第13話 国王の乱心と大臣家の終焉

  巌総領家の長子の悠可(愛可)は、『北の要塞』の軍医の部屋で寝起きをして、養生していた。

 目覚めた日には、粥しか食べさせてもらえなかったが、翌日からは出された食事をモリモリ食べた。

 すぐ傍には、侍従のように寄り添うタラ・ルーが居た。

 

 悠可に意識が無かった時は、下の世話までしてくれていたと、軍医から聞かされて、羞恥で顔を見る事も出来なかった。そんな悠可に

【妻の世話をするのは、夫の役目だ。他の者にそれを任せられる筈がないだろう。】

事も無げにそう言って、タラは笑うのだ。

 その笑顔は誇らしそうで、悠可には眩しく見えた。

 末の弟に似て、細っそりと弱々しかったした面影は、いつの間にか無くなり、逞しく凛々しい青年に見え始めた彼に、悠可はドキリとした。


 悠可が起き上がれるようになると、軽めの鍛錬を二人で行うようになった。

 その鍛錬は、悠可の怪我の回復を早め、悠可の弱った心も、元の様子に近付けていった。初めての戦場の有様が、悠可の心に重く影を落としていたのを察したタラは

【精霊に認められた僕等には、癒しの加護が降り注いでるから、心の強さを手放さない限り、大丈夫だよ。】

そう言って、夢にうなされる夜は悠可の手を握り、優しく囁くのだった。

 

 そんなタラの心の優しさに、悠可もやがて心を許していくのだった。

【僕は、悠可の夫と認められるように、頑張るよ。】

 タラが、そう言う度に、巌総領家の長子の悠可の心は、弟達を想って沈んでいくのだが。

『巌一門、総領家の者が、普通に婚姻して、穏やかな家庭を持てる筈がないだろう。この身は、いつ戦場に散るかも知れないのだから。』

悠可は、弟達が前線に出なくて済むように、なるべく長く、最前線で、総領家の長子としての責任を全うしたいと考えていた。

『だから、婚姻など誰ともしない。総領家の血は弟達が引き継いでいけばいい。』

そう、固く心に決めていた。

 実際に前線で戦って、その惨状を経験して、更にその想いは強くなった。

 


 大臣は、北の国境線が大幅に北奇国側に動いた事に、気を良くしていた。

 戦争補償の交渉も、崑国側の要求がほぼ通った事は、大臣である己の送った交渉人が優秀だったからだと、周囲に吹聴してはばからなかった。

 実は、左軍総監が実質の交渉を行った事は、意図的に伏せられていた。

 そればかりか、第二王子がいなくなって、巌家と血縁にならずに済んだことに、心底ホッとした大臣なのだ。

 

 今こそ、強い崑国を周囲の国々に知らしめ、自分の意図を汲む王国を創り上げようと、やる気に満ちていた。

 『どんなにこの時を待っていた事か。

 王族の血を持たない大臣家の悲願が、正に自分の手によって実現するのだ。』



「大臣閣下。王妃陛下が政務の間にてお待ちです。急ぎお伝えする事があるとの事です。」

「はて?王妃が……?急に何ごとだろうか……??……国王陛下は何と?」

「王妃陛下からのご下命ですので……。私では判りかねます。」

 大臣は、現王妃から、初めて呼びつけられた。心当たりが無い。

 とりあえず、政務の間に従者を数人引き連れて向かった。


 政務の間には、執政官の面々が既に席に着いていた。

 大臣は、いつもの大臣席の位置に椅子が置かれておらず、意図的にその場所に空間がある事を不穏に感じたが、大臣の椅子が、玉座の下段の脇に置かれていた事に気を良くした。

 つい頬が緩むのを自覚して、慌てて気を引き締めた。

 

 正面の玉座の王妃の席に、王妃は座っていた。

 隣の王の席は空いていた。王妃の後ろには、前王妃の王后母が、喪服姿で静かに座っていた。

 王后母は、前国王崩御以来、ずっと喪服を着用している。黒にも見える濃い灰色のその喪服は、いつ見ても陰気で、大臣は見ただけでため息をつきたくなるのだ。

 

 現王妃は、王家の血筋を持つ娘だった。本当は大臣家の血縁から迎えたかったのだが、王太子は見目麗しい娘が好みであったので、当時の貴族の中で最も美しい娘を選んだのだ。大臣の目論見通りに、王太子はこの娘を正妃に迎える事を、当時はとても喜んだのだ。

 翌年には、王子が誕生し、夫婦仲も良いかと思われたが、この正妃は無口で面白みに欠ける娘であったようで、王太子は興味を失ってしまった。

 夜の営みは行われたようだが、その後一向に懐妊の知らせは無かった。


 そんな無口で物静かな、王や大臣にとってこの上なく都合のいい王妃が、今回初めて、王抜きで、大臣を呼びつけたのだ。


 王妃の席に座る女は、30歳を過ぎた今でも、見た目は美しかった。人前で声を発する姿を見たのは、随分久し振りであった。

「急な呼び出し、驚かれたでしょう。」

王妃は厳かに切り出した。

『こんなお声だったか……。』

大臣は、その声を耳に心地良く感じた。

 

 しかし、大臣を席に着かせる声掛けは無かった。


「第二王子が、北奇国で10年も前に亡くなっていたそうですね。何故、今まで報告が上がって来なかったのですか。」

王妃のその言葉に、大臣はしばし絶句した。

 

 崑国の誰も、その事を大臣に質問する者は居なかったのだ。王であっても、大臣にそれを問う事は無かった。なので、よもや王妃から直々に政務の間で、歴々の執政官達の前で、正式に問われるとは、思ってもいなかったのだ。


「大変遺憾な事でありました。北奇国とは国交が盛んではありませんでしたので、このような事態に、私も驚いており……」

大臣は、体面を整えようと、無難な答えを探しながら答えようとした。

 だが、皆まで言わせず、王妃は凛と響く声を発した。

「仮にも、王子を引き渡しておきながら、そんな言い訳が通るとは、思ってはいませんよね。”国交が盛んではない”事は、承知の筈です。その上で、王子の安否の確認をするのが、外交決定権を握る、大臣の差配ではありませんか。」

今まで、無口であった王妃が、初めて多くを語るその言葉は、大臣が引き連れて来た従者の面々にも、しごく当然の言葉として、青ざめさせるには十分だった。


「王子の身に、万一危険が起きた場合には、助け出さねばなりませんでした。例え、助けが間にあわなくとも。

 その身が呼吸を止めていても、その身体を、持ち帰らねばなりませんでした。」

王妃の言葉は、静かな威厳に満ちていた。

 大臣は俯いて、顔を真っ赤にしている。

「仮にも、崑国王家の血筋の王子です。出生時からの不遇を、私が何もせずにいたと思いますか?」

「は?」

「第二王子の乳母は、私が遣わせた者です。武芸に秀でた、巌家から招いた武人を付けました。その乳母の最期の便りを、私は受け取れなかった。無念です。」

「……。」

「乳母からの便りが途絶えて、私は不安で堪らなかった。方々手を尽くして探しました。ですが、行方は用として知れず……。その後も、探し続けたのです。」

大臣は、今度は青ざめた。

「国王は、第二王子の生存に関して、関心をお持ちではなかった。

 誠に無念でした。私の実家からの援助にも限りがあり、捜索は断念しました。」


 王妃は、大臣に冷ややかな目を向けた。

「昨今、王がまた別邸に頻繁に通っておられましたね。」

 大臣は、大汗を搔き始めた。

「巌総領主の奥方に似た、第二王子の母は、既に他界されたはず。

 またしても、金の髪に青い瞳の若い娘を寵愛していると、聞き及びました。しかも懐妊したとか。」

王妃は、淡々と述べていく。

「側妃として宮廷に招くならば、私も喜んで迎えましょう。王の子の誕生は喜ばしい事です。ですが、王にはその積もりがおありでは無かった。」

 王妃は、ここで大きなため息をついた。


「王は、乱心されました。」

「はあ?」

 王妃の言葉に、大臣は間抜けな声を発した。

「懐妊した娘を、側妃として迎えるように進言した所、激高され、その娘を亡き者にしようと自ら刃を向けられました。」

「なっ……何ですと!」

「やむなく、私の手の者に押さえさせました。その際にも、正気を疑う発言を繰り返された為に、現在は、お身体を拘束させていただいております。」

「王の拘束を許したのは、私です。」

王后母が、言葉を継いだ。

「私の目の前で、私が王宮に連れて来た、側妃候補の娘を害そうとしたのです。

 王は、身分の低い者が王の側妃になる事が容認できなかった様です。仮にも、王である自分の子を宿した者を、自ら害そうなどと……。

 正気の沙汰ではありません。」

 周囲は、水を打ったような重い沈黙に包まれた。


 王妃は、大臣に呼びかけた。

「大臣。」

「はっ!」

「貴方は、第二王子の母の胸中を、一度でも察した事がありますか?」

「……それは…勿論……。」

「では、何故、王子の北奇国での様子なりと、伝えてあげなかったのですか。」

「……」

「かの方は、大臣が連れて来た者でしたね。今回の側妃候補の方も、ですね。」

「……。」

「……大臣、其方、潔く退きなさい。」

「はあ?」

「第二王子に関する様々な不忠義、身分の低い者を選んで王に抱かせる浅慮、北奇国との今回の戦後交渉の功績を己の功績と吹聴した行い、どれをとっても、大臣という地位に留まる資質に添う者とは、思えません。」

「な…なんと……」

「これまで、国王を支えたという功績は認めましょう。

 国王は乱心の為、退位します。

 王と一緒に、大臣家の一族は、辺境の地に移って頂きましょう。」

「何を…勝手な事を……。」

「辺境に移る事が嫌であれば、仕方がありません。

 第二王子を軽々に扱い、その王子としての地位を守る事を怠った罪を問います。」

「し…承服できません!!」

「国家反逆者として、大臣の地位を剥奪!! 一族の者を極刑に処します。

 王の乳母は、その偏った思想を、王に及ぼした罪により、死罪。」

「承服できませんーーー!!!」

大臣は叫んだ。必死に叫んだ。

 叫びながら、衛兵に引きずられて、政務の間から連れ出されていった。

  

 もう誰も、大臣であった老人の声を聴く者は居なかった。


 その日のうちに、大臣の娘であった、先々代王の妃は『氷の宮』と呼ばれる冷宮に移り、生涯幽閉される事となった。

 

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