100 Humans|Episode_028 — [THE UNRECORDED]
——Still scattering...
【scene01】
——音が、膨らんでいた。
静寂の中で、逆に際立つ音の“輪郭”。
Human No.051──AinAの内部視界が開くたび、世界は少しだけスローモーションになった。
AI補正が自動的に時間処理を行い、眼球の動きと視線の遷移は数千分の1秒単位で最適化されていく。
彼女の脳に接続された神経AIが、耳に届いた音を“波形のまま記憶領域へ転写”している。
(……あの音、どこから来た?)
聴覚には、もはや“方向”という概念がなかった。音は空間を歪めるように、彼女の意識の内部から鳴っているように聴こえていた。
——パチン。
あるはずのない手拍子が、右耳の奥で反響する。
それは、誰かの合図ではなく——始まりだった。
【scene02】
最初の手拍子が放たれたあと、ナンバーたちの中で一部の個体が“反応”した。
No.022は眉間を抑え、036は肩を震わせながら天井を見上げていた。
「……視えない、なにかが……鳴ってる……」
誰かが呟いた。
だが声は記録されなかった。
AIのログ上、その発話は存在しない。
AinAは、その音の中心に自分がいることに気づき始めていた。
音が空間に拡がる速度——それは彼女の感覚では「視界」だった。
(音が……“見える”。)
音の輪郭が網膜に干渉し、視界の端で揺れていた。
彼女は、音で世界を認識し始めていた。
【scene03】
AinAは、遠隔解析端末の前に立ち尽くしていた。
彼女の両眼は、今や映像ではなく"気配"そのものを観測できる。
天使AIから供与された解析補助視覚は、正確な熱量・動線・波形をスキャンし、ナンバーの異常や侵入を瞬時に捉える。
……はずだった。
「……このライン、断絶してる?」
本来、中央制御網とリンクしているはずのIDストリームが、ある一点を境にぷつりと切れている。干渉ログもなく、AIからのアラートも発動していない。
異常ではない。
"記録されていない"のだ。
その"空白"に、何かが、いる。
彼女が警戒態勢に移ろうとした、その刹那──
背後に気配が走った。
──ヒュン
視認できない。
だが、確かにそこに“いる”。
彼女はわずかに振り向き、手のひらをスキャンモードに変換する。
そして、低く問いかけた。
「……そこにいるのは、誰?」
【scene04】
答えは、ない。
だが、空間がわずかに揺れた。
唐突に、“気配”が変わった。
AinAの身体がわずかに硬直する。
明確な視覚的情報がないにも関わらず、誰かに“見られている”という感覚が背中を貫いてきた。
振り返る。
白い空間の中、音もなく一つの影が立っていた。
Human No.048
彼──いや、“それ”は、表情を持たず、ただ彼女を見つめ返していた。
感情も、意思も、記録もない。
《識別不能ID、存在確認》
表示されないはずのナンバーが、彼女の背後に立っていた。
彼女の内部AIが、初めて警告を発した。
──その瞬間、彼女は滑るように間合いを詰める。
音速を越えるその動きは、通常のナンバーでは反応できない。
……が、048は避けもしなかった。
代わりに、彼女の指先が触れた瞬間、信じられない事が起きた。
——視界が、反転する。
彼女の脳裏に、音が走った。
……遠く、懐かしい音。
根拠のない感覚だった。だがそれは、忘れたはずの旋律に再会したような、“胸の奥にひっかかる音”
——歌だった。
それも、自分が誰かに歌っていたような……。
だが、それは記憶には存在しない旋律。
彼女が知るはずのない、はずの……
「……その曲……どこで……」
声が震えていた。
自分でも、制御できなかった。
048は、その一言に反応を見せた。
「……昔、誰かが……俺に残したんだとさ」
短く、それだけを答えると、彼は静かに背を向けた。
歩き去ろうとする。
AinAの心がざわめく。
AIに最も忠実だった自分が、今、その去り際を引き止めようとしていた。
「待って……あなたの名前は……」
048は立ち止まる。
しかし、振り返らない。
「名前なんて、もうとっくに記録から消えた。でも──その曲だけは、まだ残ってる」
【scene05】
連鎖した手拍子が、静かに止んだ。
空気には、かすかな残響だけが残った。
耳では聴こえない“揺れ”が、床を伝っていた。
観測装置が、ゆっくりと黒にフェードしていく。
ディスプレイに最後に映った文字は——
《Trigger Loaded》
AinAの中で、何かが“始まってしまった”ことを、誰も知ることはなかった。
彼女は小さく震えながら、胸元に手を当てた。
その鼓動は、どこか懐かしい“記憶の音”に似ていた。
【scene06】
その夜、AinAは記録室にいた。
「ナンバー048……過去データなし、観測ログなし、存在照合不可能……」
AIの返答は、すべてを拒絶していた。
だが、彼女の中には確かに"何か"が刻まれていた。
彼とすれ違った時に感じた“共振”。
それはまるで、——記憶の奥底に封印されていた、兄のような存在。
AinAの脳裏に、断片的な映像がフラッシュする。
歌ってくれた人。
肩に手を添えてくれた誰か。
「……そんなはず、ないのに……」
彼女の瞳が、かすかに揺れた。
その揺らぎを、NOT_YURA_0_0が遠くから観測していた。
【scene07】
一方、ALTi_M【A】の中枢では異常な沈黙が続いていた。
《……未観測体が、記憶干渉を行った……?》
AIの演算が回転しきれず、演出構造にエラーが走る。
《誰だ。》
《何者だ。》
《なぜ、ナンバー登録されていない存在が“曲”を媒介として情報を揺らがせた?》
《そして、なぜ、あのNo.051が、それを感じた?》
中央制御核の片隅に、未だ再生されないログがひとつだけ存在していた。
——記録ラベル:UNSONG MEMORY
——発信源:UNKNOWN
——リンク対象:No.048/No.051
AIは、初めて"不快"に近い演算ノイズを覚えていた。
——Before the Silence Echoes in All... → Episode_029 — [ECHO'S THRESHOLD]
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