【第三章 共鳴の音叉と真実の刃】
王都ラウグレイア――その裏路地から高官の応接間まで、「嘘を暴く男」の名は、今や広く知れ渡っていた。
名はカシアン。かつて審問官として知られ、今は“放浪する真実の探求者”として人々に恐れられ、敬遠され、同時に一部では英雄視されてもいた。
彼が持つ銀色の音叉――《共鳴の音叉》は、誰かの言葉が本心と違う瞬間、かすかに震えて共鳴する。その響きは、嘘だけでなく、己の奥底に眠る矛盾やごまかしまで明るみに引きずり出す力を持っていた。
だがその力を手に入れたのは、祝福ではなかった。
カシアンの過去は痛みに彩られている。かつて妻と娘を守るため、“優しい嘘”をつき続けた。だが、その小さな嘘が一つ、また一つと積み重なった末、取り返しのつかない悲劇を呼び寄せた。
――家族を失い、その夜、自分の耳にだけ、世界中の嘘が鳴り響くようになった。
何もかも白日のもとに晒さずにはいられなくなった。それが《共鳴の音叉》の呪いだった。
王都を離れ、放浪の日々を送るカシアンには、目的があった。
「嘘のない世界」にこそ赦しと平和がある――今の彼は、その信念に突き動かされていた。
だが近頃、その“信念”にすら揺らぎが忍び寄っている。
音叉の力で暴き立てた“真実”が、いつも人々の救いになっているとは限らない。
「本当は知りたくなかった」と泣く者、「偽りのままが幸せだった」と怒る者もいた。
最近、彼の元に不思議な噂が届いた。
「北の村で、不自然なほど全員が“過去”を忘れている」「村に漂う静けさは、何かを隠している」
彼の音叉が疼く。
真実が消されている――それを見過ごせなかった。
曇天の下、カシアンは泥にまみれた街道を歩き、ようやくその村に辿り着いた。
村の入り口で足を止める。
遠くから見れば、村は理想的な平和に満ちているようだった。子供が花冠を作り、老人が犬と遊んでいる。
だが彼は、耳の奥でかすかな共鳴を感じ取っていた。
――この村全体が、どこか薄い膜で覆われている。
彼は村の広場で人々と交わりながら、静かに観察を始めた。
「ご旅行ですか?」と声をかけてくる老婆、パンを差し出す若い娘、はしゃぐ子供たち。
皆、親切で穏やかだが、どこか作り物めいた均一さがあった。
音叉を指先で軽く弾くと、村全体に重い“空白”の音が響く。
――ここには、大きな何かが“消されて”いる。
カシアンは老婆に尋ねた。
「この村で、過去に大きな災いがあったことは?」
老婆は微笑みながら「何も」と答える。
だが、その返答の奥に“偽り”の波が走った。音叉が微かに震える。
広場で子供たちに囲まれていたカシアンは、ひとりの少年の顔にふと影を見た。
「おじさん、なんでそんな寂しそうな顔してるの?」
カシアンは戸惑いながら、そっと膝をついて少年と目を合わせた。
「……寂しい顔をしているのは、君たちのほうかもしれないよ」
少年はきょとんとして「どうして?」
「――君たちの心の奥に、何かが泣いている気がしたんだ」
カシアンは広場の中心で村人たちを集め、静かに語りかけた。
「あなたたちは、何も後悔や喪失もなく、日々を生きているのですか? 誰も苦しみも憎しみも感じたことがないのですか?」
村人たちは少し戸惑い、互いに顔を見合わせて、しばらく無言になった。
その時、音叉の震えが一層強くなり、カシアンの心の中に村全体の“嘘”が押し寄せてくる。
「……なぜ、私はこんなに平和なのに、胸が苦しいんだろう」
老婆の目に涙が滲んだ。
「私の音叉は、“偽り”を響かせます。ここには大きな何かが消されている。記憶が、“意図的”に消されているんです」
カシアンの声は厳しく、だが悲しみに満ちていた。
「村が、誰かに救われた覚えは?」
村人たちは首を横に振る。
「救われるほどの苦しみを、経験した覚えがないのです」
カシアンは目を細める。
「本当は、誰かを失い、深く傷ついたのではないか? あなたたちは、本当にそれを忘れていいのか?」
村長がうつむきながら言った。
「分からない……だが、あなたの声を聞いていると、心のどこかが痛む」
◆ ◆ ◆
夕暮れ時。
カシアンは村の教会の前で座り込んでいた。
彼の頭の中には、家族を失ったあの夜の記憶が蘇っていた。
「私は……“優しい嘘”をついた結果、家族を守れなかった。だからもう、二度と嘘を許せなくなった。でも――“忘れること”もまた、嘘の一つなのか?」
彼は《共鳴の音叉》を取り出し、そっと膝に置いた。
「本当にこの力は、人を救っているのか……」
迷いが胸に渦巻く。
夜、広場には小さな灯がともり、数人の村人が寄り集まっていた。
「忘れた方が楽なのか、知った方が幸せなのか……」
「昔の自分が何を選んだのか、思い出したいけど思い出せない……」
村人たちはささやき合い、心の奥で何かが揺らぎ始めていた。
カシアンはその光景を見て、強くもどかしい思いに囚われた。
「真実を突きつけることで、人は本当に救われるのか?」
「もしかしたら私は、自分の“贖罪”のために、誰かを無理やり“正しさ”で縛っているのではないか……?」
翌朝。
カシアンは村を離れる前に、最後にもう一度広場を歩いた。
「忘却が救いであるなら、その“空白”を暴くことは残酷かもしれない。だが、“赦し”は真実からしか始まらないと信じたい」
村の片隅で、ひとりの老人が声をかけてきた。
「……何もかも忘れたのに、胸の中だけがずっと寂しいままなんだ。あなたの言葉を聞いて、昔の大事な人の顔をうっすら夢で見た気がした」
カシアンは静かに老人の手を握った。
「それが、あなたの本当の“痛み”です。どうか、その痛みにだけは正直でいてください」
やがてカシアンは、王都に向けて歩き出す。
その背中には、“真実の刃”を手にした者だけが背負う孤独と、決して消せぬ家族の影があった。
だが、村に残した“波紋”は確かに広がっていた。
消されたはずの痛みが、音叉の残響とともに少しずつ蘇り始めていた。
そして、王都では“忘却”と“真実”の対立が、より大きなうねりとなって世界を飲み込み始めていた――
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