第十九話「欺かれた視線、揺らぐ真実」

 廃教会の奥、闇に溶けるようにして立つ美月は、固く拳を握り締めていた。


 蓮の姿を模した“何か”が、自分を見つめている。まるで本物のように、あの声で、あの目で語りかけてくる。


「……もう、大丈夫だよ。全部、忘れてさ……」


 その優しい声音が、今は何よりも恐ろしい。


 月明かりの届かない祭壇の影に、鏡のように黒く光る“何か”が揺れる。それは液体のようでもあり、ガラスのようでもある不確かな存在だった。


 ――あれは、扉。


 心の中でそう確信した瞬間、黒い“鏡”が波打った。


 足音が一歩、近づく。


「やめて」


 美月の声は震えていた。だが、視線は逸らさない。


「あなたは……蓮じゃない」


「どうしてそんなこと言うの?」


 声が揺れる。感情があるように聞こえるのが、また恐ろしい。


「僕は蓮だよ。いつも、君のことを――」


「……うるさいっ!」


 叫びと同時に、美月は足元の瓦礫を掴み、それを偽物に向かって投げつけた。


 だが瓦礫は、その身体をすり抜け、後ろの壁に砕け散った。


 ――やっぱり、違う。


 息を荒げながらも後退する美月に、偽物の“蓮”は一歩、また一歩と近づいてくる。


「やめて……こないで……」


「君はもう、疲れてるんだよ、美月。全部、終わらせよう? ここで……一緒に」


 そのとき――


 頭の奥に、鋭い声が響いた。


『逃げろ、美月……! そこは、“本物”じゃない!』


 聞き覚えのある声――蓮の、本物の声だった。


 はっとして周囲を見渡す。だがそこに蓮の姿はない。


 “偽物”がわずかに眉をひそめる。


「……なんだい、それ」


 次の瞬間、鏡のような黒い扉が割れ、白い光が漏れ始めた。


「美月ッ!」


 本物の蓮の声が、確かに空間を貫いた。


 偽物の表情が、初めて歪む。


 ――これは、“揺らいでいる”。


 美月はその一瞬の隙を逃さず、扉の奥へと走った。


 黒い液体が美月の足元を掴もうと這い寄る。だが、彼女は振り払うように叫んだ。


「私は、蓮を信じてる……!」


 白い光が、全てを呑み込むように広がっていく。


 次に目を開けたとき、美月は――


 見知らぬ空間に立っていた。


 そこには、白い床、白い天井、白い壁。そして、その中央に――


「……蓮?」


 振り返った“彼”が、静かに、ゆっくりと頷いた。


「……やっと、会えたな」


 空間が、ほんの少しだけ震えた。


 ここは、現実か、虚構か。まだその答えはわからない。


 だが、美月の胸の奥にあった“確信”だけは、ひとつ。


 ――この蓮は、“本物”だ。

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