あなたを食べる夢

水野葦舟

第1話 あなたを食べる夢

 ああ、あなたは今日もかぐわしくぼくの隣。ゆるく椅子へと腰かけて、机に肘をつき、そっと手で頬を支えている。一本一本が至高。その指の形、長さ、頬に食い込む形。すべてがぼくを飲み込んでゆく。想像上の快楽へと。


 狭い部屋に二人きり。周囲にはなんの装飾もなく、無機質な白い部屋。あなたの手を取って、笑顔を交わす。あなたの微笑みとぼくの笑顔がかみ合えば、それが合図になる。

 根元から、指を齧りとった。あなたは苦痛でのたうつけれど、僕はしっかりとあなたの手を握りしめて放さない。血液が、じわじわとせりあがって、そのあと勢いよく跳ね始める。あなたの苦しみと同じ動きをする。ぼくはその間、咀嚼をして、しっかりと骨の隙間まで吸い上げていた。骨は噛み砕けないので、放り捨てる。もったいないと思いながらも、飛び散る血液は捨て置いて、次の指へ。あなたの体が跳ねあがって、新たな苦痛を受け入れた。強くもがくあなたを引き寄せて、咀嚼された指を見せつける。痛みの根源を、まざまざと。その顔は暗く、涙と鼻水で濡れている。口を強く引き締めたときに切れたのか、その端からは血液と唾液の混じった液体が流れていた。


 目の前に、唐突に紙の束が現れる。空想の間に、現実の時は刻々ときざまれていたようだ。前の席から回された紙の束を受け取り、一枚取ると、それをさらに後ろへと回す。真横のあなたも、同じようにしている。その指先を誰にも気づかれないよう一瞥だけして、前を向いた。

 無味乾燥なノートへ視線を落として書く。あなたの全身を食いつくしたい。と、一行。

 あなたはぼくのものだ。いつかきっと、必ずぼくのもの。


 なのにどうして、今、ぼくの隣にいないの。放課後の教室、見知らぬ男と笑いあって手を取り合っている。見てしまった。見てしまった。あなたの秘すべき姿。知らなければならなかった姿。さらされてしまった。ぼくの瞳の中へ。記憶へと張り付いた。

 手と手を重ね合わせて、満足そうに微笑むあなたが。想像上と同じ笑顔のあなたが。


 どうかその指を穢さないで。他人のぬくもりなどで覆ってしまわないで。ぼくの味覚が支配されてしまう。その男の表皮などに。これでもう、あなたの美しさは失われてしまうの? これからさらに? どうしようもなく日々消滅してゆくの。


 許されない。そんなことを、許しはしない。ああ、部屋は不都合。不適合。理想と程遠く、快楽は半減。それでも、それでも、それでも。これ以上は許さない。絶対に、許容しない。あの指先はぼくのもの。やわらかい唇もぼくのもの。まぶたを食いちぎった血液と涙の混合液はぼくのものなのだ。


 鞄から取り出した鋏を手に、真っ直ぐ走る。二人は気づいてこちらをみていた。

 男の喉は、瞬時に掻き切れた。突き刺すつもりが、相手が動いたせいで血管を損傷し、血液をまき散らしてしまった。

 血しぶきが舞うのを、うっとうしく思った。なにもかも、うまくいかない。これから先は、ぼくとあなたの二人きりなのに、まだ間へ入り込もうとするおまえが憎らしい。髪をぐしゃぐしゃとかきむしる。生暖かい血液がべっとりと顔に付着して、不愉快だ。どうして憎い相手の血液など、あびなくてはならないのか。口元に流れてきた血液を、袖で乱暴に拭う。

 けれど、しかたない。しかたがない、しかたがない。納得をしよう。あなたを新鮮なうちに、まだ美しいうちに味わうために。


 極上の笑顔で、あなたを見た。喉で苦しげに息をするあなたを。まともに吸えない息を、短く吐いて、

得体のしれないものを見る目でぼくを見返している。

 そっと、あなたの顔に両手で触れた。あなたの体がこわばって、表情は一層曇ってゆく。

 そんな顔をしないで。ぼくはあなたが好きなのだから。愛しているのだから。想像上の笑顔が欲しかった。ただ笑顔を交わしたかった。しかし、しかたない。あなたの選択は、それを拒否したのだから。しかたない、しかたない、しかたない。しかたがないのだ。


 あなたにくちづける。抵抗も、脱力もしない。微動だにしない。ただ受け入れて、あなたのすべては先ほどと同じ。

 ああ、なんて美味しい。あなたの味だ。これが求めたあなたの味わい。静止の中にあるあなたを残して、ぼくの感情だけが昂ってゆく。自然と笑いが漏れる。あなたの味だけは、ぼくがこれまで描いてきた数多の空想と全く同じだったから。


 あなたの手を取った。笑顔を交わしたかった。笑顔がかみ合うことはない。恐怖に支配されたあなたから、笑顔がこぼれることはない。だけれど、それでもいい。味わおう。あなたを精一杯味わってあげよう。これから苦しむあなたの姿だけは、きっと想像上と全く同じだから。もう、それだけで、十分だ。

 さあ、咀嚼しよう。あなたを、めいいっぱい。たった一度きりの、愛を交わしあおう。

 いらっしゃい。こちらへ。


 そうして、ぼくはあなたの指を噛みしめた。

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