第5話 雪代さんの秘密
翌日。
この日は体育の授業がある日だった。
それぞれ体操着に着替えたクラスメイトたちは、体育館へと向かっていく。
今日の競技は、男子がバスケットボール、女子がバレーボールだった。
俺は自然と雪代さんを探していた。
そして、すぐに見つける。
彼女は銀色の長い髪をシュシュでまとめ、ポニーテールにしていた。
いつもと違う雰囲気。たった髪型を変えるだけで、どうしてこんなにも可愛く見えるのか。
――いや、ポニーテールじゃなくても十分可愛いんだけど。
ほら、周囲の男子も視線を釘付けにしている。
簡単な練習を終えると、授業はすぐに試合形式に移った。
ふと女子の方を見れば、雪代さんがジャンプしてスパイクを打ち込むところだった。
「ん……っ」
バシンと雪代さんが綺麗なスパイクを決めると黄色い声援が飛び交う。
「きゃー! 雪代さんすごーい!」
「ナイスーっ!」
普段はダウナー気味で気だるそうにしているくせに、スポーツとなると別人のようだ。……ほとんど声は出していないけど。
そういえばはじめて彼女の家に行ったときも、トレーニングウェア姿だった。
――もしかすると、本当に運動神経がいいのかもしれない。
それに、雪代さんの高い身長も関係あるのだろう。
バレーではその高さが存分に活かされ、彼女はコートの中でひときわ輝いていた。
「おい! 悠希!」
「――――っ」
蓮次の声が飛んだ。
次の瞬間、俺の後頭部にバスケットボールが直撃。
よそ見をしていたせいだ。
視界が揺れ、意識が遠のいて――俺はそのまま気を失った。
◇◇◇
「……ぅ、あ……」
「起きたか」
瞼を開けると、そこは保健室のベッドだった。
横には蓮次がいて、苦笑しながら俺の顔を覗き込んでいた。
「あれ……俺、なんで……」
「バスケの最中に女子のほう見てただろ。で、ボールくらって気絶。――ったく、なにしてんだか」
「あはは……」
「まあ、雪代さんもいるし、見ちゃうのは仕方ないけどな。でも、危ねーことはすんなよ」
「……うん。蓮次って、ほんと優しいよな」
「ふっ。俺は優しいイケメンだからな」
自信満々に言う蓮次。
冗談めかしているが、実際なにかと気を遣ってくれるから助かっている。
「自分でイケメンって言うところは嫌いかも」
「ははっ。じゃ、回復したら戻ってこいよ。俺は飯食ってくる」
「うん」
蓮次が出ていくと、保健室には俺ひとり。
少し頭がズキズキするけど、寝てしまえば落ち着きそうだ。
スマホを確認すると、昼休みはまだ三十分残っていた。
――もう少し休むか。そう思って目を閉じたとき。
ガラガラ、と扉が開く音。
足音が近づき、仕切りのカーテンが開いた。
「相沢……いる?」
「えっ……雪代、さん……?」
姿を現したのは、制服に着替えた雪代さんだった。
心配そうにこちらを覗き込んでくる。
「頭、痛いの?」
「まあ、ちょっとだけ」
「……じゃあ、今日はうち来れないのかな」
「そっちの心配か……」
「バレたか……でもね、相沢の心配もしてる。本当だよ」
嘘とも本当ともつかない言葉。
でも、こうしてわざわざ顔を出してくれただけで十分だった。
「まあ、この程度なら普通にバイトできるよ。お金も稼がないといけないし」
「お金……必要なんだ」
「うん。実家から飛び出してきたようなもんだから、自分で学費も生活費もなんとかしないと」
「だから、そんなにバイトしてるんだ」
「そゆこと」
この事情は、蓮次くらいにしか話していなかった。
まさか雪代さんに打ち明けることになるなんて。
「そういえば……雪代さんって、一人暮らしなの?」
「今更だね。そうだよ」
やっぱり、俺の予想通りだった。
夜九時を過ぎても誰も帰ってこないあのマンション。あれは一人暮らしの家だったのだ。
「……そうか」
「親のこと、聞かないんだね」
「言いにくいことだって、あるだろ」
高級マンションにひとり。
友達は来ると言っていたが、その頻度も少ない。
「私はママのお人形さんみたいなもの。……だから、お仕事以外のことは、自由にさせてもらってる」
「ふむ……」
「ママとは、仕事の日以外は会わない。……だから、ちょっとさみしい」
それは雪代さんの本音だったと思う。
母親に会いたいのに、母親は自分をビジネスの道具としてしか見ていない――そう感じているのだろう。
「だから、相沢がお家に来てくれるの、ちょっと嬉しい」
「……そうか」
「なんだか、懐かしい気分になる、から……」
その声を聞いているうちに、眠気が襲ってきた。
ベッドの心地よさも相まって、瞼が重くなる。
――雪代さんの声を子守唄にするように、意識が沈んでいった。
◇◇◇
「うぐっ……ぐすっ……ゔぉえっ……」
年齢にしては体格の大きな少女がいた。
ぽっちゃりとした体を震わせながら、河川敷へ続く階段でひとり泣いている。
「いそげ、いそげ、いそげっ……あぁっ!?」
そこへ駆けてきたのは、ランドセルを背負った小さな少年。
勢い余って転び、道中で派手にすっころんだ。
「いってぇぇ……」
「あ……う……ゔぉええええっ!?」
「うおっ!? 泣き方、汚すぎない?」
倒れ込んだ場所で出会ったのは、まさにその泣きじゃくる少女だった。
胃袋の底から絞り出すような嗚咽に、少年は思わず苦笑した。
「わたし……太ってるの……」
「うん。それで?」
「お母さんが、痩せなさいって……」
「なんで痩せなきゃいけないの?」
少年には理解できなかった。
太っていようが痩せていようが、それはその人の自由じゃないのか。
「ブサイク、だからって……」
「へえ。ひどいこと言うね」
「お母さんは……ひどく、ない……っ」
「……そっか。お母さんのこと、好きなんだ」
「うん……」
母親を侮辱されるのは許せなかったのだろう。
少女は母をかばいながらも、その胸には愛されていないという寂しさを抱えていた。
「俺は今の君でも綺麗だと思うけどね」
「え……なんで……?」
「ほら、肌ぷるぷるで髪もすっごいサラサラだし。……うちのとーちゃんなんか、ぐるぐるパーマですっごいダサい……」
「よくわからないけど……ありがと。うれしい」
少しずつ、少女の泣き顔がほぐれていく。
やがて頬を赤らめ、照れくさそうに笑った。
「じゃあ、俺もう行くから――」
「あ、あの! 血……すごい出てる……」
「え……って、えええええええっ!?」
見ると、少年の膝からは真っ赤な血が噴き出していた。
アドレナリンが出ていて気づかなかったのだ。
少女は慌ててハンカチを差し出す。
少年はそれを受け取り、血を押さえながら去っていった。
――河川敷に残された少女は、まだ胸を高鳴らせたまま。
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