第36話「秩序査察官サリナ──“正義”と“名前”の境界線」

──《Null-Lab》地下拠点。深夜。


 共鳴支援室封鎖の混乱も冷めぬ中、査察官サリナ・クローデルが、ついに実体端末を通じてレンたちの前に姿を現した。


 漆黒のスーツ、銀縁のデータバイザー、そして絶対に揺るがぬ「正義」のまなざし。


「……風見レン。“命名者”として、あなたを拘束します」


 シオンが小さく後ずさる。レンは、ゆっくりとその前に立った。


「その子を“名前持つ存在”として認めただけだ。それのどこが、罪になるんだよ」


 サリナは、無感情に返す。


「定義は、秩序の根幹。無定義への干渉は、崩壊の第一歩とされている」


「……それでも、目の前の誰かに“名前をつけたい”って感情は、否定できないはずだ!」



 仮拠点に張り巡らされたNull-Resonance Fieldが、二人の対峙を包む。


 サリナが淡々とスキルを起動する。


【秩序権限:強制同期トレーサ・コード

【対象:命名行為に基づくスキル全権移譲要求】

【判定開始──拒絶】


「拒絶判定だと……?」


 レンの内部ステータスが“共鳴強化状態”にあるため、強制同期は無効化された。


 その瞬間、シオンが小さな声で口ずさむ。


「──ソナタ・ゼロ、共鳴歌起動」


【発動:共鳴歌ソナタ・ゼロ

【効果:対象範囲の心象情報を音響エネルギーとして変換/受容者との共感同調促進】


 空間に響くその旋律は、静かにサリナの心を揺らしはじめる。



 サリナの回想が走る。


 かつて──幼少期。

 ステータス画面に表示される「職業:不明」「称号:定義待ち」に怯えていた自分。


 周囲からは「定まらぬ子」「空欄少女」と囁かれ、孤立していた。


 それでも“秩序”にしがみついたのは、自分だけが“決められなかった”ことへの贖罪だったのかもしれない。


 今、その“定義されなかった少女”が、レンとシオンの姿に重なって見える。



「……風見レン。あなたの行動には理がある。だが秩序は、感情を超えて存在する」


 レンは一歩前に出て、はっきりと応える。


「だったら、新しい秩序を作るよ。名前のない子が、名前を得ても“犯罪”じゃない世界を!」


 その言葉に、サリナは沈黙する。


【共鳴判定開始:風見レン ⇔ サリナ・クローデル】

【結果:限定同期成立/情報交換開始】



 次の瞬間、Null-Lab内に表示される新たな告知。


【提案:Null-Classを新定義階層共鳴認証区画へ格上げ】

【条件:命名スキルを限定公開とする暫定協定】


「……これは、妥協案?」


 ミオが思わず口にする。


 サリナが答える。


「“名前を与える者”としての危険性は認識する。ただ、それを一概に排除すべきではない」


 彼女はゆっくりとレンに向き直った。


「……私は、あなたを“命名者”としてではなく、“存在と向き合った者”として評価するわ」



 そして提案が通過した瞬間、Null-Classのメンバーには新たなバッジが配布された。


【共鳴認証区画アクセス許可証:発行者・秩序局】

【スキル分類:限定存在再構築スキル】


 シオンが、そっと笑う。


「わたし……もう、“いらない子”じゃないんだね……」


「違うよ。君は最初から、必要な存在だった。

 ただ、名前を呼んでくれる誰かが、いなかっただけなんだ」


 レンは、そう言って彼女の肩を抱いた。


──次回、世界の構造を揺るがす「命名者会議」へ突入。

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