第14話 慈雨

「参ったな、今日の天気予報は晴れだって言っていたけど」

「突然、降り出すからびっくりしました」


 いろはと桜羽は、近くの東屋で雨をしのいでいた。濡れた体をハンカチで拭いていくいろは。桜羽は大まかに拭き終えると、メガネに着いた雨粒を拭き取った。


「みんな大丈夫かな。ちゃんと雨宿りできてるといいんだけど。ん?どうしたの?」

「先生がメガネ外してるところ、初めて見ました」

「あぁ、そうだよね。学校ではいつもメガネだから」


 少し照れくさそうに笑い桜羽は直ぐにメガネを掛け直した。銀色の細い縁メガネが桜羽によく似合うと感じていた。メガネだけではない。桜羽が身に付ける物は控えめではあるが落ち着きのある大人のお洒落さを感じさせ、そのどれもが似合っている。


「大学のときに急に視力が落ちてしまってね。それ以来ずっとメガネなんだ。コンタクトとかも考えたんだけど、すぐ疲れてしまうんだよね」

「でも先生、メガネの方がしっくりきます。見慣れてるからかもしれませんけど」

「ハハハ、それ友人にもよく言われるんだよ。実際、僕もそう思う」


 まだ止みそうにない雨空を二人で見上げた。


「先生は、高校時代どんな生徒だったんですか?」

「僕?僕は普通の生徒だよ」

「えーそれじゃわからないですよ」

「中々に難しい質問だな」

「でもきっと、モテたんだろうなぁ」

「そんなことないよ」

「・・・先生が気づいてないだけで、そういう子多かったかもしれないですよ」


 雨粒が大きく跳ねていろはの靴を濡らす。朝に整えたはずの髪は湿気を含み、いうことを効かなくなっている。広がった髪をなんとか落ち着かせようと手で押さえてみるが、離すとすぐに広がってしまう。


「忘れちゃうんですよね。きっと・・・」


 いろはが先ほどまで描いていた百日草も雨に打たれてせいでぼんやりと滲んでしまっている。東屋に叩きつける雨粒が、いろはの声をかき消してしまいそうなほど大きかった。


「ハハハ、そんなに僕は薄情な人間に見える?」

「・・・いえ、そういう意味じゃなくて」

「人から向けられた好意は案外忘れないものだよ」

「ほんと・・・?」

「あぁ。本当だよ」


 例えばこんな形で出会わなければ自分がもっと早く生まれて入れば、この押し込めた想いを口にすることができたのだろうか。憧れだと言われずにこの好意を受け入れてもらえただろうか。

 激しく降りつける雨の合間から微かに光が差し込みかけていく。いろはは、心の内であと少しだけ、あと少しだけと止まない雨を願った。


□□□


 夕食を終える頃には、昼間の通り雨が嘘のように地面が乾いていた。


「みんなーこれ宿の人がくれたよ」

「わあっ花火だっ!!」

「やったー!!やりたい、やりたい!!」

「後でお礼を忘れずにね」


 暗くなった中庭に出ると宿の人がバケツとロウソクを準備してくれていた。ぼんやりと光るロウソクは風が吹く度に左右に大きく揺れている。


「私は良いわ。ここから見させてもらうわ」

「白峰先輩クール」

「花火を見るのは好きよ」


 小波は花火の袋を開けると桃山が1番に花火を取った。


「いろは先輩どうぞ」

「ありがとう。先生もやりますか?」

「僕はいいよ。みんなで楽しんで」


 一番乗りの桃山の花火が勢いよく燃えだした。赤や青、黄色や緑色と色とりどりの火が暗闇を灯す。


「うおー!!すっげぇキレイ!!ひゃっほ~い」

「こら振り回すなぁー」

「そうだよ!危ないよ」


 華やかな光がパチパチと音をたてながら燃えていく。あの独特の火薬の臭いが煙と一緒に漂っている。暑くなった土に雨水が打ち付けたせいで蒸し返った土の匂いと混ざり合う。いろははそれを夏の匂いだと感じた。


「あぁ、夏の匂いだね」


 花火ではしゃぐ声に混ざり桜羽がぽつりと零した。自分が心で感じた言葉と桜羽の言葉が重なった。水が入ったバケツの中には、燃え尽きた花火が雑に入れられている。心地よい夜風が頬をなでる。


「私も今同じこと思ってました」

「そうなんだ。昼間の雨のせいかな少し暑くて火薬の匂いがまじると子供の頃を思い出すんだ」


 やさしく微笑む桜羽にいろはもつられて笑っていた。


「ちぇー残りこんなけかぁ」

「あっ線香花火六本ある!桜羽先生と白峰先輩もやりましょー!ラストです」


 小波の誘いに縁側で座っていた白峰と桜羽が庭までやって来た。みんなで同時に火を付けるため、ロウソクを中心に腰を下ろした。空いていたいろはの隣に桜羽が線香花火を持ちしゃがみ込んだ。

 いつもカッチリ決めているスーツとは違う。紺色のTシャツにデニムのラフな格好だった。こつんと肩が当たると、桜羽は小さく『ごめんね』といろはに告げた。隣に座る桜羽がいつもより大きく見えた。


「俺が絶対一番長くキープしてみせるゼ」

「一番早く落ちた人が、最後まで残った人にジュースおごる!」

「おっいいね!」

「桃山先輩、揺らさないで下さい」


 同時に火が付くとピタリと黙り込んだ。自分の線香花火を見つめていた。線香花火はチリチリと音をたてながらささやかな美しさを魅せ燃えていく。火屑が暗闇に消えていく。

 いろはは隣に座る桜羽の長く角張った指先を見つめていた。自分の丸みのある小さい手とはやはり違っている。男の人の手だった。少し動かせば触れてしまいそうなほどの距離。胸の鼓動がトクトクと大きく鳴り出す。聞こえてしまわないか心配になる。


「あっ」

「ブッ!部長、早っ!!アハハハ」

「もう落ちたの?あ、やだ。私も落ちちゃったわ」


 いろはと白峰の線香花火の炎が地面にピタリと落ちた。六つの線香花火が四つになり辺りが少し暗くなった。

この合宿が終わればいろはと白波は引退だった。パチパチと爆ぜる火の玉がゆっくりと離れそうになっている。終わらないで欲しい。終わらなければ桜羽の隣にいられる。そばで笑うことが出来るのに。けれどいろはの想いとはうらはらに止まない雨はなく、終わらない夏はない。


「うぉぉおおヤバイヤバイヤバイ!俺のも消えそうっ…」

「うるさいなぁ静かにしなさいよっあっ!!!」

「あっぁああ!!落ちたっっ」

「あ~僕も落ちちゃったな、残念」


 ぽたぽたと、また三つの火の玉が地面に落ちた。そんな中、小さく燃える1つの線香花火にみんなの視線が注がれた。


「まじかよ、堀之内すげぇ」

「・・・」


 最後まで燃え尽きる堀之内の線香花火を静かに見つめていた。

花火が終われば合宿ももう終わる。明日はもう帰るだけ。夏休み、いろはが桜羽と会うことは出校日以外ない。


「ちぇーじゃ部長が堀之内にジュースおごりだ」

「えっ!?あれ本気だったの?しょうがないなぁ」

「いいですよ。別に俺ジュースいりませんから」

「ハハハせっかくだから僕がみんなの分買ってあげるよ」

「まじ!?やったー!!」

「でも先生それじゃ勝負にならないー」

「それはまた今度ってことでね」


 桜羽は立ち上がると宿の前にある自販機に向かった。一目散に桃山が桜羽の後ろに着いて行き真剣にどのジュースにするかを悩んでいた。ズボンの後ろポケットに手を入れ財布を取り出す桜羽。


「全く桃山ったらー遠慮って言葉を知らないのかしら」

「桃山君らしいけどね。花火楽しかったね」

「本当ね、いい思い出になったわ」

「白峰先輩見てただけで楽しめました?」

「私は見る専門なの」


 花火が終わった後の、煙がどこか寂しさを演出していた。桃山は片付けも忘れまだ自販機の前で悩んでいた。桃山の隣にいる桜羽が片付けをしていた、いろは達の方を見た。


「片付けありがとうね。終わったらおいで」

「はーい」

「はい」


 いろはは視線を感じ振り返ると、まだ座り込んでいる堀之内と目があった。


「どうかした?」

「・・・別に」


 堀之内は立ち上がるとそのままサンダルを引きずるように歩き販売機の方へ向かった。堀之内にどこか違和感を抱きかけたが、気のせいだと思い片付けを続けた。

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