第7話
狩りが始まった。
一条院司が、僕という存在に気づく前に、彼の息の根を止めなければならない。僕の時間は、限られている。
詩織からの報告通り、一条院は彼の忠実な手駒を使い、一連の事件の背後にいる黒幕を探し始めていた。彼のプライドが、自分を陥れた見えない敵の存在を許さなかった。それは、僕の計算通りであり、同時に、最大のリスクでもあった。
「奴が僕にたどり着く前に、チェックメイトをかける」
司令室の壁。赤いバツ印が付けられた四人の顔写真が、僕の戦果を物語る。だが、中央に君臨する一条院司の写真は、まだ無傷のままだ。彼を直接叩き潰すには、もう一段階、彼を追い詰める必要があった。彼の冷静さを奪い、判断力を鈍らせる、決定的な一撃が。
僕は、次のターゲットを、一条院司本人に定めた。
彼の金や権力ではない。彼の、偽りの『カリスマ』そのものを、剥ぎ取りにかかる。
作戦の鍵は、詩織が管理する、新聞部の古い記録保管庫にあった。
僕は、彼女に一つの指示を出した。
『二年前の、学園祭討論会の映像を探してくれ。テーマは、『これからのリーダーシップ論』。一条院が、一年生ながらにパネリストとして参加した、あの討論会だ』
『分かったわ。でも、そんな古い映像が、何になるの?』
詩織は、いぶかしんでいるようだった。
『一条院の嘘を暴く、最高の証拠になる』
僕は、そうとだけ答えた。
数時間後、詩織から「見つけた」という連絡が入った。僕は、彼女から映像データを受け取ると、ネットカフェの個室に籠もり、その映像を何度も、繰り返し確認した。
二年という歳月は、一条院をさらに傲慢に、そして狡猾に成長させていた。だが、彼の本質は、この頃から何一つ変わっていなかった。
映像の中で、一年生の一条院は、まだ少し幼さが残るものの、堂々とした態度で、熱弁をふるっていた。
「真のリーダーとは、人の意見に耳を傾け、決して他者の功績を横取りしたりしない! 透明性と公正さこそが、信頼の礎となるのです!」
観客席から、大きな拍手が送られている。
僕は、この映像と、もう一つの映像を組み合わせることにした。
それは、先日行われた、生徒会長選挙の立会演説会。僕が、退学処分になる前に、体育館で撮影しておいたものだ。
その中で、一条院は、ほぼ同じ内容を、全く同じ言葉、同じジェスチャーで語っていた。違うのは、その表情が、より自信と傲慢さに満ち溢れていることだけだ。
これだけでは、ただの「演説の使い回し」だ。パンチが弱い。
僕が狙うのは、もっと根源的な、彼の『盗癖』を暴き出すことだった。
僕は、映像編集ソフトを巧みに操り、二つの映像を並べて表示させる。
そして、討論会の映像、一条院が熱弁をふるう直前のシーンに、テロップを挿入した。
『この直後、一条院司氏は、素晴らしい演説を披露します。しかし、彼の右隣に座る、当時生徒会副会長だった、山本健一氏の発言にご注目ください』
山本健一。彼は、当時、一条院とは違う派閥に属していた、非常に優秀な先輩だった。だが、家庭の事情で、二年生の途中で、海外の学校に転校してしまった。
映像の中で、山本先輩は、一条院が話す前に、こう発言していた。
「今後のリーダーに求められるのは、透明性と公正さだと思います。人の功績を盗むようなことは、決してあってはならない」
それは、一条院の演説の、まさに根幹をなす部分だった。
一条院は、山本先輩の言葉を、まるで自分が考えたかのように、堂々とパクって演説していたのだ。
僕は、二つの発言部分を強調し、比較する動画を完成させた。
仕上げに、皮肉たっぷりのタイトルを付ける。
【衝撃】一条院司・生徒会長の伝説のスピーチ、実は完全なパクリだった件【二年前の亡霊】
この動画を、これまでとは違う、より過激で影響力の大きい、まとめサイトの掲示板に投稿した。
ウイルスは、再び、瞬く間に拡散していった。
『うわ、本当だ。完全にパクってる』
『他人の意見を盗んで、ドヤ顔で語ってたのかよ。最悪だな』
『そういえば、論文盗用された水城って奴、いたよな。あいつも、ハメられたんじゃないのか?』
僕の名前が、初めて、同情的な文脈で語られ始めた。
流れが、変わりつつあった。
一条院は、このスキャンダルに、すぐさま反応した。
彼は、学内放送を通じて、緊急の声明を発表した。詩織が、その音声を録音して、僕に送ってくれた。
『諸君、ネット上で、私を貶める悪質なデマが流れている。断じて言うが、これは事実無根だ。私の演説は、全て私の信念から生まれた言葉だ。私を陥れようとする、卑劣な陰謀に、決して惑わされてはならない!』
彼の声は、怒りに震えていた。
追い詰められた獣が、威嚇の声を上げている。
(それでいい。もっと焦れ、一条院)
彼の冷静さが失われれば失われるほど、僕の計画は、成功に近づく。
そして、彼が焦った結果、ついに、彼は僕の存在を特定する、大きな一歩を踏み出してしまった。
詩織から、血相を変えたような声で、電話がかかってきたのは、その日の深夜だった。
「レイ君、大変よ! 一条院が、あなたのことを調べ始めた!」
「どういうことだ?」
「彼、今回のパクリ動画の投稿者を特定しようとして、専門の業者に依頼したみたいなの。それで、投稿に使われたネットカフェまでは絞り込めたらしい。そして、そのカフェの防犯カメラの映像を、強引に手に入れたって!」
僕は、息をのんだ。
僕は、常にフードを深くかぶり、顔を隠していたはずだ。
「でも、大丈夫。顔は映ってなかったって。ただ……」
詩織は、言葉を詰まらせた。
「ただ、何だ?」
「あなたが、カフェの自販機でコーヒーを買うところが、一瞬だけ映ってたらしいの。その時、あなたが着ていたパーカー……。それが、あなたが退学になる日に着ていたものと、同じだったって。西園寺が、それを証言したらしいわ」
西園寺。あの裏切り者の狐が、最後の最後で、余計なことを。
「一条院は、確信したみたい。『一連の事件の犯人は、水城玲だ』って。彼は、今、あなたの住むアパートの場所を、躍起になって探しているわ。もう、ここも危ない! 早く逃げて!」
ついに、たどり着かれた。
だが、僕は、不思議と冷静だった。この時が来ることは、覚悟していたからだ。
「いや、逃げない」
僕は、静かに言った。
「もう、その必要はない。全ての準備は、整ったからだ」
僕は、司令室の壁に貼られた、旧図書館の見取り図を指でなぞった。
ダムウェーター。ピアノ線。鏡の破片。静電気。ステンドグラスの光。
そして、僕が学園から受けた仕打ちの、数々の証拠品。
全てのピースは、今、まさに、あるべき場所に配置されようとしていた。
「詩織、最後の仕事だ。計画の最終段階、『B-Final』に移行する。君には、卒業式の日に、旧図書館のイベント会場で、たった一つのことをしてもらいたい」
僕は、彼女に最後の指示を伝えた。
それは、復讐劇のクライマックスの、引き金を引くための、極めて重要な役割だった。
電話を切ると、僕は部屋の荷物を手早くまとめた。このアパートは、もう安全ではない。
だが、僕が向かうのは、逃げ場所ではない。決戦の地だ。
僕は、窓から、一条院が支配する陽泉学園を、最後の確認のように見つめた。
心の中で、彼に語りかける。
「僕を見つけたか、一条院司。だが、もう遅い。君が僕という駒を盤上から排除したと思った、あの聴聞会の日。その時から、君は、すでに僕のチェックメイトへの筋道に乗せられていたんだ」
僕の、そして君の、遅すぎた卒業制作。
そのフィナーレの幕が、今、上がろうとしている。
僕は、部屋の扉を開け、夜の闇へと、静かに姿を消した。
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