第8話

 この【食堂】でしか発生させられない特殊イベント――序盤の序盤で入手できる武器であり、作中最強の一角である武器『膿んだ命の壊剣かいけん』を発生させるイベント。


 思い付いたそれは、脳内にあるこのゲームに対する知識を総動員して導き出せる選択肢の中で、最も自分への負荷が重いものだ。しかし、ほかの選択肢では、どれもダメだった。ほかのことでは、何をしたところで、姉貴を救うことにはならない。結局、姉貴や婚約者さんに護られることにしかならない。それでは、やる意味などないのだ。


 それに、この夢を自分が変わる、現実の自分の更生の一歩とするなら、思い付く中での最も難しいことをしなければならないだろう。簡単なことをやる。それはただの逃げだから。

 やると決めたら、やる。

 現実ではいつも、うじうじしたから、失敗してきた。あれをしなきゃ、これをやったほうがいい、そう頭ではわかっているのにいつも心に巣食う臆病とか怠惰に敗北してきた。だから、オレの人生は敗北の連続だった。当たり前だ。自分に敗け続けていれば、敗けの人生に決まっている。今こそ臆病も怠惰もぶっ殺してやるときだ。死ね、弱く怠けたオレよ。


 イベントを発生させるのに、必要な材料を二つだ。

濃血のうけつ

壊蟲かいちゅう

 ゲームの中では、この二つがそれぞれ、三百三十三個ずつ必要になる。

 用意するのは、極めて簡単だ。なぜならこの、主人公が目覚めるこの場所でどちらも揃うから。だから、このイベントが発見されたとき、多くのプレイヤーたちは驚愕した。まさか最初の場所で、あんなチート級の武器が入手できるようになっているなんて……とな。


 オレは【食堂】を出て、脳内情報を頼りに、壁一面を埋める棚の一角に向かう。

「う」近づいていくと、嫌な臭いがした。常に、現実ではまず嗅がないだろう不快臭がぷんぷんしていて、いつの間にか嗅覚が慣れた――正確には、狂った?――のか、もう臭いとも思わなくなっていたのに。嫌な臭いがした、ということは、ここは別格というか、ということなのだろう。

 さて。『濃血』も『壊蟲』も、どうやって手に入るのだろう。この棚にあるんだろうが、実際のゲーム中では、この棚の前に来れば、キーを押すだけでアイテムが手に入る。どちらのアイテムも、ここで無限に入手できるようになっているのだ。しかし今、そんな案内もない。……、……。まあ、探るしかないわな。


 棚の上部はガラス張りで中が見える。並んでいるのは無数のサイズ違いのビン。ビンの中には、得体の知れない何かが浮かんでいたり詰まっていたりする。現実で言うところのホルマリン漬けというヤツか。このどれかが『濃血』で『壊蟲』なのだろうか。ゲームの、アイテムのイラストに似た物体は…………ないように見える。まったく、ゲームと同じように簡単にアイテムを拾えるようにしておけよ。


 ビンが縦列して陳列されているようだから、もしかすると手前のものをどかすとお目当てのものが手に入るのかもしれないけれど、まずは下部の戸棚を調べることにした。上部のガラス張りと違って、戸を開けてみないと中がわからない。その場にしゃがみ込む。

 戸を開く。「う、おぇ」あまりの臭気に、思わず吐きそうになった。胃がぎゅるると変な動きをしたけれど、なんとか嘔吐せずには済んだ。なんだこの臭い、えぐ過ぎるだろ。


 顔を低くして、中を覗く。あったのは、木箱が二つと、黒色の大きなビン……いや、こういうのは、かめ?と言うんだったか……まあいいが、とにかく大きな器が二つ。

 これか。直感でそう思った。まあ、違ったらまた探せばいいだけのことだ。直感を信じてまずはこの木箱と容器を引っ張り出して中身を確認しよう。


 低い体勢のまま両手を突っ込み、まずは重そうな甕のほうを持つ。持ち上げようと力を入れてみたが、適した体勢でないというのもあるけれど、オレの腕力では無理だった。無理すればやれなくもないが、無理することではない。少しずつ、手前に引き摺り出すことに。

 完全に外に出し終えた。次は木箱だ。同じように、引き摺り出す。


 立ち上がる。「ふぅ」夢だというのに、じんわりと汗ばんでいるし、疲れもあった。

 見下ろす。黒い木箱と黒い甕。異様な空気感を発している。まずは……甕から中を検めることにした。鍋蓋のような、巨大でべそが如き持ち手を掴み、持ち上げてみる。かなり重たくて、片手から両手持ちに変える。「ッッッ」強烈な臭気に、思わず持ち手を離して遠ざかった。視界が歪む。涙だ。頭も痛い。あり得ない臭いだった。間違いなく殺傷能力がある、そう思わずにはいられないほどの鋭さ。頬を伝う涙を乱暴に拭い、深く息を吸って止める。


 近寄って、持ち手を掴んで、なんとか床へ置くことに成功。

 中を覗く。……あった。中で揺れているのは、どす黒い液体だった。

 間違いない。これが『濃血』だ。作中、アイテムのテキストには『生きた血と呼ぶには黒く、そして、重たさを感じさせるほどの粘り気』とあったが、まさにその通りのもの。


 次は、木箱だ。……、……。抵抗がある、中身を確認するのに。なぜなら、もしも本当に『壊蟲』が納まっているとしたら、それは大量の蟲を見るということだから。蟲なんて見ないで済むなら見たくない。というか、嫌だ。蝶ですら抵抗があるのに。

 ……いや、ビビるな。やると決めただろうが。


 また深く息を吸って、吐かずに止めて、木箱の蓋を開ける。

 ――カサカサ、カサカサ、カサカサ、カサカサ

 無数の音に襲われて、瞬間、全身がかゆくなった。圧倒的、生理的嫌悪。反射的に蓋を落としてしまいそうになったが、なんとか堪えた。逃げない、逃げない。逃げるな。意を決して中を見下ろす。「んぐ」吐き気が込み上げた。痒みがさらに増す。


 大量の蟲がいた。木箱の中、びっしりと、黒い色をした、小指サイズほどのものがうごめいている。イモムシのようなヤツだから、飛びも跳ねもしない。ただ、もぞもぞと蠢いているだけ。どいつもこいつも、どこに行けるでなく、互いの身体を擦り合わせているだけ。

 その、この中で蠢くことしかできないという有様が、なんとも気持ち悪かった。

 一旦、また蓋を置く。と、不思議とあのカサカサ音が聞こえなくなった。この木箱、木箱のくせに、あり得ないほど密閉性が高いのか。そういえばゲーム中でも、あれだけ些細な環境音や敵の動く音にも狂気的なこだわりをみせていたのに、ここでは蟲が這っているような音はなかった。開発者がここの作り込みはあえてしなかったのか、それともやはり、密閉性の高い箱という設定なのか。


 まあ、いい。何はともあれ、必要なものは見つかった。

 残すところは、あと、調理と食事だけ。

 それで、オレの目的は達成される。


 現実で真っ当に生きる、その一歩目を踏み出せるのだ――

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