第二章『蠢動する異形、裂けゆく日常』

第十四話「蠢動する異形、裂けゆく日常」

 ――それは、静かに、だが確実に、侵食していた。


 ギルド支部の朝は、どこか妙に静かだった。


 蓮の姿がないことに、誰も違和感を抱いていない。


 あの部屋にいたはずのセシルとクレオのことも、まるで“最初から存在していなかった”かのような空気が支配している。


「……変だな」


 唯一、その“違和感”に気づいているのは――水瀬 美月だった。


 昨夜、鏡の中で見た“蓮の笑み”が頭から離れない。


 あんな笑い方、蓮がするはずがない。あれは――別の何かだ。


 ――誰かの模倣。

 ――あるいは、すり替え。


「……ヘレナさん」


 美月は、支部長室の扉をノックする。


 ギルド支部長・ヘレナは、いつものように机に向かっていたが、美月を見るなりわずかに眉をひそめた。


「……どうかしたかしら?」


「蓮、いません。あと、セシルさんとクレオさんも、見当たらないんです」


「セシル……? クレオ……?」


 一瞬、ヘレナの瞳に戸惑いが浮かんだ。


 しかし次の瞬間、それは“なかった”かのように、平静な表情へと戻る。


「……失礼、誰のことかしら」


「……え?」


 まるで、名前そのものを“記憶していない”ような反応。


 美月は言葉を失った。


(そんなはず……昨日まで、一緒にいたのに)


 記憶の改ざん――いや、“現実の書き換え”。


 ゾッとするような悪寒が背筋を這う。


 何かがおかしい。確実に、何かが狂ってきている。


 その日の午後、美月は一人、蓮の部屋へと向かった。


 ドアは施錠されておらず、誰かが出入りした形跡もない。


 だが――


 鏡の前に立ったとき、思わず足が止まった。


「……っ!」


 映っていたのは、“蓮”だった。


 だが、その蓮は笑っていた。

 普段絶対に見せない、歪んだ――“作られたような笑み”を。


 そして次の瞬間、“鏡の中の蓮”が、笑顔のままこちらに手を振った。


「――っ!?」


 美月が振り返ると、誰もいない。


 だが鏡の中には、まだ“蓮”が立っている。


(……これ、いつから……)


 そして気づく。


 その“蓮”は、昨日見た鏡の中の存在と“同じ笑み”を浮かべている。


 ぞくり、と背筋を冷たいものが駆け抜けた。


「……っ、やば……」


 急いで部屋を出る。鼓動が速くなり、呼吸が浅くなる。


 階段を下り、支部の一階へと向かう。


 そこに、“蓮”がいた。


 食堂の隅、テーブルに一人腰掛けていた。


「――蓮っ!」


 美月が声をかけると、“蓮”はゆっくりと顔を上げる。


 ……だが、その表情を見た瞬間、美月の体が固まった。


 そこにあったのは、“絶対に見せないはずの笑み”。


「おはよう。……どうした?」


 声は蓮そのもの。


 しかし、表情も、雰囲気も――まるで別人だった。


(――これ、本当に蓮……?)


 蓮は、笑っていた。


 あの、感情を押し殺すような蓮が。


 “そんな笑い方、絶対にしない”と知っている蓮が。


 笑って、こちらを見ている。


「……っ、なんで……」


 目の前の“蓮”が、ゆっくりと立ち上がる。


 その仕草も、“完璧に蓮”だった。


 だが――


 その笑顔が、“完璧すぎた”。


「ねえ、美月。どうしたの? そんな顔して」


 やはり声は、蓮そのものだった。


 けれど、美月は確信していた。


(これは――“本物じゃない”)


 目の前にいるのは、“蓮”の模倣。


 “あの鏡”から現れた、何か――“別の存在”。


(じゃあ……本物の蓮は、どこに?)


 その瞬間、支部の全てが、静かに“非現実”へと歪み始めた。

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