第四話 正夢

「今日は行ける気がする!」

 心配する母の顔に笑顔で答え、うたたは家を発った。見知った通学路も、すこし刺激的な新体験に感じた。

 少し汗ばむ。夏が始まろうとしていた。早々と家を出たうたたは、なぜか遅刻ぎりぎりで教室にたどり着いた。友だちともそこそこに挨拶を済ませ、席に座るなりぼんやりと考えごとを始めた。

 今朝の夢は、これまでになかった。

 謎の男獏太郎と、ごみ山の魔物。今まで見てきた夢は、うたたにとって、うたた自身の世界だった。うたたの記憶、経験、心情──そういったことの混ぜものでしかなかった。しかし今朝の夢には、妙に現実めいたがあった。

 うたたは今朝の夢を反芻しながら、窓際の席でくうを眺めていた。

 子供のままでいた中学生活が終わり、少しずつ大人の仲間入りを始める高校生。うたたはその現実に置いて行かれている。うたたの中でその問題は最近感じ始めたものであり、ながらも人生単位の大きなものだった。悪夢というなら、やはり内面的な苦悩が映し出されるものだろうが──。

 うーむ、わからない。

 うたたは目の前に迫った音読の順番に気付かないまま、ずっとそんなことばかり考えていたのだった。


 これといった支障もなくその日の授業を乗り切ったうたたは、久しぶりに会った友だち数名と学校をあとにした。途中の駅で一人降り、途中の分かれ道で一人別れ、そうしているうちに、うたたは一人になった。

 今日はこっちから帰ろう。

 いつもは通らない道で、うたたは、また夢で見た景色を思い出していた。夜の夢で全体的に薄ぼんやりとしていたが、今朝のことだ。よく覚えている。路地裏、公園──赤い看板。

 違和感。

 空気がにごる。うたたの無意識が、周りをよく見ろと訴える。

 知らないお店、知らないのぼり。見たことのないはずの景色が、妙に見知って感じられる。

 路地裏、公園──赤い看板。

──」

 目に留まったのは、夢に見たあの赤い看板。表面には「弁当 まんぷく屋」の文字。そして看板の前の道からぐっと視線を上げると、道を覆うプラスチックの天井に「福長商店街」の文字。

 あれは、

 ここに至るまでに見た景色は、夢では捨てられた細部ディティールだったいうのか。それゆえの違和感。既視感。

 その角を曲がってがいたら、これは夢の再現になる。うたたはそれもって、今朝見たものが正夢かどうかを確かめようとした。

 目の前には赤い看板。そして、辻の方へ視線を向ける。

 ──いない。そこに男──獏太郎の姿はなかった。たとえこれが正夢までしても、つまり魔物や獏太郎はいないということだ。

 ほっと一息。夢のようなことにはならい。

 それはそれで残念だなあ──


 途端、夢で覚えた恐怖が背後に現れた。──いる。夢に見た魔物である。しかし不思議なことに、夢とは違って振り返ることができた。これは現実ゆえの自由であった。

 その魔物に、頭はなかった。古めかしい服を着ているが、ところどころ破け、あるいはその大きな体躯からだを覆いきれずにはだけている。腕も脚も人間のそれに似ているが、肘膝が多かったり少なかったりとうたたの知る人間像とは相異あいことなる。

 うたたは、このとき思った。


 ──怖い。


 そして、──なんと不思議なことか!


 うたたはその魔物を恐れながらも、その不思議に目がくらんでいた。つまり今朝の夢は正夢であったと、そこで確信したのであった。その事実がさらにうたたを喜ばせた。


 そう、うたたは期待していたのである。その男の──間獏太郎の登場に。

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