第15話
「そうか……そういうことだったのか……。なるほど、繋がったな」
有田の横に腰掛けた三木が、ぽつりと呟いた。
思い出したこと全てを話した有田は、憔悴しきっていた。
「わたし、宇野くんを守ってあげられなかった。辛い思いをさせてしまった。彼の人生を狂わせてしまった。今、どんな生活を送っているんだろ……」
三木は、すっと目を閉じた。
「いや、俺が知っている話は、もっと残酷だ……。受け入れる覚悟はあるか……?」
有田は、ゆっくりと三木の方を向いた。
「どういうことですか……?」
「世間では、有田という先生によって宇野くんが殺されたことになっている」
「……ちょっと待って……宇野くんは助かったんじゃ……。わたしが宇野くんを引っ張って、代わりにわたしが落ちたんじゃ……」
有田は声を震わせながら、三木に尋ねた。
三木は有田に目を合わせることなく、足元の砂を見つめたまま首を左右に振った。
「いいや、二人とも死んだんだ。宇野くんは、有田先生の下敷きになっていた。生徒だろうが、誰かがネット上にあげた動画が拡散されていて、その時駆けつけた先生の声も入ってたよ。『有田先生! 有田先生!! みんな下がって! 見世物じゃないぞ! おい、撮るんじゃない! ほら、はやく離れなさい! おい、ちょっとこれってもしかして、有田先生の下敷きになっているのって生徒じゃないか……?』ってね」
有田は、目を見開き、口と胸を押さえた。呼吸は自然と震え、吸う息も吐く息も、小分けにされて出入りしていた。有田は、嘔吐を催すような精神状態だったが、息以外に吐き出されるものなど何もなかった。
三木が語る事実は、当然すうっと受け入れられるようなものではなく、病気も何もない間国であるにも関わらず、有田に過呼吸らしき荒々しい呼吸と嗚咽を促した。
「そんな……」
「成長期の男子生徒だ。女性が咄嗟に引っ張り上げられるような重さじゃなかったはずだから、仕方なかったとは思うが。それより、君の話を聞いて、あまりにも世間、いや学校の対応の酷さに呆れるよ。まあ結局、廃校になったけどね」
「はいこう……?」
「そりゃそうだろう。死人が出て尚且つ、ある生徒によって、いじめがあった事実が世間に広まり、対応の杜撰さが露見したんだから」
「ある生徒……?」
「ああ。後々テレビで知った話だけどな」
「三木さん……記憶が……」
「君が全てを思い出したから、俺も思い出したよ。君たちの事件で、俺の人生が大きく変わったからな。俺がここにいるのは、君たちの所為でもある。まぁ、もう責めるつもりはないけど。そんな話を聞いて、責められるわけないしな」
「それは一体どういう……」
「そうだな。俺の記憶を含めて、顛末を話すとしよう。君たちが屋上から飛び降りた後……」
そう言って三木は、自身が知る全てを有田に話したのだった。
高桑中学校から三名の死者が出たと、テレビニュースを含む各メディアが報じた翌日のことだった。
三木はいつも通り、支社に出社した。薄いグリーンのつなぎの作業着のスナップボタンをはめながらオフィスの扉を開き、従業員たちに快活な挨拶をする。
「おはようございまーす」
いつもならまばらで大きな返事があるのだが、今日は誰も挨拶を返さない。いや、返せなかったようだ。支社の従業員十五人、その内十人ほどが、ひっきりなしに電話対応をしていた。
「何だ、依頼か……?」
三木は首を傾げ、自分の席へと向かった。リュックを置き、ノートパソコンを開いた時、丁度電話対応を終えた隣の席の同僚の小池が話しかけてきた。
「おい、やばいって」
「おはよう。何だどうした? 依頼の電話か?」
「そんなんじゃねぇよ。お前、ニュース見てねぇの? 昨日、点検と補修に行った高桑中学校で死人が出たらしい。その苦情と、マスコミから確認の電話だよ」
「死人? 何だよそれ。それに何でうちに苦情が……」
三木がそう言いかけた時、背後から声をかけられた。
声をかけてきたのは、三木の上司であり、支部長でもある横山だった。
「三木、ちょっといいか?」
「あ、おはようございます。はい、今行きます」
横山は、白髪のオールバック、肌が褐色に焼けた、職人気質な強面の六十代男性だ。普段はガハガハとよく笑う気さくで豪快な人なのだが、何だかピリッとした雰囲気を感じた。
三木は、横山とともに隣の会議室に入った。
着信音や通話の声が、微かに聞こえる少し冷ややかな空間。電気もつけず、窓から差し込む穏やかな陽光がタイルカーペットを照らす薄暗さの中、向かい合って座る二人の間に、異様な緊張感が走った。
「お前昨日、高桑中学校屋上の補修担当だったよな?」
「ええ、そうですけど……」
「屋上の鍵、作業の合間合間で逐一施錠したか?」
「……」
「別日に手つけようとしてた劣化の激しかった箇所あるだろ? 現場離れる時、チェーンポール立てといたか?」
「……いや、忘れてました」
「……そうか」
横山はため息を吐きながら、三木の目の前に今朝の新聞を開いて置いた。
三木は、その新聞に目をやり、絶句した。
「『高桑中学校で三名の死体。二人は屋上から飛び降りか』だとよ。記事によると、普段は施錠していて、鍵を持った先生しか屋上には入れない。その日は業者の出入りがあり、担当の人が鍵を持っていたと学校は話してるってさ。それで、こういうわけよ」
横山は、三木の背後の扉を指差した。隣からは、いまだバタバタと騒がしい物音が聞こえる。
「本人の確認が取れるまで何とも言えなかったが。まぁ、こりゃうちの責任だわな。本社も今朝から慌ただしくしててよ、本部長が今こっちに向かってる」
「まさか……こんなことって……」
三木の額から、じわじわと汗が滲み出し、こめかみを伝う。血の気が引いていき、脱力を感じていた。
「とにかく、今後のことはまた後で話す。今日は小池と作業だったな。そっちはいいから、とりあえずここで待っててくれ」
横山は、三木とは対照的で冷静沈着。全く動揺を見せず淡々と話し、会議室を後にした。
三木は、いまだ現状を受け入れることができず、新聞記事を何度も読み直していた。
「俺の所為で、人が死んだ……?」
屋上に人が来ることなんてないと思い込まず、注意しておくべきだったと自責する自分と、普段立ち入り禁止である屋上に、何故侵入したのだと他責する自分を向かい合わせ、心の天秤の均衡を保とうとしていた。
自責の念は重く、そうでもしなければ、あっという間に傾き、天秤が壊れてしまうような気がしていたのだ。
しばらくして、横山が再び会議室に入ってきた。そして、これから本部長と合流し、学校に謝罪をしにいく旨を告げられた。
事件翌日の高桑中学校は、平日であるにも関わらず、静寂に包まれていた。昨夜は警察とマスコミの出入りが激しかったようだが、今朝は数人がちらほらしている程度だった。
しばらくの間休校となった高桑中学校には校長がひとり。校長室で電話応対と、その合間合間で頭を抱え、ため息を吐くというのを繰り返しているようだった。
三木は放心状態のまま、校長に頭を下げた。本部長と横山も並んで頭を下げる。
「平穏な日常の中で、切磋琢磨する生徒たちと、それを支える立派な先生でした」
校長の口から漏れた哀愁漂う語調は、三木の頭を更に下げさせた。
その後しばらく、本部長と横山と校長が話をしている姿を、扉前に立って見ていた三木だったが、その内容なんてものは当然一言も入ってこなかった。
業務上過失致死罪とかいうやつだったか、何かしらの罪にとわれ、犯罪者としてこれから生きていかなければならないのだろうと三木は思っていた。
しかし、そうはならなかった。コンピュータールームで見つかった生徒の刺殺体から、飛び降りた生徒の痕跡が見つかったことから、学校側に何かしらの問題があったと判断されたようだ。
三木の心は幾らか軽くなったものの、自身の過失によって失われた命があるという事実が変わるわけではない。
世間的には罪ではないのかもしれないが、自身が罪であると認め背負う罪というのは、自身が許すまで罪であり続け、それ故に刑期はないが、終身刑と変わりなく、やはり心は、ずんと重いままだった。
三木の処分は、一週間の自宅謹慎だった。この事件における会社の責任は重くはないものの、過失があった事実と、それが世間に周知されていることもあり、何かしらの責任を取る形となったのだ。
三木は、この処分内容の軽さに疑問を抱いていたが、謹慎中に同期の小池から連絡を受け、その理由を知り、愕然としたのだった。
横山が退職していた。全責任を取るとして、表向きには解雇となったようだ。
メールでその通達を受けた支社内は、かなりざわついたらしいが、当の横山は、どうせ定年間近だから早期退職金を貰っておさらばすると笑っていたようだ。
それを知った三木は、ベッドに腰掛けたまま肩を落とした。毎日毎日、記憶を消そうと必死に流し込んだ酒でできた体は、更にずうんと重くなった。
まるで横山をも殺してしまったような、そんな痛恨の思いと、微かに残った酒による二日酔いと、鮮明に残った記憶による憂鬱は、吐き気を催した。
三木は、駆け込むようにトイレの戸を開けた。
酒とカップ麺を吐き出すと、自然と鼻や目からは、搾り出された精神が流れ落ちた。
三木は、しばらく便器を抱え座り込んだまま、じっとしていた。
そして後日、三木は会社を辞めた。
事件のことを忘れようと、東京を離れ、和歌山県西牟婁郡の実家へと戻った。
海から程近い、いわゆる古民家で暮らす両親に事情を話し、転がり込んだのだ。しばらくは仕事をする気にもなれず、朝から放浪し、街の大衆居酒屋でベロベロになるまで酒を飲み帰宅する。そんな自堕落な生活を続けていた。
珪酸を含む石英砂が真っ白に輝き、夏ほどの美しさではないが、紺碧の海面がチラチラと踊っている。
三木は、砂浜に腰を下ろし、ぼけーっと水平線を見つめていた。まばらに生えた顎髭と散らかったぼさぼさの髪に、時折強い風が吹いた。
子どもの頃から見ている景色。その懐かしい景色を前にし、四十を過ぎた大人になっていることに改めて気がついた。背丈も伸び、白髪も皺も増え、老いてしまった自分とは異なり、相変わらずの景色と波音を、慈悲深く平等に与え続けている。
この場所は、今の三木を、平穏な少年時代へと還したのだった。朝から晩まで泳いだ、好きな子に告白した、そんな淡い思い出の中にいる三木少年の姿は、徐々にブレザーを着たのっぺらぼうな少年へと変わっていく。高桑中学校の制服だ。自分が経験したような淡い思い出を作ることができずに亡くなった、いや殺してしまった少年がいる。
視界の広大な海は、無慈悲にもそんな残酷な記憶を小波に乗せてきた。
三木は、頭を左右に大きく振った。鼓動は強く速い。
三木は立ち上がり、水平線に背を向けて歩き出した。そして逃げるように、波音の聞こえない街の方へと向かった。
ウイスキーのロック、焼酎の水割りを数杯飲み、ふわふわとした空気と大衆の喧騒に包まれながら、三木の座るカウンター席左手奥にあるテレビに、ふと目を向けた。
「高桑中学校で三名死亡。いじめが原因か」
大きくテロップが流れる。
三木は慌ててテレビから視線を外し、焼酎を一口、勢いよく流し込んだ。微酔の心地良さが一瞬にして失われた気がして、元に戻そうと必死になった。この一口で記憶が飛んではくれないかと、そう思っていた気もする。
「いじめ……?」
三木がぼそっと呟く。一度視界に入った情報は、三木の好奇心を掻き立てた。警察が言っていた、コンピュータールームで見つかった刺殺体。それは三木の不注意とは関係がない。飛び降りた二人と、一体どんな関係が。
三木は恐る恐るテレビに目を向けた。
高桑中学校の校長、副校長が並んで頭を下げている。そこに目が痛むほどのフラッシュが当てられていた。
キッチンの慌ただしさと、客のけたたましさで、テレビの音は全く聞こえない。三木は字幕を追いながら、事の真相を知ることとなった。
どうやら、いじめを受けていた生徒が、警察とマスコミに告発をしたようだ。その子は、刺殺された生徒からいじめを受け、不登校になった生徒らしい。そして飛び降りて亡くなった生徒と先生は、その子が不登校になった後、気にかけるように連絡をしたり家を訪れていたようだ。
そのニュース番組内で、飛び降りた生徒が、亡くなる数日前にその子に送ったメッセージが公開された。
「学校は何もしてくれない」
このメッセージが世間に広まったことで、高桑中学校は、厳しく追及を受けることとなったようだ。
学校側の説明によると、この事件は、屋上から飛び降りた宇野という生徒が、いじめていた塚田という生徒を殺し、何もしてくれなかった学校に対する恨みから、有田という先生をも殺そうとした。しかし、もみくちゃになり、宇野は有田に突き落とされて殺され、気が動転した有田は自殺を図り死亡したという結論に収束したようだ。
学校は責任を問われ、来年で廃校にすると話していた。
「胸糞悪りぃ事件だな」
「そうっすね……」
三木の隣で飲んでいた同い年くらいの客から声をかけられ、苦笑いを浮かべながら呟くように返事をした。
三木は、もう二杯ほどウイスキーのロックを注文し、店を後にした。
いつもよりも多めに酒を入れた体は、全く機能していない。三木は、今にも閉じそうな瞼をなんとか開き、千鳥足で帰路についていた。
街灯の下をふらふらと、海辺と歩道を隔つ石垣に手を置きながら、何とか歩を進めていた。
左手に海があるが、真っ暗闇で何も見えず、波音だけが聞こえているはずだ。いつも以上に泥酔した三木には、音も何も聞こえず、そこには無音の闇が広がっているだけだった。
ふと目を大きく開いた瞬間、一面に広がる真っ白な砂地と真っ黒な空が、三木の視界に映った。
「ん、何だ……?」
ふらつきながらぐるりと見渡すと、やはり凹凸のない、果てしなく広がる真っ白な砂地に立っていた。
酒の影響かストレスの影響か、とうとう頭がイカれてしまったと、頭をコツコツと叩くと、石垣に手を置き、真っ暗闇に包まれた海を眺めていた。微かに波音も聞こえる。
三木は石垣から少し身を乗り出し、スマホのライトをつけて照らしてみた。数メートル先に、真っ白な石英砂が、微かだが確かに見えた。
「何だよ。ちゃんと海あるじゃん……」
そう言って、乗り出した身を戻そうとした。
「……ゴッ」
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