四十話 一息

 

 三智鷹にかけられた呪いを破り、妖へと打ち返した千依はその後、丸一日寝ていたという。

 それゆえに目が覚めた瞬間、千依が最初に呟いた一言は「お腹が減った」だった。




「……千依さん、さすがに起き抜けに肉を食べるのは、体に負担がかからないかな?」


 布団の上で食事をしているのは、寝間着姿の千依だ。

 その傍には三智鷹が心配そうな表情を浮かべながらも給仕をしてくれていた。


「なーに、言っているんですかっ! 体力も気力も霊力もぜーんぶ使った以上、栄養補給しないと戻るものも戻りませんよ!」


 もぐもぐと食べているのは、薄く切られた肉をたれに漬け込んで焼いたものだ。

 それをどんぶりに盛られた白米の上にどんっと載せて、千依は口へとかき込んでいる。


 本当は起き上がって、いつもの部屋で三智鷹と食事を摂ろうと思ったのだが、彼だけでなく、織人や一門の者達に無理をしないでくれと懇願されたのだ。


 彼らにあれ程、心配されるのは初めてだったので、千依は仕方なく自分の部屋で食事を摂ることにした。


 ただ、何故か三智鷹が傍でせっせと世話を焼いてくるので、妙にむず痒く感じた。


「三智鷹様。心配しなくても、私はただ霊力が枯渇して倒れただけですよ。他に異常はありません」

「うん、でも、心配だからね」

「……」


 この調子である。

 そこへ、足音が一つやってきた。


「──まぁ、まぁ、奥様。こうみえて、若は狼狽するくらいに奥様を心配してたんですよ」


 そう言って、「失礼します」と声をかけて部屋へと入ってきたのは、湯飲みが載った盆を持っている織人だった。


 三智鷹ほどではないが織人も頻繁に様子を見に来ては、千依の身の回りのことで女中達にまめまめしく指示を出したりしてくれていた。


「倒れた奥様を抱えながら、『織人ぉぉっっ!』って凄い焦りようでして。普段の余裕ありげな態度からは考えられない、あの動揺っぷり……いやぁ、傑作だった」

「おーりーとー?」


 三智鷹がじぃっと目を細めながら小さく睨むも、織人は一切気にすることなく、軽やかに笑っている。


「はっはっは。……ま、呪いを打ち返してくれた人が倒れたとなれば、心配にもなるでしょう。ちょっと引っ付き過ぎて、鬱陶しいかもしれませんが、しばらくは大目に見てやって下さい」


 織人は盆を千依の傍へと置き、「ごゆっくり」と告げてから去っていった。


 ふと、視線を部屋の入口の方へと向ければ、そこには様々なものが山積みになっていた。

 日持ちするお菓子や食べ物が、これでもかというほど積まれている。


 ここにあるのは、千依の見舞いに来てくれた一門の者達が置いていったものだ。

 中には「あの千依」が倒れる程に、呪い返しは大変だったのかと青褪める者もいた。


 ……そういえば、一門の人達には今回の呪い返しの相手が例の妖だとは伏せられているんだっけ。


 そのあたりは当の本人である三智鷹と織人が上手いこと説明してくれているようだ。


 早く元気になって、お礼を伝えに行くついでに、また以前のように彼らの鍛錬の相手をしようかな、と千依は思った。


 すでに十切れの肉を食べている千依だったが、やはり回復するには睡眠と食事が一番大事だなと改めて実感する。


「そんなに焦って、体調を戻そうとしなくても……」

「いえ、急がなければ、最後の一手に間に合わないかもしれないので」


 千依が至極真面目に呟けば、三智鷹ははっとした表情を浮かべる。


「……まさか」

「そのまさかです。……例の妖はまだ、生きています」


 三智鷹の表情がすぐに強張り、それから剣呑なものへと変わる。


「この件はまだ、終わっていません。私が破壊したのはあくまでも呪いの核です。それによって、相手に呪いは返っているでしょうが、消滅はしていないと思います。まぁ、呪いを返した際に、それなりに重い一撃を与えられてはいるでしょうが……」


 千依は織人が持ってきてくれた湯飲みを手に取り、お茶を一口飲んだ。


「……そうか。ならば、今度こそこの手で……」


 三智鷹は自身の右手を見つめながら、ぽつりと呟く。

 これまで三智鷹は呪いのせいで例の妖に攻撃することが出来なかったが、呪いを返した今、その枷はなくなっている。


 厳しい表情を浮かべる三智鷹の横顔を見ていた千依は口を噤んだ。


 ……あの時、私が見た光景を……妖が抱えていたものを伝えるべきなのかな……。


 呪いの核を通して見てしまった、妖が三智鷹へと抱える愛憎。

 唇をきゅっと結び直していると、三智鷹が小さく首を傾げた。


「どうしたんだい? 梅干しを食べたような顔をして」

「う……」


 千依はそうっと視線を逸らす。


「……ふむ。何か、僕に対して言いづらいことを抱えている、とみた」

「何で分かるんですかっ!? ……はっ!?」


 思わず反応を返してしまった千依は自分の口を急いで、手で塞いだ。


「おや、かまをかけてみたけど、当たったようだね?」

「みっ、三智鷹様ぁっ……。よくも、はめましたねぇ……」

「ふふっ、千依さんは意外と分かりやすいからね。……それで? 君は一体、何で悩んでいるんだい?」


 三智鷹の顔がぐいっと千依へと近付けられる。

 こんなにも顔が近いのは初めてだ。


「ち、近いですよ!」

「もう、呪いの心配をしなくていいからね。……さ、どうする? 君が抱えているものを素直に話してくれる方が、僕としては安心できるんだけれどな」

「うぐっ……」


 このままではお互いの顔が接触しかねないし、何より千依が全てを明かすまで三智鷹は折れないだろうと覚り、しぶしぶ彼に話すことにした。


「実は……」


 呪いの核に触れた時に妖の過去の記憶が流れてきたこと、そして三智鷹へと様々な感情が入り混じった想いを抱いた上で、呪いをかけていたことを彼へと明かした。


「……それと黒髪切の縄張りを奪い、人間の髪の毛を集めるようにと命じていたのもその妖でした。恐らく先日、私を襲った際に反撃を食らったことで傷を負い、人間の髪の毛を食べて回復しようと思っていたようです」


 それも千依が呪いの核へと触れた時に見えた記憶の断片だった。


「そうだったのか……。あの妖が……」


 やはり、三智鷹は例の妖が小鳥に化けていたことは知らなかったようだが、それでも出会った時のことは覚えていたようだ。


「……けれど、相手がどんな奴だろうと、見逃すことは出来ない」


 三智鷹は目をすっと鋭く細める。

 それは一門を率いる当主の顔だった。


 その判断をしてくれたことに、千依は安堵する。


 恐らくここで下手に同情し、心が揺れてしまえば──妖はそれを利用し、今度こそ手が付けられないものへと堕ちるだろう。


 それこそ、被害が拡大してしまう可能性だってあるのだ。


「ならば、やることは一つですね」


 千依の言葉に、三智鷹は力強く頷き返す。


「後が無いと自覚している手負いの生き物ほど、どんな行動を取るか、予測しにくくなります」


 なので、と千依は言葉を続け、人差し指を立てた。




「ここはひとつ──三智鷹様、囮になりませんか」


   

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