第37話 一対一




 スマホを眺めながら、指定された店が正しいかどうか確かめる。目の前にあるのは、完全個室が完備された和食店だった。山本は愛理から送られてきた地図と店名をもう一度確認すると、意気揚々とスマホをポケットに入れた。


『少し話せませんか ここでお願いします』


 愛理からそんなメッセージが来たのは、あの写真がばらまかれてから二日後のことだった。上司に詳細を聞かれて答えた後、愛理と山本は自宅謹慎になっていた。処分が決定するまでの一時的措置だろう。


 もうこの状況では言い逃れ出来ない愛理と自分は、周りから不倫関係にあると信じられているはず。懲戒解雇まではいかないにしても、減給や異動は避けられないだろうが、そんなことは覚悟の上だった。


 解雇がなくても、これだけ噂が広まった会社で仕事をしていくのは辛いはずだから、愛理は退職するだろう。自分も今の会社にいられなくなるかもしれないが、それでもよかった。貯金はあるから愛理としばらく生きていくだけの余裕はある。再就職先をすぐに探さないと。彼女を幸せにするためには必要なことだ。

 

 山本は新入社員の頃からずっと愛理が気になっていた。


 まず単純にビジュアルが好みだった。きりっとした美形で、人によっては近寄りがたさを感じる女性だ。さらに彼女は仕事ができたし、いつでもしっかり自分の意見が言える強い人だった。


 でも話すと案外、気さくなところがある。そのギャップがたまらなかった。


 自分だけではなく一部の男性社員に人気だったので、声を掛ける強者が相次いだが、愛理はちっとも靡かなかった。自分も遠回しにアプローチを掛けるも、まるでダメな日々を送っていた。


 二年前、ついに向こうは交際相手ができたといって、一度はあきらめたはずだった。結婚の話を聞いた時も、祝福しよう、と思ったのだ。


 あんな話を聞くまでは。


「もしかしたら、岡部は追い出されて行くところがなくなったのかも。俺の家に呼ぼう」


 目を輝かせながら店に入って行く。千紗の話からしても、湊斗は相当性格が悪い男らしかったので、こんな状況になれば愛理をすぐ切り捨てるだろうと踏んでいる。モテて自分に自信がある男は、「浮気される」なんて周りから見られるのを嫌がるはずだ。


 これでようやく二人を離れさせられれば……。


「こちらのお席になります」


 店員が笑顔である部屋に案内する。すっと引き戸を開いたところで、中に座る人の顔が目に入った。それを見て山本の笑顔が固まる。


「こんばんは」


 座っていたのは、湊斗一人だった。


 湊斗は爽やかな笑みを浮かべて山本を待っていた。てっきり愛理が待っているのだと思っていた山本の脳内は混乱する。愛理に呼び出されたのに、なぜこいつが一人で待っているんだ?


 自分が不倫について嘘の証言をしたことを、咎めにきたのだろうか。でも二人の間に恋愛関係はないのだし、ただの同居人のためにそこまでするとは思えない。特にこいつは、性格が終わってる男だし。


「……岡部は?」


「愛理は留守番してもらっています。さあ、どうぞ」


 湊斗に促され、山本は渋々湊斗の正面に座った。湊斗は山本の後ろにいた店員にウーロン茶を二つ頼むと、店員はいなくなり、二人だけの空間になった。


 湊斗はにっこり笑いかける。


「以前も一度お会いしましたよね。お久しぶりです」


「……あ、そうですね」


「今日は大事なお話があってきました。まあ、何の話かは大体想像ついているでしょうが」


「岡部と俺の関係ですよね? 俺たち盛り上がっちゃって……すみません」


 山本はへらへらと笑ってそう言った。そこへ湊斗が冷たい視線を送り、山本はびくっと体が跳ねた。


(なんか、すげー怒ってる……?)


 一瞬たじろいだ山本だが、負けてなるかと睨み返した。


「岡部とあなたは恋愛感情がないのに結婚したらしいですね? 戸籍上は夫だけど、噓の夫婦ってわけじゃないですか。岡部が外で何をしようと関係ないのでは?」


「……」


「あ……それとも」


 山本は片方の口角をいやらしく上げる。


「戸籍上は夫だから、慰謝料を請求できるって思ったんですか? がめついですね……でもまあ、あなたにも少しは迷惑を掛けてしまったのは事実なので、俺が支払いますよ。岡部の分も必要なら俺が。趣味もなくそれなりに金が溜まってきてしまっているので……」


 ペラペラと一人で話し続ける山本を、湊斗は冷たい目でじっと眺めていた。本当は今すぐにでも殴り飛ばして、許されるのならこの世から抹消してやりたかった。


 でも暴力はダメだと愛理に言われたので仕方がない。肉体的ではなく精神的に追い詰めるしかない。


「あなたは、そこまで愛理を好きなんですね」


「ええ。結婚したと聞いたときは諦めましたが、相手があなたと知り諦めるのをやめました」


「ああ、最近俺も知ったんですけど、前山美樹のことですよね?」


 湊斗がにっこりとして山本に尋ねる。前山美樹は、湊斗が大学時代少しだけ付き合った例の女性の名前だった。山本の頬がピクリと動く。


「……ええ。俺と電話したこと、思い出しましたか?」


「まずはその件から行きましょう。愛理から聞いたと思いますが、前山美樹は当時俺たち以外にも交際相手がいました。あなたが電話した相手はそれでしょう」


「そんな見え透いた嘘を信じる人間がどこにいるんですか?」


 山本は呆れた様子でそう言った。自分を正当化するためにそんな嘘を言うなんてあまりに見苦しい。


 すると湊斗は無言でスマホを取り出した。操作しながら続ける。


「いつ頃のことだったか俺はよく覚えてます。当時愛理に彼氏ができて、ショックを受けていた頃なのでね」


「はあ?」


「十月一日から八日までの一週間。俺が付き合ってた期間です。愛理のことでショックを受けていて、いい加減忘れないとと思ってたところへバイトが一緒だった彼女に告白をされました。こういうことを言うのは最低だとわかってるんですが、性格や顔立ちがどこか愛理に似ていたので、好きになれるかもしれないと思って付き合いだしたんです。でも彼女には他にも交際相手がいたと、すぐに判明しました」


 湊斗はスマホをすっと滑らせ、山本に見せた。怪訝な顔をして山本がそれを覗き込むと、黒髪の女性が見知らぬ男性と手を繋いで親し気に笑っている写真だった。


 それは山本が昔付き合っていた女性だった。


「日付、見てください」


 山本が恐る恐る見ると、九月後半だった。


「次の写真も見てください」


 今度は違う男性と映っていた。日付は似たような数字。


「さらにもう一枚」


 山本の指が震える。やはり、違う男性と似たような日付。


 湊斗は山本の手からスマホを奪う。


「この写真は借り物です。かなり昔のことなので、こんな証拠はもう残ってないかと思ったんですけど、あの子は過去の思い出もしっかり残しておくタイプだったみたいですね」


 もうとっくに縁が切れた相手の連絡先を探るのは少々骨が折れたが、当時のバイト仲間を伝って湊斗は辿り着いた。湊斗からの突然の連絡に前山美樹は驚き、さらに『当時の他の交際相手の写真を貸してほしい』なんて言われ、かなり怪しんだ。


 湊斗は簡単に事情を説明して、山本への潔白を証明したいと告げた。そして少々お礼のお金を弾ませて、山本に見せる以外決して悪用しないと念書まで書いた。前山美樹はちょうど金銭的に困っていたらしく、写真を数枚貸してくれたというわけだ。


 普通に考えて、5股していた過去の証拠を当時の交際相手に貸すなんてありえない行為だが、よく成功したなと湊斗は自分でも思った。


 一週間とはいえ、こんな女と付き合ってしまったのか、と湊斗は自分の過去に再度うんざりしたが、まあ後悔しても仕方がない。今は山本への対処に集中しよう。


「……これ、つまり……」


 先ほどまで余裕そうな顔をしていた山本の表情が、初めて変わった。もしや、本当にあの電話の相手は湊斗ではなかったのか? もしそうなら、自分と同じく浮気をされた被害者と言うことになる。


 だが山本は首を横に振った。


「こんなの、日付を変更すればいい話だろ!」


 そう言われるだろうな、とは思っていた。


 だが湊斗の狙いは、『湊斗が入手困難な写真を必死に手に入れた』ということを山本に知らせることでもあった。愛理のためにここまで動いたという事実は重要な点だった。


「まあ、その意見が来るだろうとは思っていました。大分昔の話なので、これ以上過去を証明する手段はないんです。これは一つの判断材料にしてください」


「……」


「話題を変えましょう。あなたと愛理が不倫していたという件について。愛理のスマホをくまなくチェックしましたが、あなたと個人的な連絡を取っている様子は全くなかったのですが」


 どきりと山本の心臓が鳴る。


「証拠に残るとまずいんで、会社で直接話してたんです」


「なるほどね。そこまでの入念さがありながら、街中で堂々とキスをした、と。矛盾していませんか?」


「……気分が盛り上がることもあるので。あの、なんなんですかさっきから? 慰謝料なら支払うって」


「ばらまかれたおかしな写真がこっち。それから、これを見てもらえますか?」


 湊斗はにっこり笑ってまたスマホを差し出した。山本は額に浮かんだ汗を軽く拭いてからそれを覗き込むと、見た途端ひゅっと喉が鳴った。


 防犯カメラの映像だった。固定された視点、独特の荒い画質。見覚えのある景色で、それが一体何を示しているのか山本にはよくわかった。


 少しして男女が二人で歩いて来る。男は手に大きめの荷物を持っていた。決して親しそうというわけでもなく、友人のような雰囲気だった。


 ふと男の方が女に何かを言う。女は不思議そうにしながら体の動きを止めた。そこへ、男が不自然な動きで女に顔を近づけた。


 角度や顔の向きなどを気にしているようだった。背後をちらちらと気にし、ぎこちない動きで何度も顔を動かしている。


 山本は真っ青になり、逆に湊斗の顔は笑顔になった。


「ギリギリでしたよ。こういう防犯カメラの映像って、どんどん上書きされてしまうパターンが多いんですよね。まだ残っていて幸いでした。街中だったので、近くの店のカメラに映っていましたよ……愛理とあなたですよね?」


「…………」


「なんだかおかしいですね? これ、俺にはキスなんてしてるように見えません。二人の顔は離れてますよね?」


「そ、そうですか? 画像は荒いし……」


「まあ、弁護士を経由して映像解析業者にお願いしているので、そのうちもっと鮮明な映像が上がってくると思いますよ。どんなものが映ってるか、あなたならわかってますよね?」


「弁護士?」


 山本は目を丸くして聞き返す。湊斗はははっと軽く笑った。


「ありもしない証拠を捏造されたんです。名誉棄損はもちろん、職場にもばらまかれたので偽計業務妨害罪もあるかもしれないですね」


 山本の心臓が初めてバクバクと大きく鳴り始めた。


 愛理のためならどこまでも堕ちていくと心に決めていたし、愛理が幸せになるためなら何でもしようと思っていた。罪になるとしても、愛理が救われるならそれでもいいと今でも思っている。


 でももし、もし湊斗の言うことが本当だったとしたら……? こいつは、最低な男じゃないのか?


 愛理のために昔の交際相手を探し出したり、弁護士に相談したりするその行動力は、明らかに想定外だった。


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