週末にはカフェラテを。

下田 空斗🌤

◉ 初対面 ◉

[6月29日 13:00]初対面

「マスター、カフェラテ! あと、いつものね!」


 僕の週末のリラックス・タイムは、陽気で、無神経で、社交的で、大雑把で、常連気取りな、名前も知らないこの女に打ち壊される事になる。





 社会人生活の四年目。大学を出て、新卒入社した企業は思いのほかブラックで、ひとまず一年勤め上げたが結局リタイア。その後に何社か転々として、今はボチボチの給与と干渉の少ない平和な職場に行き着いた次第。


 働き詰めの頃に取り過ぎたカフェインが祟り、今や立派な中毒者。かなり落ち着いてきたが、たまに摂取したくなる衝動に駆られる。


 その上で、せっかく飲むのなら良いものを……と思った末に始めたのが、毎週末の喫茶店巡りだ。


 そして今日、この『ハーデン・ベルギア』という良店に出逢ったのだった。


 木造を主体としたレトロな内装で、ほんのり漂う木の香りが森林浴のように心を落ち着かせる。店内に流れるジャズ・レコードもセンスが良い。

 何より日曜の昼下がりだと言うのに、僕以外の客はゼロ。店側としては由々しき事態だろうが、静かに珈琲を楽しみたい僕には最高の空間だ。


 僕は出入口から最も遠いカウンター席の一番左隅を陣取り、ブレンドコーヒーを注文。店の味が一番よく分かるのは、やはりブレンドだろう。


 音楽に耳を傾け、床から伸びる丸椅子の上で店内を眺めてる内に、白いカップが僕の前に置かれた。


 まずひと嗅ぎ……悪くない。僕の中のカフェイン欲求を刺激する、良い香りだ。凝りすぎて主役の豆が行方不明なブレンドを出す店もあるが、これは何というか、客を想ってれられた——そんな風情ふぜいがある。


 まあ適当を言ったが、正直美味しければ、それでいいのだ。この場の雰囲気に酔わせてくれるだけで充分に満足なのだ。


 では、冷めない内に頂くと——


 ドアベルが、盛大に、やかましく、鳴り響く。


「あれぇ? お客さんがいる! まっ、いっか!」


 入店早々、デカい声でそう言うと、ドスンと音がしそうな勢いで、入り口に一番近いカウンター席の一番右隅——僕から一番遠い席に、彼女は座った。


 珈琲が唇に触れる目前だったが、興が削がれた。一度カップを戻し、深呼吸する。


 ——落ち着け。ここは喫茶店。お客さんが来る事くらい、当たり前だろう。目の前の珈琲に集中だ。


「マスター、カフェラテ! あと、いつものね!」


 店内のどこに居ても聞こえるほどの声量で、その子は注文した。声色と風貌から、二十代前半か。


 カップを握り締めた姿勢のまま、視線だけチラと向ける。


 髪型は清楚系で売ってる女優がするような、濃いブラウンのシュッとしたショートヘア。小顔で艶のある若々しい肌で、鼻も唇も小ぶり。やや吊り上がった目元は主張し過ぎない長さのカールした睫毛がパチパチと元気に瞬きし、その瞼の下にはダーク・ブラウンの大きく輝きを放つ瞳。


 顔だけ見ても、モデルやアイドルをやってると言われても、疑わないレベルだ。


 ベージュで薄手な長袖タートルネックの縦ニットはボディラインを浮き立たせ、決して大きくは無いが、その胸の膨らみの存在感を露わにする。そしてフォーマル寄りな黒のパンツは、細い腿に吸い付くようだ。


 その脚を交差させ、片肘をつき、手の平へと顎を乗せる。うん。ここにカメラマンが居れば、モデルの撮影現場と化していただろう。


 ——と、いけない。僕が興味あるのは珈琲だ。


 慌てて今日の目的へと向き直る。まだ湯気を上げて僕を待ってくれていた。改めて鼻腔にカフェインを取り込む。


 そしてカップに口を付け、静かに傾け——


「そういえば、この前の木曜なんだけどさぁ——」


 ひと啜りも出来ず、僕は天井を見上げた。


 ——いや、話し振りからして、マスターに声掛けたんだろう事は分かる。分かるよ? にしては君、声デカく無い? 店内全員をターゲットにした、無差別トークですか?


 駄目だ駄目だ。もう一切気にしないぞ。人は人、僕は僕、珈琲は珈琲だ。もう何言ってるか分からなくなってきたが、とにかく飲む。


 カウンターに乗せた肘を支えに、口に手を寄せ、眼前に蒸気昇る黒い水面みなもが——


「——ね、ひどくなぁい!?」


 独言の終わりに合わせたかのように、そいつは拳を振り下ろした。その振動が、恐るべき速さで僕の腕に伝わり、カップの中身が顔を濡らした。


「アッツぅ!」


 思わず声が漏れる。


 マスターが心配してくれ、大急ぎで新品の濡れ布巾を差し出してくれた。


「あらら、大丈夫ぅ?」


 奴は他人事のように軽いノリで言いやがった。


 ——これ、肘を置いてた僕が悪いのか? いや、どう考えてもカウンター叩く方が悪いよな?


「……まったくツイてないよ。誰かさんが驚かせなければ、静かに珈琲を楽しめたろうに」


 感情が抑え切れず、つい、ポロリと。


「え、なに? 私のせいって言うの?」


 ——そうだろ。


 奴は眉根を寄せて、不機嫌な顔を作っている。


「こんくらい、事故でしょ、事故。寛大な人なら、笑って流してくれるだろうになぁ?」


 スッと呆れ顔に変わったかと思えば、横目でこちらの出方を伺っている。


「謝りもしない相手に、寛大になれるとでも?」

「なれますぅ! そんな人もいますぅ!」

「なら、まずあなたが寛大な心を見せて、僕に詫びて下さいよ」

「…………なんかやだ」


 ——なんかやだ、だぁ!?


 椅子を八つも離したカウンター席の口論が続く。


「はぁ、出た出た。他人には要求するくせに、自分では出来ない人」

「なっ! 私が言ったのは『笑って流せ』って話でしょ!? 『謝れ』なんて言ってませーん!」

「おや、小学校で習いませんでしたか? 悪い事をしたら謝りなさい、って。お店のカウンター殴るのは悪い事でしょ」

「うぎぎ……ごめんなさい、マスター」

「僕に謝れっつってんだよっ!」


 ——なんで喫茶店でコントをせにゃならんのだ!


 一言一言、その都度に、怒ったり、嘲笑ったり、反省した顔したり、表情がジェットコースターみたいな奴だ、まったく。


 けどそれもあって、どこか憎み切れないのが尚更タチが悪い。たぶん誰からも好かれる性格なのだと嫌でも思わされる。


「もういいよ……マスター、お勘定」

「え、私が払うよ。なんか悪いし」

「……そう思うんなら、まず謝ってほしいんだが」

「……ごめん」


 分かりやすく落ち込んだ顔を見せる。ズルい。


「……油断してた僕の落ち度もある。だから、反省してくれるなら、それでいいよ」


 そう言って僕は、飲んでもいない珈琲代を支払い終えた。


「じゃあさ! 次会った時に、少し奢らせてよ! 美味しいんだよ、ここのスコーン!」

「はいはい、機会があればね……」

「また来週、同じ時間ね!」


 ——もう会う前提で話が進んでないか?


 溜め息混じりに立ち上がり、その子の横を通り過ぎる。ふわりと甘い香りが鼻をくすぐった。


 ノブに手を掛け、ドアベルが鳴り始めた時、ふと振り返る。


 それに気付いた彼女は、満面の笑みで手を振ってくれた。釣られて頬がゆるみそうになった僕は、慌てて喫茶店『ハーデン・ベルギア』を後にした。






 ある日曜、昼下がりの午後、ウーディでレトロな珈琲喫茶。そのカウンター席の、端と端から、僕の穏やかな時間は崩れ始めたのだった。



 — — — — — — — — — — —


◉ 珈琲喫茶『ハーデン・ベルギア』お知らせ ◉


 はじめまして。

 喫茶『ハーデン・ベルギア』のマスターです。

 御来店ありがとうございます。


 当店は、毎週日曜以外﹅﹅は定休日となります。

 誤って平日に来店されるお客様も多いので、

 どうか【レビューや口コミ】等で、

 他のお客様にその旨お伝え下さると幸いです。


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