第7話 執行前夜

午後5時、ふたりは監理施設を出た。

名目上は「外出許可」、実際は“黙認”だった。

職員たちは書類の山に目を落としたまま、彼女たちの背を見送った。誰も止めなかった。


7月の風はぬるく、店頭に飾られた風鈴がちりんと涼やかな音を鳴らしている。夏の匂いが混じっていた。

高校の制服を着たひまりの横で、あいなはジャージに近いラフな格好をしていた。

でもそれが妙に似合っていて、ひまりはふと目を細めた。


「まず、どこ行く?」

あいながポケットに手を突っ込みながら言う。


「んー……どっか、人がいるとこ。

誰かの中にまぎれたまま、“いなくなる”って感じがいい」


「それ、ちょっとわかる」


会話は軽い。

だけど、その言葉の奥には「今日が最後」という確信がある。

ふたりはそれを悟られないように、口数を増やした。


繁華街の中心部にある大通り。

コンビニのネオン、100円ショップのガラス窓、行き交う高校生、サラリーマン、騒がしいTikTok配信者たち。


「普通だね、世界」

あいながボソリとつぶやく。


「うん。だから、今この瞬間だけ“生きてる”って実感できる」


通りすがりのカップルを見て、ひまりが小さく笑う。


「ねぇ、アイス食べない? わたし、チョコミント好き」


「え、チョコミントって歯磨き粉じゃない?」


「それ言う人、人生半分損してるよ」


「うっわ、それ言うやつまでテンプレ(笑)」


笑いながら、コンビニの自動ドアをくぐる。

チョコミントとストロベリーのアイスを1本ずつ。レジ前に並ぶお菓子を眺めて、ポテチもカゴに入れた。


「これ、ホテルで食べよう」


「ホテル、泊まるの?」


「うん、最後だもん」


“最後”という単語が、そこにだけぽつんと落ちた。

でもふたりとも、拾い上げなかった。


***


ふたりで入ったカラオケの個室。

6畳ほどの狭い空間。けれど、誰にも邪魔されない“密室”。


あいなはスマホで「懐メロ特集」を検索して、

ひまりが「あっ、この曲!」と叫ぶたびに予約ボタンを連打した。


懐かしいアニメソング、切ないバラード、失恋ソング、卒業ソング。


あいなは音痴だった。

ひまりもそこまでうまくなかった。


でも――声が響いた。

生きてるって、こういうことだと思った。


歌って、笑って、咳き込んで、ポテチをむせて、涙がにじんだ。


「ねえ、もしさ。

あのとき誰かが“生きて”って言ってくれたら、

わたしたち、今ここにいなかったかな」


「……わたし、言われたよ」


「誰に?」


「ひまりに」


それを聞いて、あいなは少しだけ俯いた。


「……ありがとう」


言葉が、音になった瞬間、ふたりの間の“なにか”が、ほどけていった。



深夜1時。

街の奥にあるビジネスホテル。予約は不要だった。


ツインの部屋に通されると、ふたりは荷物を投げ出し、ベッドに飛び込んだ。

白いシーツ。微かな芳香剤の匂い。少し硬い枕。


「こんな普通の場所で、死ぬ前夜を過ごすとか、変だね」


「逆に、普通だからいいのかもね。

あした、非日常の終わりを迎えるなら――今くらいは普通でいたい」


ベッドの上で並んで横になった。

部屋は静かだった。


「ひまり」


「なに?」


「……手、つないでていい?」


「うん」


指が、ぴたりと重なる。

そのぬくもりに、ふたりとも泣きたくなった。

でも泣かなかった。代わりに、そっと抱き合った。


キスではなかった。

求めるでも、慰めるでもなく――

“存在をたしかめ合う”ための、重なりだった。


「わたし、今日まで生きててよかった」


「わたしも」


「……ほんとに、ありがとう」


そう言って、ふたりはそのまま目を閉じなかった。

眠ってしまったら、あしたが来てしまうから。


だから、ずっと起きていた。

生きていた証を、残したかったから。


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