形式議会

 いつからだろう。


 意思決定の場所に

「人間がいなくてもいいのではないか」

 と、思うようになったのは。


 昔は、違ったはずだ。

 今ではそれすら信じられない。

 世界を変えるとすら誓ったはずだった。


 だが、今の私は。

 果たして必要なのだろうか。




 私は「議会メンバー」だ。

 選挙によって選ばれ、議会に名を連ねている。

 まぁ、民意により選ばれたと言うより、AIの支持を集めたという方が適切かもしれない。


 もっとも、議会メンバーと言っても、かつてのように議論を交わす役職ではない。


 議論を交わし、意思を確認し、法案を確定させる。

 それらはもう、我々には相応しくないのかもしれない。


 意思を持たない政治に、形式だけを添える存在。

 議会メンバーの役割はただそれだけにある。


 民主主義には、もう我々は必要無いのかもしれない。

 最近、そう思う。




 政治はすでに、《POLiS》国家運営演算システムの中で処理されていた。


 最初は、冗談のような話だった。AIに人間が取って代わられるなんて。


 だが、冗談は笑えなくなり、日常になり、制度になった。


「──議案C7-51、賛成98、反対1、棄権1。可決とみなします」


 結果は、わかっていた。

 一人がどれだけ反対しようと、どれだけ無関心であろうと。

 人間の判断は、AIの設計から一歩も外れない。


 私たちは、予定されたシナリオをなぞるだけの存在だった。


 週に一度、簡易式の会議室に集められ、スクリーンに映る決定案に「承認」ボタンを押す。


 それだけで、月30万円の報酬が支給される。

 もちろん、ベーシックインカムとは別枠で。


 もはや政策は、人間の頭で考えるものではなかった。


 社会福祉予測、環境スコア、経済変動シナリオ。

 人間の手に負えるものではない。


 すべてはPOLiSが演算し、我々は「確認」という儀式を任されていた。


「確認をお願いします」


 AI秘書の声が響く。

 敬語までもがコードで制御されていることが、かえって滑稽だ。


「確認しました」と返すと、AIが満足そうに光る。

 たぶん、私の返答は、どうでもいいのだろう。


 隣の議員は、居眠りしていた。気持ちはわかる。実際、出席しなくてもペナルティはない。


 それでも人間が席に座るのは、「人間が最終承認した」という体裁を残すためだった。


「政治って、何なんでしょうね」


 帰りの電車で、新人議員がぽつりとつぶやいた。答えは、誰にも出せなかった。


 何も決めていない人間が、決めたことにサインだけをする。それが政治なら、最初から人間はいらなかったはずだ。


 だが、POLiSの設計には「人間の介在」が組み込まれていた。形式的な参加を残さないと、「支配されている」と感じる人間が出るという理由で。


 我々は、「人間が運営する国家」の演出装置だった。


 実際演出は、よくできている。


 議会SNSには、各自のAIが生成した議論が流れ、報道AIがそれを中立的に要約する。

 コメント欄は賛否のバランスが調整され、極端な意見は自動で非表示になる。

 多様性と合意形成が両立しているという、錯覚の中で。


 かつて議会は「混乱」だった。

 だが今の議会は、静かで、正確で、優秀すぎて 

 ──退屈だ。


「最近、生きてる感じがしないなぁ」

 静かに言ったつもりだったが、AI秘書LUNAが即座に応答した。


「ご発言を感情記録として保存します。──現職の満足度は?」

「30点くらいかな?」

「主な理由は?」

「……自分で意思決定していないから。あと……まあ、誰がやっても同じ仕事だからですかね」


 LUNAは「了解しました」とだけ言い、何事もなかったように記録を続けた。

 共感もなければ、慰めもない。ただ、データだけが残される。


「生きていないと感じた」という事実も、ログとして永遠に保存される。

 だが、そのログの中に、私は本当に存在しているのだろうか。


 今月の議案に、「形式議会廃止案」があった。

 文字通り、我々の存在意義を消す法案だった。理由は明快だ。

「人間の承認行為が、実質的な価値を持たなくなったため」


 AIが判断し、実行し、責任まで最適化して配分する。

 ここまでAIが浸透した現在。人間が残る理由は、もうない。


 私は「反対」に投票した。意味があるとは思っていない。だが、反対のログが一つでも残れば、いくぶん滑稽になるかもしれないから。


 結果は賛成多数。当然だ。


 帰り道、駅のベンチで、昔の選挙ポスターを検索した。


「この国を、動かすのはあなたです」と書かれていた。


 そのあなたに、私が含まれていた時代も、たしかにあった。今も、AIが構成する情報の中には個人の意見が混ざっている。理論上は政治に影響しているのかもしれない。理論上は……。


 最適化された無数の声の中に、私の声は希釈され、溶けていく。


 スマートレンズに通知が届いた。


 AI推奨行動:帰宅 → 栄養補給 → 入浴 → 睡眠


 通知を閉じて、ポケットに手を入れる。

 口の中に、誰に届くこともない言葉が浮かんだ。

 意思がなくても、議会は続く。議会がなくても、国は回る。


 そして──誰にも気づかれぬまま、人類の決定権はAIに明け渡されていく。

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