[7月13日 13:00]夏入り

 カウンターの左奥。もはや僕の定位置となっている。今日も他に客は無し。マスターが珈琲を作る音と、ジャズ・ミュージックだけが耳を撫でる。


 日曜の午後。外はもうすぐ一日で一番暑い時間帯だが、店内はガンガンに効かせた冷房のお陰で、実に心地いい。地球温暖化どこ吹く風、といった反骨精神っぷりを感じる。叶うなら、何時間でもここで珈琲を啜りたい気分だ。


 あいつさえ来なければ。


「ちゃんと居た! よかったぁ!」


 噂をすれば、なんとやら。ドアをジャラジャラと鳴らし、入店して来た。上気した顔を手でパタパタとあおぎながら。


「マスター、あいつ﹅﹅﹅にカフェラテを」

「あっ! 今、あいつって言った!」

「名前も知らないんだから、なんて呼ぼうと僕の勝手だろ」

「礼儀を知らんのかね、礼儀をぅ!」


 ——オッサンみたいな言い草を……


 茶髪ショートヘアのあいつは「マスター、アイスでね!」と付け加えて、カウンターの右奥——の、ひとつ隣に座った。


「いつもの席じゃ無いのか?」

「奢ってもらったからね。1ポイント!」


 悪戯っぽく笑う。

 ——何のポイントだ、そりゃ。


 僕とあいつ、その間には空席が七つ。それでも前より、ほんの少し距離が縮まる。


 今日のあいつは、白のノースリーブ・シャツ。腕は汗でじっとり濡れており、店内の淡い照明を受けて、輝いて見える。伸縮性のある生地が身体に張り付き、胸の稜線を明確にする。正直、目のやり場にとても困る。


 足元は変わらずフォーマルなスキニーパンツ。細さが際立って見える濃いカラー。ヒールとサンダルを併せたような靴で、剥き身の足指、黒系のペディキュアが目を引く。


「……夏、だな……」

「んん? なんか言ったぁ?」

「いや、別に」


 あいつが脚を組むまでの間、頭の天辺から足の先まで、つい眺めていた。


「いつものチョコチップ・スコーンくださーい! あと……アイツ﹅﹅﹅にスコーンね」


 仕返しのつもりなのか、ドヤ顔でそう言い放つ。

 ——って、ちょっと待て。


「おい。また奢られたら、カフェラテ奢った意味が無くなるだろ」

「私は、とぉっても寛大だから、コーヒーしか注文出来ない憐れな人に恵んであげたのです」

「寛大な人はそんな事言わないぞ」


「言いますぅ!」と苦しい返しをしながら、両目をギュッと閉じて舌を「んべっ」と出した。


 スコーンをだしに使って、また来週も奢らせるつもりか……まったく、困ったヤツだ。


 僕の所に、ブレンドとスコーン。あいつの所に、カフェラテとチョコチップ・スコーンが並ぶ。


「うーん、奢りのカフェラテは美味いですなぁ!」


 わざとらしい大声が、いつもより一席近いせいか、余計やかましく聞こえる。


「人の金で食うスコーンは美味いなぁ」


 わざと言い返す。


「チョコチップ入りの方が美味しいもーん! 残念でしたぁ!」


 なんだコイツ。


「プレーンの良さが分からないなんて子供舌だな、嘆かわしい」

「あれれぇ? スコーンの美味しさを教えたのは誰でしたっけねぇ?」


 くそっ、分が悪いぞ。スコーンじゃ勝てない。


 ふと横を見ると、眩しいくらいの笑顔でチョコチップ・スコーンを頬張る彼女の姿があった。小さな口に詰め込む姿は、髪と瞳の色も相まって——


「まるでリスみたいだな」


 言ってやった。


「え? リスみたいに可愛い、って? やだなぁ、もう!」

「言ってない言ってない」


 両手を頬に当てて首を振る様は、演技にしか見えない軽薄さだったが、その美貌でやるのはズルい。つい、可愛いと感じさせられてしまった。


 気を紛らわすように珈琲と菓子を胃に流し込む。すぐに食べ終え、勘定のため席を立つ。


「思ったけど、食べるの早くない?」


 何やら不満げな表情。


「別に……いや、昔の職場の癖、かな。休憩を削ってでも仕事時間を捻出してたから」


 呟きながら出口へ向かう僕に、彼女は眉を下げ、少し悲しげな視線を向けた。


「今は仕事休憩じゃ無いんだし、ゆっくり食べればいいのに……」

「もう無意識だよ、これは」


 扉の前で、立ち止まり、うつむく。


 今はもうブラック企業勤めでは無い。しかし一度染み付いた慣習のようなものは、なかなか落ちないらしい。職場や家での食事は、今でも味を感じない時がある。


 だからこそ、彼女に薦められたスコーンの味が、より鮮烈に思わされたのかもしれない。


「……これ、あげるから、元気出して?」


 そう言って彼女がポケットから取り出し、僕に手渡したのは——ポケットティッシュ。しかもホストの広告が入ったやつ。


「ほらっ! そこなら相談に乗ってくれそう!」

「なんでだよ! 行くわけ無いだろ!」


 お腹を抱えて笑うあいつ目掛けて、ティッシュを投げつけた。頭に当たり「あいたっ!」と大袈裟に叫びながらも、まだ喉を鳴らして笑っていた。


「……じゃあな」

「うん、また来週ね!」


 ドアノブに手を掛けた僕に、彼女は真っ直ぐそう言う。その言葉が、妙にむず痒く、首を掻いた。


 扉を開け、喫茶『ハーデン・ベルギア』を後にする。日射のせいか、顔の暑さが例年以上に感じた。蝉の声は、ずいぶん遠く聞こえた。

 

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