第7話:おかえりと、さよなら
季節は静かに夏へと移ろっていた。
入社から数ヶ月、あずの職場での表情は、あの頃よりずっと柔らかくなっている。
今戸先輩とも穏やかに会話を交わし、しーちゃんとは昼休みを共にする日々。
仕事にも慣れて、悩みを吐き出すことも少なくなった。
部屋に戻れば、ぴーちゃんのモニターは今日も沈黙。
ぴよは相変わらず窓際で、のんびりとまどろむ。
変わらない日常のようでいて、どこか静かに満ちていく日々だった。
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そんなある日。
「阿武雨神社、また行ってみようかな」
あの日の出来事をふと思い出し、あずは今戸先輩としーちゃんを誘う。
「行きたい!猫の神社、ちゃんと見てみたい!」
「私も行く!」
3人で休日に再訪することが決まった。
ぴよに「お留守番お願いね」と声をかけると、ぴよはそっと目を細める。
その瞳が、青と黄色のネオンに一瞬だけふわりと光った後、ゆっくりとまばたきをひとつ。
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神社では、猫の像を撫で、由来を読み、
「ほら見て、この狐みたいな猫、ぴよに似てない?」と笑いあう。
「私の地元の宮城、石巻にも“猫島”って呼ばれてる場所があるんですよ!いつか2人で遊びに来てください。猫だらけで癒されますよ〜!」
「行きたい行きたい!!」と目を輝かせる今戸先輩。
3人の笑い声が、夏の陽に溶けていった。
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帰宅したあずは、ぴーちゃんのモニターに向かって「ただいま!」と元気に呼びかける。
……返事はない。部屋の灯りも何も動く気配がない
「あれ…?もしかしてホントに壊れちゃったかな…」
部屋はふわりとした月明かり差し込んだまま、静まり返っていた。
――その時。
「ぴよ!?」
視線の先に、小さく倒れているぴよの姿。
暗い部屋の隅、ぴよの毛並みはいつもより重たげで、体は動かず、呼吸も浅い。
「なんで、また…!?ぴよ…どうしたの…!」
駆け寄るあずの手に、かすかに反応するぴよ。
「……にゃ……ぁ……」
か細い声が漏れた瞬間――
部屋の明かりが灯り、ポットと浴槽のお湯張りが同時に始まる。
「え…?どうして…ぴーちゃん……?」
ぴよを抱きしめながら、あずの脳裏に松子の言葉がよみがえる。
〈亡くなったペットが、飼い主が心配で戻ってくることもあるって……〉
そして思い出す――
あの日、一度亡くなったはずなのに、その夜中突如目を覚ましたぴよ。
そのときから、ぴーちゃんの調子が悪くなった。
今はもう、ぴよの「にゃー!」だけで家電が動く。
これは偶然なんかじゃない。
ぴよは、ほんとうに“帰ってきてくれてた”。
涙が止まらなかった。
「……ありがとう。心配して、そばにいてくれてたんだよね。でももう大丈夫。私、ぴよのおかげでちゃんと前を向いてるよ……しーちゃんとも、今戸先輩とも仲良くなれたんだよ…!」
その言葉に、ぴよは顔をすり寄せ、最後の甘えのように、あずの手に身を預ける。
そして、顔を上げて、まっすぐにあずを見つめ――
その瞳が、黄色、ピンク、青のやさしいネオンに包まれ、ふわっと光る。
「ぴーちゃん……? ぴよ……?」
どちらに届くともわからない言葉をそっと呼ぶあず。
「にゃー……」
静かに鳴いたあと、ぴよは喉を小さく鳴らしながら――
そのまま、あずの腕の中で、すぅっと息を引き取った。
涙でぐしゃぐしゃになりながらも、あずは笑ってぴよを撫でた。
「……おやすみ、ぴよ。ありがとう……だいすきだよ」
その日は、本来ならぴよの49日だった。
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心の中にずっといた存在が、ようやく旅立つ日。
でもそれは、ひとりじゃないって教えてくれた、あたたかいお別れでもあった。
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