第23話

神楽坂の完璧な仮面に、初めて動揺の色が浮かんだ。

僕のあまりにも不遜な宣戦布告に、彼の計算が一瞬狂ったのだろう。

だが彼はすぐに冷静さを取り戻し、面白そうに口の端を吊り上げた。


「……ほう。面白いことを言う。この僕の完璧な庭を、君がどうやって書き換えるというんだ?」


「君には想像もつかない方法で、だ」


僕はそれだけを言い残し、彼に背を向けた。

アカデメイア・ラウンジの重厚な扉を開け、再び外のありふれた日常の光の中へと戻る。

背後で神楽坂が、僕の背中を値踏みするように見つめているのを感じた。


寮の自室に戻った僕は、すぐに第二の復讐計画の脚本執筆に取り掛かった。

壁に貼られた模造紙。そこには『アルカディア』の組織図と、神楽坂京介というラスボスの顔写真が貼り付けられている。


一条院司は分かりやすい、傲慢な王だった。叩き潰すのはある意味で簡単だった。

だが、神楽坂京介は違う。彼は自らの手を汚さない。システムとルールを巧みに利用し、他人を駒のように動かす。

その盤面全体をひっくり返すには、僕一人では不可能だ。


僕には、新しい仲間が必要だった。

僕の計画を実現させるための、特殊な才能を持った協力者が。


僕が最初に白羽の矢を立てたのは、一人の天才だった。


猫宮ひまり(ねこみや ひまり)。

情報科学科に在籍しているが、その姿を誰も見たことがない幽霊学生。

しかし彼女が裏で発表しているいくつかの論文やプログラムは、教授たちを唸らせるほどの異次元の才能を示していた。

彼女は極度の対人恐怖症で、研究室の一番奥にあるサーバー管理室に一年中引きこもっているという。


彼女を仲間に引き入れるには、普通のアプローチでは不可能だ。


僕はノートパソコンを開き、帝都大学の内部ネットワークへと侵入を開始した。

目的は彼女が個人的に管理しているというプライベートサーバー。そのサーバーは大学のメインフレームとは別の独立した回線で運用されており、鉄壁のセキュリティで守られていると言われていた。


数時間後。

僕はついに、その鉄壁のファイアウォールのただ一つの微細な脆弱性を発見した。

それは彼女のあまりにも高度な独創性ゆえに生まれた、設計上の盲点だった。


僕はその脆弱性を攻撃はしない。

ただ、そこからそっと内部に一枚のテキストファイルを置いてきた。

ファイルの中身はこうだ。


『美しい城ですね。感動しました。

ですが、北東の城壁の設計にほんの少しだけ構造上の欠陥があるようです。

もしよろしければ、僕がその改修案を提示しましょう。

見返りとして、あなたのその素晴らしい技術を少しだけお借りしたい。

僕は今から、ある巨大な悪の帝国の城を燃やし尽くそうと思っています』


僕はそのファイルに、暗号化されたチャットルームへの招待リンクを貼り付けておいた。

彼女が本物の天才ならば、必ずこの僕からの挑戦状に気づくはずだ。


返信は、それからわずか十分後に来た。

チャットルームにアバターが表示される。『Nekomata』。


『……あんた、何者?』

短いテキストメッセージ。


『君と同じ、真理を探求するただの学生だよ』

僕はそう返した。

『僕の提案に乗る気はあるかな?』


『……面白そうじゃん。乗ってあげる。でも条件がある。私と直接会おうとしないこと。話は全てここだけ。それでいいなら』


『もちろん構わない。歓迎するよ、僕のチームへ』


一人目の仲間を手に入れた。

僕の計画の『盾』であり、最強の『矛』となる天才ハッカー。


次なる仲間は、全く別のタイプの天才だった。


御子柴マコト(みこしば まこと)。

心理学科の異端児。彼は人の嘘を瞬時に見抜くことができるという。

微細な表情の変化、声のトーン、無意識の仕草。それらの情報から相手の深層心理を読み解く、行動心理学のスペシャリスト。


僕は彼がよく現れるという大学の中庭へと向かった。

案の定、彼はそこにいた。数人の学生を相手にポーカーに興じている。

彼はカードを見るまでもなく相手のブラフを次々と見破り、圧倒的な勝利を収めていた。


僕はその輪に加わった。


「面白い。新入りか。賭けるものは持ってるんだろうな?」

御子柴は僕を値踏みするように見た。


「ええ。僕の全財産を」

僕はそう言って、席に着いた。


ゲームが始まった。

僕は彼と真っ向から勝負はしない。

僕は僕自身の全ての感情を消し去った。呼吸、瞬き、指先の微細な動き。その全てを完璧にコントロールし、一切の情報を彼に与えない。

僕はまるで機械のように、ただ確率論と論理だけでゲームを進めていった。


数十分後、ゲームは僕の圧勝に終わった。

御子柴は初めて敗北したのだろう。彼は悔しがるどころか、その瞳を好奇心で爛々と輝かせていた。


ゲームが終わり僕がその場を去ろうとすると、彼が後ろから声をかけてきた。


「待ちなよ、あんた。一体何者なんだ? あんたからは何も読めない。まるで心が存在しないみたいだ。こんな人間、初めて見た」


僕は振り返り、彼に静かに告げた。

「僕は嘘を見抜けない代わりに、嘘をつかない人間だ。だから君のような才能が必要なんだ」


「……どういう意味だよ?」


「僕は今から、ある巨大な舞台を用意しようと思っている。その主役は、息をするように嘘をつく天才的な詐欺師だ。僕には彼の嘘を暴くためのナレーターが必要なんだ。君が今まで経験したことのない、最高にスリリングな心理実験に興味はないか?」


僕の言葉に、御子柴の口元が大きく歪んだ。

彼は心の底から楽しそうに笑った。


「……最高じゃないか! 面白そうだ! その役、引き受けた!」


二人目の仲間。

人の心を丸裸にする、天才的な読心術師。


その夜。

僕は新設した司令室で、初めての作戦会議を開いた。

もちろん、バーチャル空間での会議だ。

モニターには猫宮ひまりの『Nekomata』というアバターと、御子柴マコトの不敵なプロフィール写真が表示されている。


僕は二人に、今回のターゲットである『アルカディア』の全貌を説明した。

そして、僕の壮大な復讐計画の脚本を提示する。


「詩織は必ず僕が助け出す。そして我々は、神楽坂京介とアルカディアを社会的に完全に抹殺する」


僕は静かに、しかし力強く宣言した。

「最終目標は、一か月後に開催されるこの大学最大のイベント、『創星祭』だ」


僕は帝都大学の創星祭の公式サイトを画面に映し出す。


「僕たちはその最大の晴れの舞台で、彼らの全ての罪を最高のエンターテインメントとして、全世界に公開する」


僕の第二の卒業制作が、今、最高の役者たちと共にその幕を開けた。

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