第37話 希望の滴、生命の輝き
差し迫る飢えと渇き
魔物の死骸が消え去った後も、洞窟の暗闇と湿気は変わらない。しかし、彼らの意識は、別の切実な問題へと向かっていた。
「……それにしても、喉がカラカラだ……」
桜井が、乾いた唇を舐めた。戦闘の興奮が冷めると、強烈な喉の渇きと空腹感が襲ってきたのだ。
池田教授も、ぐったりと座り込みながら呟いた。
「食料も水も、何も持っていない。このままでは、いくら『存在階梯』がどうとか言っても、飢え死にしてしまうぞ……」
藤原は、ヘッドセットの機能を切り替え、DS-αに指示を出した。
「DS-α、この洞窟内の環境データから、飲用水源、および食料となり得る生物、植物の可能性を検索。優先順位は飲用水」
「了解、博士!……だけど、この洞窟、生命反応が極端に少ないよ。水も、地下水脈の微弱な反応しかない……」
DS-αの声に、わずかな落胆の色が混じる。
しかし、その時、シズが再び口を開いた。彼女は、洞窟の奥、彼らが来た方向とは逆の、さらに深く暗い場所へと赤い瞳を向けていた。
「……愚か者め。この世界の『混沌』は、時に貴様らの『常識』を裏切る。この洞窟の奥には、わずかながらも水が湧き出ている場所がある。そして、その水の近くには、貴様らの『食料』となり得る、取るに足らぬ『存在』もいる」
シズの言葉に、桜井と池田教授は顔を見合わせた。彼女の言葉は、まるでこの洞窟の全てを知っているかのようだった。
「本当か、梓ちゃん!?」桜井が前のめりになる。
「信じるか信じないかは、貴様ら次第だ。だが、このまま飢え死にするよりは、マシであろう」シズは、冷たく言い放った。
藤原は、DS-αの解析データとシズの言葉を照合した。DS-αのデータは微弱ながらも、シズが指し示す方向に、確かに水脈の反応と、ごく小さな生命反応を検出していた。
「……DS-αのデータと一致。シズの言葉を信じる他ありません。進みましょう」
藤原の言葉に、桜井は力なく頷いた。彼らは、わずかな希望を胸に、さらに洞窟の奥深くへと足を踏み入れた。
彼らが足を踏み入れると、ひんやりとした空気が肌を刺す。そして、奥から微かに聞こえる、水の滴る音が耳に届いた。その音は、彼らにとって、これまでの人生で聞いたどんな音楽よりも甘美に響いた。
数メートル進んだその先に、彼らはそれを見つけた。
洞窟の天井に開いた小さな亀裂から、一筋の光が差し込み、その光の下で、岩壁に沿って青白く発光する苔が群生している。その苔の隙間から、まるで真珠のように透明な滴が、一滴、また一滴と、規則的に岩肌を伝って落ちていた。滴が溜まる小さな窪みは、まるで神秘的な泉のようだった。その水面は微かに揺らめき、底から淡い光が湧き上がっている。
「これだ……水……!」桜井の目が輝いた。彼は屈み込み、震える手でその水を掬い上げ、乾いた唇へと運んだ。
その瞬間、桜井の全身に、冷たい水とは異なる、温かく優しい生命の力が流れ込んだのを感じた。萎んでいた筋肉が、わずかに、しかし確かに脈動を取り戻す。全身を覆っていた倦怠感が薄れ、思考もクリアになる。
「な、なんだこれは……!ただの水ではない……!」桜井は驚きに目を見開いた。
池田教授も慌てて駆け寄った。「私も試させてくれ!」彼は慎重に水を口に含むと、胃の痛みが、すっと引いていくのを感じた。
「これは……!この世界の魔力成分と、私の回復魔法の波長が、奇妙に共鳴している!体内の細胞が活性化されるような感覚だ!」
科学者としての彼の探求心が、再び燃え上がっていた。
藤原もまた、ヘッドセットのデータを確認しながら水を試した。「……身体能力の微弱な向上を確認。疲労回復、精神活動の安定化。純粋な生命エネルギーが含まれている」
DS-αの画面にも、水のデータが表示される。「すごい!『存在階梯』も、わずかに上昇してるよ、みんな!」
DS-αは、シズの横に移動し、画面に水の微細な組成データを表示した。「梓ちゃん、この水、すごいね!地球の水とは全然違うデータだよ!単なるH2Oじゃなくて、微細な魔力成分と高密度の生命エネルギーが、この世界の法則で自然と凝縮されてる!僕の解析では、この洞窟の特殊な鉱脈と、地層を流れる魔力の経路が偶然交差した場所で生まれるみたい!やっぱり『混沌の常識破り』だね!」
シズは、DS-αの分析を鼻で笑った。「ふん……貴様の言う『奇跡』も、『偶然』も、余にとってはただの日常に過ぎぬ。そして、貴様が解析した通り、これはこのディスコルディアの『混沌』が生み出す、取るに足らぬ産物に過ぎん。だが、貴様らの飢えを凌ぐには十分であろう」
そして、その水場の近くには、見たこともない奇妙なキノコがいくつか生えていた。色は薄暗い洞窟の壁と一体化するような灰色だが、微かに甘い香りがする。DS-αが「微弱な生命反応」と捉えていたのは、このキノコだったのだ。
「これが、貴様らの『食料』。食したところで、大した効果はないだろうが、飢えは凌げるであろう」シズが、冷淡に告げた。彼女はキノコには見向きもせず、水場の湧き出る岩肌をじっと見つめている。その瞳には、水から放たれる微かな魔力の流れが、データとしてではなく、本能的に理解されているかのようだった。
彼らは、ようやくこの異世界で、一時の安寧と、生存のための確かな手がかりを見つけたのだった。しかし、この小さな希望が、彼らの前に立ちはだかるであろう、次の「ゲーム」の難易度を緩和するに足るものかどうかは、まだ誰にも分からなかった。
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