第22話 つかの間の休息

 悠可(愛可)は、久し振りに実家に帰って来た。

 王都の中心から市街地を抜けて、東端に位置する場所に屋敷はある。

 貴族の屋敷のように華麗ではない。敷地もそれ程広大ではない。


 屋敷の背後には森があり、万一の場合はその森を抜けて、その背後に悠然と流れる川に降り、隠してある船で川を下って、聖国教会の修道場に逃げ込めるようになっている。

 屋敷の周囲は、一見すると牢獄かと思うような雰囲気を持っている。頑丈な鉄柵と石の壁が交互に配された塀は、見上げる程高く、容易に侵入が出来ないように、少し外側に反っている。塀の上部には棘のある植物が蔓を巻いていて、そこを越えるには覚悟が必要だろう。

 火矢を射かけられても容易には燃えないように、屋敷の壁には薄い石を貼ってあり、石が貼れない箇所は漆喰で仕上げられるという、徹底ぶりだ。


 子供の頃に外出して帰って来る時、この屋敷を外から眺めて、余りにも陰鬱に見えたので、せめて庭に明るい花を植えようと思ったが、祖母曰く、

「地を這う種類のバラを植えてあるので、花は咲くから、その時に見なさい。」

そう言われて、諦めたのだった。

 守りに特化した屋敷。それ程に構えなければならないのは、万一の時に王都に居を置く王を連れて落ち延びる為だ。


 『王の盾。王の剣。王の人。』


 崑国を創った初代王は、どんな人物だったのだろうか。

 巌一族は、この地で既に一大勢力として君臨していたのに、何故、崑国の初代王を支える側に回ったのだろうか。忘れ去られる程に永い年月を過ごした今でも。


 巌総領家の主人にならなければ見られない蔵書が多数あるが、その中にならこの疑問に対する答えが得られるのだろうか。

 巌家の者と、王家の者の婚姻を忌避した理由も、分かるのだろうか。

 第二王子の死という形で、悠可は王家との婚姻が消えたが、生きていたなら、今頃は妻として隣に居たのだろうか。

 祖父の貞貫は、第二王子との婚姻を何故許したのだろうか。第二王子の人となりに感銘を受けたとされているが、巌の掟を破る理由としては弱いと思う。

 祖父の決定に、子の可貫が異を唱えるのは難しいと思うが、父可貫は何故反対しなかったのだろうか。


「まあ。王子本人がもう居ないんだから、今更聞く必要もないか。」

悠可は大きく声に出して言った。

 実家の屋敷に近付きながら、つらつら考えていた事を、この一言で振り切った。


 桐己女王の盾となり、剣となり、人となりに、悠可は王都に帰って来たのだから。


「愛可(悠可)、お帰りなさい。貫凱殿から、正午頃に軍営に着くと連絡があったのに、暗くなってからの帰宅なんて、遅すぎるわ。

 せっかく手配した職人の方に申し訳ないったら!!」


 帰宅し、玄関の前で出迎えの下男に馬を預けていたら、玄関の奥から、母の麻那が顔を出した。

 彼女が、こんなに身軽に玄関から顔を出す事は、父が帰還した時くらいだ。

「ただいま帰りました。お母様。」

「愛可。待ちかねましたよ。さあ、早く中に入って。」

母は、悠可(愛可)の手を引いて、ずんずん歩いて行く。


 『こんなに小柄な方だったかな?』

手首の細さに驚き、肩のきゃさに目を見張った。自分の背がずっと伸びたように錯覚する程、久し振りに見る母の背中は小さかった。


 玄関の扉を、家令が閉めた。その音を聞いてから、母がくるりと向き直った。

「愛可。よく顔を見せて。」

母に両頬を持たれて、下から真っすぐに見つめられた。

「元気そうで良かった。額に傷を作ってしまったと聞いたけれど、この程度なら化粧でどうとでも隠せるわ。頬の傷も。さすが、端軍医ね。」

そう言いながら、悠可(愛可)をぎゅっと抱きしめた。

「お帰りなさい。本当に愛可なのね。ああ、本当に良かった。」

悠可(愛可)も母を抱きしめた。小さい。腕の中にすっぽりと収まってしまう。

「はい。愛可です。ご心配をおかけしました。お母様。」


 しばし、2人は無言で抱き合った。


「さて、愛可。急いで。別室に職人達を待たせてあるの。」

「は?職人??」

「ええ。3日後には女王陛下に拝謁するのよ。衣服を揃えなければ。まずは採寸。」

「今からですか?!」

「だって、日がないもの。急いで!」

 愛可は、また母に手を掴まれて、引っ張って行かれる事となった。


「3日間、休める筈じゃなかったのかな……。」

 参謀長に言われた言葉と、現実との違いに、しばし思考を停止して、窓の外を見てしまう愛可だった。


 帰宅初日、もう日も暮れている中、愛可は下着一枚になって、あっちもこっちも採寸されまくった。

 女性用下着の試着の際は、気を失うのではないかと思う程に締め上げられた。

「息が出来ません。これでは、思うように動けません。剣が扱えない服装は意味が無いかと思います。」

やっとの息でそう言うと、母は

「そうね。思った程、細められないから意味がないわね。じゃ、この手の下着はやめましょう。」

そう言ったのだ。

『酷い……。』

愛可は内心で泣いた。


 やっと、採寸と下着の試着から解放されてから、職人の一番偉いであろう立場の人に、愛可は声をかけた。

「少し、お時間を頂いてもよろしいですか?」

 白髪を後ろで一纏めにして、帰り支度を指示していた老齢の職人は、振り向いた。

「はい。お嬢様。大丈夫ですよ。」

 愛可は、下男が運んで来て、部屋の隅に置いた旅の荷物の中から、汚れた袋を引っ張り出した。

 その中から出て来た、黒ずんだ革鎧を見た、その場の一同は後ずさりそうになるのを、ぐっと堪えた。


 黒い革鎧は、背中の位置で破損している。その破損個所に残る黒い跡は、間違いなく血痕だと分かる。

「恥ずかしながら、背中から一太刀浴びました。巌総領家の者でありながら、背後を切られる事は、万死に値します。ですが、私は、これは今後の油断を戒める証ととらえました。なので、生きて戻りました。」

 愛可の言葉に、その場から音が消えた。

「女王陛下のお側で、陛下を守る者として、鎧を着たいと考えております。戦場で着る革鎧よりも、王宮で浮いて見えない物をお願いしたいのです。

 軍服でも良いかと思っていましたが、私がお側に居ることで、怯む程の威圧を与えたい。陛下のご心中を煩わせたくないので、刃を交えなくとも御身をお守りできるように。

 程よく上品で、程よく威圧的な、鎧を仕立てて欲しいのです。」


 その場の、誰も言葉が出なかった。王の傍らに鎧を常時着用した者が居た事は無い。革の鎧であっても重い。剣を持つ者は控えているが、あくまで控えているだけで、王の傍にいるわけではない。その者も、宮中で鎧は着用していない。


 長い沈黙の後、白髪の職人は、口を開いた。

「巌 愛可様。ご生還を、我等、心から嬉しく思っております。

 総領家ご長子の、覚悟の程を伺い……職人魂が震えております。」

白髪の職人は、目を伏せ礼を取った。再び顔を上げ、愛可の目を見た。

「鎧の製作は専門外ですが、我等だからこそ、出来る事があると考えます。

 明後日の初出仕に間に合うよう、力を尽くさせて頂きます。」

そう言って、白髪の頭を、深々と下げた。


 その夜遅く、旅の垢を落として、寝台に眠った愛可は、夢も見ずに深く眠った。


 翌朝、遅めの朝食の為に起こされた。

 食事の席には、母だけが居た。


「おはよう。よく眠れた?」

「はい。ぐっすりと。こんなにいい寝具で寝ると、逆に体のあちこちが痛みますね。」

愛可のその言葉に、母の麻那は笑い声をあげた。

「その言葉、旦那様も言っていたわ。」

2人は顔を見合わせて、笑った。


 愛可の食事の世話を焼きながら、麻那は今後の予定をかいつまんで伝えていった。


「何だか、食事が喉を通らなくなりました。」

「『いかなる時も、食う』でしょ。まだまだね。お父様や弟達を見習いなさい。」

 母の言葉に、愛可は苦笑いした。

「はい。食います。今が、いかなる時もですね。」

「そう。今夜は、弟達も戻ります。学校に許可を貰いましたから。久し振りに積もる話をしましょう。」


 わずか3日の期間に、王宮での礼儀作法に始まり、各貴族家の主人の名とその特徴と個性、その嗜好を、母や家令から叩き込まれた。

 ある程度は把握していたつもりだったが、実際には全く把握できていなかった。

 女王派、貴族派、かつて大臣派だった派閥。


「本来は、子弟の情報や、婚姻関係なども頭に入れて欲しい所ですが、時間がありませんので、今回は見合わせました。順次、覚えてくださいね。」

笑顔でそう言う母の顔が、心底恐ろしい愛可だった。


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