アムネシアの蕾

ウニヤ

第1話


 かつてこの大地を治めていた龍種については、未だに多くの謎が残っています。

 彼らにはどの程度の知能があり、そしてどのような生態系を築いていたのか。また、彼らはどうしてこの世界を去り、我々にこの世界を託したのか。これらについて有力な説、あるいは支持を集めている説は確かにいくつか存在しますが、そのどれもが憶測の域を出ていないのもまた事実です。

 精霊はその手掛かり――その存在は龍種の力の残滓そのものですから、龍種の謎を解明するためには必然的に精霊、ひいては現代における魔法そのものを解明しなければいけません。尤も、ワタシは精霊との交信ができませんがね。……驚きましたか? どうやらワタシは精霊から嫌われているようで。


 ですが、ワタシはこうも考えているのです。精霊との交信ができず、龍種の力の残滓を感じ取ることができないワタシだからこそ、この大陸に生きる人間には見えないものを見ることができるのではないかと。

 これを天賦と取るか、あるいは欠点と捉えるかは今後のワタシの研究次第でしょうね。


 ……話が脱線してしまったようですね。本題に戻りましょう。

 過去に存在した龍種のうちのひとつ、「カセル・テネヴェーラ」が齎した死生観は現代においても大きな影響を及ぼしています。『死した者はカセルの創生した冥界へと流れ、そこで魂が次の器へと転生するのを待つ』――これは、龍種信仰が盛んだった古代から伝わる教示のひとつです。皆さんも一度は聞いたことがあるのでは?

 もちろん、現代においてこの死んだ者が冥界に行き、魂が次の器へ転生する――いわゆる『輪廻』を信じている者は殆ど存在しません。科学によって文明が発展したこの時代において、検証が不可能なことは「ありえない」と切り捨てられるようになりました。


 よってこの『輪廻』を信じる者は、現代では異端者扱いされるようになってしまったのです。

 ……ワタシですか? ワタシは自分の目で見たものしか信じていませんよ。

  これまでもこれからも、ワタシが目にしたものこそが真実なのです。



「本日の講義は以上となります。後日、レポートを提出することを忘れずに」


 教壇に立つ男がそう言葉を落とした瞬間、学生たちの鬱屈とした息と紙擦れの音が講義室へ染み渡った。

 時刻はちょうど十八時の半になったところだった。窓から差し込む夕焼けの枯れたような赤い光が、男の手元をぼんやりと照らす。男は講義の資料とチョーク、それと通行証を纏めると教壇から離れ、荷物を纏めて教室を後にする生徒たちを一瞥した。授業を終えた生徒たちの喧騒は男にとって煩わしいものだったが、しかしここの学生たちは優秀な者ばかりだということも男は知っていたため、何も言わなかった。

 そうして男は教室の最前列、ちょうど窓との間の柱が作った陰のあたる席へと目を向ける。

 そこには机に突っ伏したまま、ぴくりとも動かない女生徒の姿があった。


「むにゃ……今日はこれでいいや……」


 なんて寝言を零しながら、幸せそうに惰眠を貪るその女生徒を男は冷ややかな目で見下していた。


「………明日もこれはさすがに贅沢か……?」

「起きなさい」

「うぎゃ」


 何を考えているのかは分からないし分かりたくもないが、とにかく取るに足らない無益で下世話な妄言をだらだらと垂らす女生徒へ、男は手にした革装の本を振り下ろす。


「わっ……あれ、センセ? もう授業終わっちゃったの?」

「ええ、とっくに。そんなにワタシの講義は退屈でしたか?」


 不満そうに腕を組む男に、しかし女生徒は気にもしないといった様子で、まだ寝ぼけたままの目を擦りながら答えた。


「退屈ってワケじゃないけどさ。センセの声ってなーんか眠たくなっちゃうんだよね」

「聞き飽きた言い訳をどうも。それと何度も教えていますが、ワタシは先生ではなく教授です」

「はーいはい、分かりましたよー。龍種研究の第一人者、ラヴェンデル……セーンセ?」

「まったく……。こんなに物覚えの悪い生徒はアナタが初めてですよ、セツナ」

「へへっ、そりゃど~も~」


 セツナと呼ばれた少女はそう笑うと、一度うん、と身体を伸ばして立ちあがった。


「今日は”本を借りに行く日”だと伝えたはずですが」

「だいじょーぶ、分かってるって~。ちゃんとお金の分は働くからさっ♪」


 机に広げたノートーーそのほとんどが白紙で、ごく一部にはラヴェンデルを模したものだとなんとか理解できるラクガキが書かれているーーを鞄に詰め込むと、セツナが既に歩き出した男の隣へと並ぶ。


「あ、てか聞いてよセンセ。ここ来る途中でさー、おいしそ~なローストパイ出してるお店見つけたんだよね~。今日の”ご褒美”はそこがいいな~……な~んて、ね? セ~ンセ?」

「いいでしょう。アナタの泥団子でも美味しく食べられるバカ舌にはたまらない料理でしょうから」

「ウッザ! てか、え? 今ローストパイ好きな人全員敵に回したけど、センセ大丈夫?」

「元よりワタシに味方などいませんし、欲しいと思ったこともありません」

「そんなだからいつまで経っても友達できないんだよ、センセ?」


 やがて二人は講義棟を出ると、帰路に着く学生たちの流れに逆らうようにして中央広場を抜けていく。足取りが示す先は中央龍院付属大学併設の図書館だったが、二人はそこ行き先に見向きもせず、慣れた歩みでその道のりを進んでいた。


「目的は分かっていますね」

「こんな人気のない図書館に? 生徒のアタシと二人っきりで中に入って? その上でこれから何をさせるかって、アタシの口から言わせるの? いや~ん、センセのエッチ♡ 供応獣ラット並みの性欲オバケなんだから♡」

「行きますよ」

「ムシすんなー!」

 

 ぎゃあぎゃあと喚き立てるセツナに今一度、疲れたような息をついてからラヴェンデルは図書館へと足を踏み入れた。



「これからワタシたちが向かう封霊書殿は、階梯五種以上の者しか入れない施設です」


 図書館の地下へと続く階段を下りながら、ラヴェンデルが話を進める。薄暗い空気が充満する中で、石の壁にはめ込まれたランプが頼りなく足元を照らしていた。その階段を進むラヴェンデルの足取りは迷いが無く、それと対をなすようにセツナはだらだらとした足取りで彼の後についていた。


「ここには龍院によって禁書指定された書物が保管されています。龍院が世間に秘匿したい龍種に関連するモノや、死者の蘇生を始めとした禁術が記されているモノ……そのどれもが危険な性質を持っているものです」

「エッチな魔法が書いてある本とかも置いてあったりする?」

「……その昔、一国を陥落させた女性が使用したとされる誘惑の魔法が書いてある本があるとは聞きましたね。どちらかというとそれが原因ではなく、その本自体が呪術的な意味を持っているから封じられたそうですが」

「えー、ホントにあるんだ、エッチな本。ウケる」


 頭の後ろに両手を回しながら、セツナがそうやって軽口を叩く。


「入り口は龍種を魔術的に模した自動機構が管理しているので、階梯5種以上の資格がなければ入れません。ワタシの所持している資格は階梯三種、アナタは学生という身分ですので当然、入ることなどできるはずもありません。加えてその学生の身分も詐称しているものですから猶更、侵入など不可能です」

「だから、メンテするフリして一時的に開けちゃうってことでしょ?」

「そういうことです。色々と裏で工作していただき、助かりました」

「どーいたしまして♪」


 階段を下りきった二人は、大きな空間に辿り着いた。

 天井は見上げるほどに高く、そこには何やら魔術的な紋章や記号が綿密に刻まれている。それらをぼんやりと眺めているセツナは、自分がラヴェンデルに置いていかれていることに気が付いた。とたとたと急ぎ足で追いつくと、彼は締め切った扉の前で足を止める。扉の中央には、目玉とも宝石とも取れるような球体が嵌め込まれていた。


『ようこそ、利用者様。封霊書殿へようこそ』


 門から放たれた無機質な言葉に、ラヴェンデルは通行証を差し出すことで答えた。


『認証を確認しました。ようこそ、管理者様』


 合成音声と共に球体が緑色に光り、一定の間隔で点滅を始める。

 それを確認するとラヴェンデルはセツナへと向き直って、口を開いた。


「回収する本は分かっていますね?」

「えーっと……『カセルの創世』と『虚無への旅路』だっけ?」

「絵本が抜けていますよ。『ふたりのウサギ』もです。こちらは前の二つとは別の本棚に保管されていると思われるので、忘れずに。回収するルートも再度確認しておいてください」

「はいはーい」


 気の抜けたセツナの声を背に受けて、ラヴェンデルが中央の球体へ触れる。

 しばらくすると鍵の外れるような音が三度続けて鳴った。


「この自動機構を欺ける時間は五分。それを過ぎると扉は強制的に締まり、警備員がここに駆けつけてきます。ですから、それまでには何としてもここに戻ってくるように。でないとアナタは一生、ここに閉じ込められたままです。仮に扉が閉じてしまったとしても、ワタシは駆けつけてきた警備員に誤作動だと言い訳をして帰ります」

「えー、アタシを置いて帰っちゃうの? 薄情だな~、センセも」

「アナタの手癖の悪さなら心配いりませんよ。そこだけは信頼していますから」

「やさしー顔でそーゆーこと言うのやめてくんない?」


 手にした時計の計時機能を操作しながらセツナが口を尖らせる。


「では開きますよ」

「はいはーい、いつでも!」


 引きずるような音を立てて、ラヴェンデルが扉を押し開ける。


「じゃ、いってきまーす!」

「お気をつけて」


 欠片も心配の籠っていない言葉を背中に受けて、セツナが封霊書殿の扉をくぐった。


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