉強なんかもできる。もしくは新たな面白い動画やサイトの探求でもいい。

 あの中休みの情熱を取り戻せたのなら、今よりも有意義に人生を楽しめるかもしれない。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る