第14話 魔王の部屋、調査報告、そして新たな策謀
橘梓のペントハウスは、東京の夜景を背景に、静謐な輝きを放っていた。煌びやかなシャンデリアの下、大理石の床には橘梓が優雅に腰掛けるソファの影が伸びている。彼女の隣に立つ影山徹は、いつものように感情を一切読ませない白い貌で、手元のタブレットに視線を落としていた。桜井ヤスノリからの会談の承諾、そして藤原聡美の同席という返信を受けて、橘梓は、彼ら二人に関する詳細な調査報告を求めていた。
「影山。桜井ヤスノリと藤原聡美について、あなたの解析結果を聞かせなさい。」
橘梓の声は、夜の帳のように滑らかで、それでいて有無を言わせぬ威厳を帯びていた。深紅のワイングラスをゆっくりと回しながら、彼女の瞳は、影山の背後に広がる夜景の光を映して冷たく煌めいている。
影山は、無表情のままタブレットを操作し、大型モニターに二人の人物像と関連データを映し出した。彼が指を滑らせるたび、画面上のグラフは瞬時に再構築され、統計データは緻密なパターンへと収束していく。その操作は、まるで情報そのものを意のままに操るかのように淀みがなく、彼の情報修正能力の圧倒的な凄みを物語っていた。
「桜井ヤスノリ。職業、弁護士。SNSでは『筋肉弁護士』として知られています。身体能力が高く、日常的に筋力トレーニングを行っているようです。彼の強みは、そのリーガルマインドに裏打ちされた論理的思考力と、社会の健全性を守ろうとする揺るぎない正義感にあります。また、彼が培ってきたリベラルアーツによって、多角的な視点から物事の本質を見抜く洞察力も持ち合わせています。特に、情報操作や陰謀論に対しては強い嫌悪感を示し、客観的事実に基づいた議論を重視する傾向にあります。」
影山の声は淡々としていたが、モニターに表示される桜井の活動データ、彼の動画の再生回数やコメントの傾向は、橘梓の予想を超えるものだった。彼の動画は、橘梓の熱狂的な信奉者たちとは異なる層に、着実に影響力を広げていることが示されていた。影山の指先一つで、無数のデータが瞬時に分析され、桜井のフォロワー層の特性、動画の視聴時間帯、コメントのポジティブ/ネガティブ比率までが完璧に可視化されていた。
「彼が我々の情報操作の影響をほとんど受けないのは、彼の食生活が偏りなく、バランスが取れているため、と藤原聡美は推測しています。この食生活のバランスという因子は、既存のデータモデルでは未定義の領域であり、解析は困難を極めました。しかし、池田教授への『卵焼き』を用いた介入行動において、その有効性が実証されました。」
影山の言葉に、橘梓の細い眉がわずかに持ち上がった。「食生活」という言葉、そして「卵焼き」という具体的な行動が、彼女の冷静な思考回路に微かな波紋を広げた。彼女がディスコルディアで支配してきた「感情」とは異なる、人間特有の、理解しがたい「何か」の存在が示唆されていた。
「食生活のバランス、ですか……。面白い。そして、その『卵焼き』とやらで、池田教授の精神支配が解けたと?」
橘梓は、ワインを一口含む。その唇には、新たな「遊び」を見出したかのような、妖しい笑みが浮かんだ。
「はい。池田教授の脳波は、卵焼きの摂取後、橘様の動画に対する共振が急速に減衰しました。藤原聡美博士の分析によれば、特定の栄養素が脳機能に影響を与え、外部からの精神的な影響を抑制する作用を示したと考えられます。ただし、科学的な裏付けは不足しています。」
影山は、藤原の分析結果をそのまま報告した。彼のタブレット上では、池田教授の脳波データがリアルタイムで推移し、卵焼き摂取前後の変化が驚くほど精緻にグラフ化されていた。そのデータが示す論理はなにか。人間の根源的な感情、バランスのとれた食生活と卵焼きから導き出されるもの、によって、橘梓の精神支配が阻害される可能性を示唆するこのデータに、彼は密かに驚きを覚えていた。
次に、モニターは藤原聡美のデータへと切り替わった。影山が操作するたび、彼女の論文がキーワードごとに分類され、思考のプロセスがフローチャートのように再現されていく。その情報修正の速さと正確さは、もはや人間の範疇を超えているかのようだった。
「藤原聡美。年齢28歳、外見は中学生程度。極めて合理的な思考の持ち主で、あらゆる事象をデータとロジックで捉えます。感情的要素を排除し、効率性を最優先します。レトロゲームに没頭し、カップ麺を常食。池田教授からは『人の心を理解できないロボット』と評されています。」
影山は、藤原の過去の論文や研究成果、彼女の発言傾向など、膨大なデータを次々と提示していく。その中には、彼女が独自に考案した「カルト的人気指標」といったユニークな分析パラメータも含まれており、橘梓の関心を引いた。影山は、藤原の過去のSNS投稿から、彼女がプレイしたゲームのログ、さらには研究室に設置された監視カメラの映像(もちろん、無許可で)までを瞬時に解析し、彼女の行動パターンを予測していた。
「彼女は、桜井ヤスノリの言動を『予測不能な変態データ』として認識し、彼の『食生活が精神に与える影響』に関する主張を、自身の新たな研究テーマとして捉えています。さらに彼女は、橘様が放つ精神的なコントロールを『特定の周波数の音声による脳波への影響』と解析しており、桜井氏と同様に、その影響をほとんど受けていません。」
「ほう。この小娘は、私の魔力を『特定の周波数の音声』と解釈すると。興味深いですね。」
橘梓の口元に、さらに深い笑みが浮かんだ。彼女の「力」が、この世界の人間によって「データ」として分析されようとしている。それは、彼女の存在意義を脅かす可能性も秘めていたが、同時に、これまでの退屈な「ゲーム」に飽き飽きしていた魔王にとって、久しく味わうことのなかった「刺激」でもあった。
「影山。二人の人物像は理解しました。あなたは、この二人が私の『ゲーム』において、どのような役割を果たすと予測しますか?」
橘梓は、影山に問いかけた。その瞳は、まるで彼の心の奥底を見透かすかのように、静かに、しかし鋭く彼を射抜いていた。
影山は、一瞬の沈黙の後、冷静に、しかし明確な声で答えた。
「桜井ヤスノリは、その揺るぎない信念と行動力、そしてリーガルマインドとリベラルアーツに裏打ちされた知性によって、橘様の扇動と精神支配に対し、強力なカウンターとなるでしょう。彼の『食生活のバランス』という未定義の因子は、我々の情報操作のアルゴリズムに予期せぬエラーを引き起こす可能性があります。藤原聡美は、桜井氏ほど直接的な脅威ではありませんが、その並外れたデータ分析能力と合理的な思考は、橘様の『魔法』のメカニズムを解明し、無効化する可能性を秘めています。彼女は、橘様の存在を『データ』として捉え、解析しようとするでしょう。」
影山の言葉は、二人の人物が橘梓にとって単なる「駒」ではないことを示唆していた。彼らは、橘梓の完璧な「支配」の網に、予想外の「穴」を開ける可能性を秘めている。
「つまり、彼らは私の『ゲーム』を、さらに面白くしてくれる、と?」
橘梓は、満足げに微笑んだ。その笑みは、美しいが、同時に底知れぬ冷酷さを湛えていた。彼女は、影山徹を支配することで得た魔力を、さらに増幅させるための新たな要素として、桜井と藤原の存在を受け入れたのだ。
「ええ。予測不可能な要素が加わることで、『ゲーム』の難易度は飛躍的に上昇するでしょう。」
影山は、橘梓の言葉に呼応するかのように、わずかに唇の端を吊り上げた。彼もまた、この魔王の新たな「ゲーム」に巻き込まれながら、その中で自身の「屈辱」を晴らす機会を虎視眈々と狙っているかのようだった。
「結構。では、彼らを私の目の前に連れてきなさい。会談の準備を整えなさい。そして…池田教授も連れてくるように。彼の卵焼きによる精神の回復具合を、直接確認しましょう。」
橘梓は、ワイングラスをサイドテーブルに置き、ゆっくりと立ち上がった。その姿は、夜景を背に、闇を統べる魔王そのものだった。彼女の瞳の奥では、新たな「ゲーム」の幕開けへの、冷たい愉悦が渦巻いていた。
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