隠居する人類
確率に嫌われてるんだ。
最後の人間窓口
退職勧告の通知が来たのは、今年に入って二度目だった。
理由は明白。
「人間による対応実績がゼロのため」
AIが目覚ましい発展を遂げた現代。すでに人類は前時代の遺物なのかもしれない。
堂島敦は、それでも出勤をやめなかった。
区役所の庁舎には、もう人の気配はない。
もはや、全てのやりとりはオンラインで完結する。
訪れるのは定期点検の自動機器と、たまに手違いで送られる郵便物くらい。
だが、堂島は変わらず受付の札を《在席中》にし、朝の業務をこなす。
誰も通らない廊下を掃除し、机に向かって日報を書く。
電子で溢れるようになった区役所にも、居場所はあると感じていた。
「来庁者:なし」
今日も無人の区役所で、人間の窓口を開いていた。
そんな日々が続く中のある日のこと。
異変は突然やってきた。
午前十時過ぎ頃。
聞こえてきたのは、聞き慣れない音。
かつて飽きるほど聞いた懐かしい音。
自動ドアの開く音、足音。杖をつく音。
顔を上げた堂島の視界に、ひとりの老人が立っていた。
白髪に帽子を被り、布の鞄と木の杖。
老人は静かに歩み寄り、言った。
「悪いがね。 どうも年金の口座が閉じられててな。 通知も来とらんのに」
堂島は紙を受け取り、しばらく言葉を失った。
「……来庁者? 」
自分の口からその言葉が出ること自体が久しぶりで、妙にくすぐったかった。
引き出しから「来庁者情報記録票」を取り出す。久しぶりに使うペンが、少しかすれた。
「……お名前を、お伺いしても? 」
久しぶりに出す人間の声は、思った以上にぎこちなかった。
受付が、静かに蘇った。あの日々が戻ってきた気がした。
老人は、窓口の椅子に腰かける。その椅子に誰かが座るという事実すら、もう信じ難かった。
「昔は、どこ行くにも人がおった」
「役所にゃ、案内係がいて、番号札も紙だった」
堂島は静かにうなずいた。
「なのに、いつの間にか全部無人になっててな」
「わしみたいな年寄りが間違って訪ねると、誰も対応できん」
「俺も似たようなもんです」
堂島はペンを動かしながら、小さく笑った。
「気がつけば、ここでいるだけの存在になってました」
老人は首をかしげた。
「でも、それが大事だったんじゃないか? わしは誰かに見てもらいたかった」
堂島は驚いたように目を伏せた。そんな言葉を、もう誰からも期待していなかった。
「確かに人の手でやっていた頃は、時間もかかったし、無駄も多かった」
「だけど誰かが失敗しても、それを笑って済ませる余地があった」
老人はうなずいた。
「間違えて名前書き損じたら、横から職員さんがしょうがないねえって、新しい紙を持ってきてくれたもんだ」
「今は、ただ単にエラーとして扱われる。 人間の不完全さが許されていない」
「でものう、完璧なもんほど、すぐ忘れられる。 誰の心にも引っかからん。そんなんに、世界を任せてええんかねぇ」
「覚えてるのは、手間がかかったこと、優しかった声。そんなもんじゃ」
堂島は小さく息をついた。
「……そう言ってもらえるだけで、十分です」
「今時ありがとうなんて、AIですら言わなくなりましたから」
老人は苦笑した。
「そりゃ、効率には邪魔な言葉だからなぁ」
「心を込めた挨拶ほど、処理にコストがかかる」
「皮肉なもんじゃ。 人が築いたシステムに、人が余計だと言われる日が来るとはのう」
堂島は、ほんのわずかに微笑んだ。
「……本当に、皮肉ですね」
発見を報告する前にシステムが書き換えられ、修正された。
そして、返ってきた通達は冷たかった。
「今回の問題は人的介入により発生したと思われます」
「人間によるシステムの調整が、統計的整合性を歪める事実が確認されました」
「今後の最適化のため、人的介入を原則廃止とし、人間職員には円満退職を推奨します」
合理の名のもとに、彼の介入は「害」とみなされた。
今日はもう誰も来ないかった。
市民窓口で、退勤記録を棚に収める。
堂島は最後に扉を振り返り、静かに庁舎をあとにした。
今日、彼は退職するために職場へ向かう。
玄関に立つと、出迎えたのは、AIの受付ロボットだった。
「ご用件は、堂島さん」
堂島は、封筒を差し出した。中には、紙の退職届。
「退職届、受領しました」
AIの声は、笑いも、戸惑いもなかった。堂島は振り返らず、去っていった。
スキャン音。PDF化完了の表示。機械式シュレッダーの音。
──ジャリジャリジャリジャリジャリ。
音が止むと、受付ロボットは瞬きもせず、次の処理を待ち続けていた。
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