第16話 異世界で生きるという事

 朝がやって来た。

 森を燃やしていた炎は完全に鎮火しており、孤児院を取り囲むように黒く焼け焦げた樹木が倒れている。平野部にあったゴブリンの死骸はレイノルド達によって集積され、ケイトリンが焼き尽くした事で綺麗サッパリと消えていた。


 孤児院から少し離れた場所には土が盛り上がった所があり、剣の鞘が突き刺さっていた。昨晩こん棒によって命を落とした兵士のための墓だった。ゴブリンに踏まれて酷い状態になっている事が予想されたが、意外にも綺麗な状態が保たれていた。遺体の周囲に散弾が放たれた痕跡が集中していたため、ルクスがゴブリンを寄せ付けないように気を使っていたのが分かる。


 地面には、溝が掘られていたり、散弾によって掘り返されている場所が大量にあったが、それ以外の昨日の戦闘を感じさせる痕跡はレイノルド達の手によって消されていた。


「さすがに応えたわ」


 レイノルド達は孤児院の井戸のそばで水浴びをしていた。夜を徹して作業していたため疲労困憊の様子だが、あの惨状を片付け切ったことに満足しているようだった。


「死体の山を見せつけられた私の身にもなってよね」


 ケイトリンは仮眠を取っていた所を叩き起こされていたため、少し苛立っている様子だ。燃やす手筈が出来たら教えて欲しいと伝えていたのは彼女なので、自業自得であった。


「一騎当千だったなぁ」

「私の自慢の弟子よ」

「あの時の子供がここまで大成するとは……お前に師としての才能は無いと思っとったが、意外にやるもんだな」

「……教えてあげられた事なんて全然ないけどね」


 ケイトリンの中でケリが着いた話だったが、まだ自分自身を納得させる事ができていなかったため少し歯切れの悪い返事になった。それを知ってか知らずか、レイノルドは気持ちの良い返答をくれる。


「教えるだけが師匠の役目じゃないからな。お前さんはあの子に心から安らげる環境を与えてやれてるだろう。あの子の表情を見てれば分かる」

「……そう思う事にするわ」


 ケイトリンとレイノルドは共に魔物退治をしてきた仲だったが、碌に会話をした事が無かった。互いが互いを高潔な存在だと思っていたからこそ接点を持つことが出来ていなかったのだ。しかし、今回の出来事を通じて微妙な距離感は解消出来たのだろう。二人の会話はしばらくの間途絶える事が無かった。


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 外でケイトリンとレイノルド達が談笑している頃にルクスはいた。


「うおっ」


 ベッドの脇でウィルが壁にもたれながら寝ていた。


「……ウィルに看病されてた、のか?」


 幸い、身体に違和感は無かった。ウィルの看病のおかげだろうか。目は冴えていたので、そのまま起きる事にした。恩返しのつもりで、自分が使っていた布団をウィルにかけて上げようと考えた。

 大人の身体であれば手こずる事は無かったのだろうが、ルクスの身体では毛布をかけるのも一苦労だった。ウィルの周りを歩き回ってようやく良い感じに毛布を掛ける事に成功した。しかし、時間をかけ過ぎたせいでウィルは目覚めてしまった。


「あれ……、ルクス坊、身体は大丈夫ですか?」


 寝起きの一言が心配の言葉なのが流石だった。


「あ、はい。本当に悪い所なんてあったのかなーって感じです」

「はは、それはいいですね」


 ウィルは眠そうに目をこすりながら立ち上がった。


「起こしてしまってごめんなさい」

「いや気にしないでください。それより一応診察しても?」

「はい」


 ウィルは俺の右腕を掴むと、袖をめくって皮膚の表面を詳しく検分した。最後に額に手を当てて熱が無い事を確かめると、ウィルの表情は和らいだ。


「本当に異常は無さそうです。驚きました」

「そんなに私の状態が悪かったんですか?」

「逆です。あれだけ魔法を使って勢い良く倒れたのに悪い所が無かったんですよ。治療方法も分からないから一時はどうなるかと……」

「本当ならどうなってるはずだったんですか?」

「血管の異常な浮きあがりと、火傷痕に皮膚の爛れ、発熱っていうのが通常です」


 ウィルの説明はケイトリンの右手に現れた症状と一致していた。


「ケイトリンは大丈夫ですか⁉」

「あちらの治療は済んでいます」

「良かった……そういえば被害状況は?」

「最初の兵士を除けば全員無事です。ルクス坊のおかげですよ」


 ウィルの感覚では、これだけの大軍に襲われて被害が一人で済んだのは奇跡だった。ウィルだけでなく、この世界のほとんどの人間が同じ感性を持ち合わせている。

 しかし、寿命で死ぬのが普通で病気や事故で死ぬのが悲劇的なものとなっている現代からやって来たルクスにとって、その言葉は慰めにはならなかった。


「でも一人は死んでしまったんですよね」

「ですが、全滅の可能性もありました。ルクス坊が皆さんの命を救ったんです」

「……」


 ルクスは亡くなった兵士が最後に何を感じたかについて思いを巡らせてしまった。ルクス自身が体験した果てしない寒さと孤独感、そして圧倒的な死の恐怖を感じたはずだった。


「俺がもっと強ければ死なずに済んだのに……」


 強ければ効率よくゴブリンを殺せたから彼は助かった?ゴブリンは人間じゃないから殺しても良い?虫より大きい生き物を殺したことが無かったのに、なぜゴブリンを当然のように殺すことが出来た?知能が低いから?知能が低ければ死の恐怖も感じないと思ったのか?


 一瞬で思考が駆け巡り、思わず胃の中の物をぶちまけそうになる。今さらになって大量の命を奪った事に気付いて気分が悪くなったのだ。

 自分で選択して命を奪った実感が無く、実感が無い自分にとてつもない嫌悪感が湧く。死の恐怖を誰よりも知っていたはずの自分が躊躇いなく死を与えたのも気味が悪かった。


「すいません、気分が悪くなってきたので風に当たってきます」


 いずれにせよ落ち着く時間が必要で、ウィルの静止も聞かずにルクスは部屋を飛び出した。外に出る為には孤児院の廊下を通らなければならず、知り合いに会う可能性があった。精神的に不安定な事を自覚している今は誰にも会いたくないとルクスは考えていたが、外に飛び出した瞬間に壁にもたれかかったレオンと目が合う。

 ルクスが出てくるのを待っていたようで、こちらの顔を見るなり駆け足で寄って来る。最悪なタイミングだとルクスが考えていると、彼の額に見慣れない傷跡があるのに気付く。治療されたように見えるが、赤黒く変色した額は少しグロテスクだった。


「レオン、その傷跡って……」

「昨日も炊事場で戦いを見てたんだけど、飛んできた棒に当たっちゃって……でもルクスが活躍したのは見てたからな!お前のおかげで皆助かったって言ってるぜ」

「それ痛くない?」

「あぁ、ウィルが治してくれたんだ。意外と良い奴っぽいな!」


 レオンは傷が出来た事を全く気にしていなかった。しかしルクスはまたしても自分の力不足を痛感していた。子供に怪我を負わせ、傷跡を残してしまった事が心を曇らせる。


「みんなルクスに会いたがってるから一緒に来てよ」

「ごめん、師匠に会いたくて……その後でも良いかな」

「分かった。みんなに言っておく」


 レオンはそう言うと子供たちの居室に走って行った。

 師匠に会いたいというのは嘘で、今は誰にも会わずに心の整理をしたかった。表玄関には井戸があり、外に出ても誰かがいる気がしたので裏口から外に出る。

 

 裏口を開けると昨日の戦闘跡が広がる。ゴブリンの死骸は片付けられていたが、凸凹の地面が戦闘の激しさを思い起こさせる。

 視界の片隅に地面に突き刺さった剣柄が見えた。昨日亡くなった兵士の持ち物だとすぐに気付いた。地面が盛り上がっている所を見るに、亡骸の回収は出来たようで、ルクスはほっと胸をなでおろした。彼は死んでしまったが、亡骸は守る事が出来た。既に起きてしまった事に対して最善の行動が出来たはずだと。

 

「最悪の中の最善か」


 人の命を助けてゴブリンを殺したのは、それが最善だからだ。ゴブリンを殺さなければ自分が殺されてしまうし、人を見殺しにすれば気分が悪い。ゴブリンを殺した事で嫌な気持ちになったが、見殺しにするよりは気落ちしない選択だ。

 否が応でも選択しなければいけない最悪な状況で、ゴブリンを殺しきる選択肢が最善だったのだ。


 ”最悪の中での最善”


 この言葉はルクスの胸中にすっと落ち着いた。思い当たる出来事が多かったからだ。

 家族、友人、進学、就職、結婚。様々な場面で最善を選ぼうともがいてきた。本当の意味で最善の選択が出来た事は無く、少なからず遺恨が残ってしまう事はあった。それでも、その時点での”最善”を掴み取って生きて来たのだ。


 他者の命を奪わないと生きていけない世界において、殺す相手を選ぶのは”最悪の中での最善”である。今自分が置かれている環境が特殊なのだから、最低限の”殺し”は当然必要な事で、それを捻じ曲げて生き抜くのは難しい。

 後ろ盾がある訳でもなく、この世界における情勢を知らず、唯一あるのは魔法の才だけ。自分の生命を保証してくれるのは魔法だけで、元の世界に戻るための道筋も魔法だけ。

 真っ当に生きていれば”才能”が無くても生きていけた元の世界と違い、この世界では自分の才能を信じてひた走るしか無いのだ。


 ルクスの中のわだかまりは消えていた。

 この世界でやるべき事と、割り切らなければいけない事。それらがルクスの中でかっちりとハマったのだ。


「……みんなに顔見せに行くか」


 懐から杖を取り出して孤児院の裏側を整地すると、井戸そばで休んでいるはずのケイトリン達の元へ向かった。ルクスの顔からは幼さが抜け、この世界を生き抜く覚悟を持った表情になっていた。

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