始まりの咆哮②
剣が火花を散らす。
アスファルトの地面に足がめり込み、燐の身体が後方へ弾かれた。
「……やっぱり、この人は強い」
肩で息をしながら、燐は前方に立つユウトを見据えた。
ぶ厚い空気が、焼けるように喉を焦がす。
(前回は……全然、本気じゃなかった)
あのときの戦いは、まだ遊びだった。今ならわかる。
本気になったユウトは、別物だ。圧が違う。速さが違う。威圧感すらも段違いだ。
(俺だって……強くなったはずなのに)
訓練を積んだ。剣も盾も使えるようになった。何度も限界を越えてきた。
それでも——
(正直……勝てる気がしない)
目の前の男は、まるで底が見えない。強者のその先に立つ者の気配を纏っている。
「……多少はマシになったようだな」
赤いパーカーのフードを軽く払いながら、ユウトが口の端をつり上げた。
その双眸は一切の情を持たない。敵を見下ろす獣の眼光。
「だがな——」
右足を軽く地面に打ちつける。
「そんなんじゃ俺に勝てねぇぞ」
一瞬、地面が割れるほどの衝撃。
「それに——柏木の痛みは、こんなもんじゃねぇ」
「……だから、ぼくじゃないっ……ですって!」
燐が叫ぶ。
だが——ユウトは聞く気など最初からなかった。
「喰らえ」
次の瞬間、爆音と共にユウトの姿が消えた。
地面が砕け、空気が裂ける。
目にも止まらぬ一撃が、燐の右脇腹をとらえた。
「っ……!」
鈍い衝撃が内臓を揺らし、息が詰まる。
身体が宙を舞い、地面に叩きつけられる。
(だめだ……この人は話を聞く気なんてない)
(だったら——)
「一度、この人を倒さないと……!」
立ち上がる。
その瞬間、燐の左手が光に包まれた。
(……来い)
ファントムコード《幻心の具現》
ふわりと、剣の光がもう一本。右手の剣と同じ光子状の剣が左手に。
そして左側に、盾がもう一つ浮かび上がる。双剣・双盾。
剣道の型が自然と構えを整える。
足さばき、目線、重心——すべてが鋭く整っていた。
「……!」
ユウトの顔に、わずかに驚きの色が浮かぶ。
直後、剣と拳が激突した。
空気を裂く連撃。
燐の剣が疾風のようにユウトを追い、盾が蹴りを受け流す。
砂埃が舞い、二人の影が交差する。
これまで一方的だった戦いが、ようやく拮抗した。
「——やるなぁ」
ユウトがニヤリと笑う。
「なら、ギアを上げるぜ」
一瞬で空気が変わった。
ユウトのリビドーが、さらに上昇する。
(まずい——)
次の瞬間、燐の防御を軽々と上回る蹴りが顔を撃つ。
踏み込みの深いローキック。
直後、後頭部へ打ち下ろされる肘打ち。
剣で受けたものの、勢いのまま地面に膝をついた。
(くそ……!)
息が苦しい。
肺が焼ける。
体中が悲鳴をあげる。
(俺は、あんたに負けて——)
(それでも……もう、負けたくないって思ったんだ)
過去がフラッシュバックする。
何もできなかった自分。無力だった自分。
それでも、あの日、確かに心に芽生えた——
(強くなりたい、って——)
燐の表情から迷いが消える。
視線がまっすぐにユウトをとらえた。
(今、この人と戦う理由なんて……正直、ない)
(だけど、雑念を持って戦っても、この人には万が一にも勝てない)
静かに目を閉じる。
(なら今は——)
(この人を超えることだけに集中する)
——キィン。
剣が再び輝きを放ち、リビドーの粒子が燐の全身から舞い上がる。
(だから)
「今日、俺は——あなたを超えます」
宣言と共に、再び剣を構える。
身体が軽い。
迷いが晴れた今、すべてが研ぎ澄まされている。
再び激突。
光と音が交錯する。
剣と蹴り、盾と拳——攻防の応酬が繰り広げられる。
互いの動きは速すぎて、もはや周囲の目には追えない。
だが確かに、今、燐は——
ユウトと初めて互角に渡り合っていた。
------
ぽつ、ぽつ、と。
空から落ちてきた冷たい粒が、熱を帯びた戦場に静かに染み込んだ。
「……雨、か」
燐が息を整える間もなく、空は鈍い灰色に染まり、視界がわずかに霞みはじめる。
濡れたアスファルトが、剣と靴の衝撃で鳴いた。
向かい合う二人の間に、しばし沈黙が流れる。
息を荒げる燐とは対照的に、ユウトはまだ余裕の表情を浮かべていた。
深呼吸ひとつせず、赤いパーカーのフードを指先でなぞる。
「……やるな。少しは見られるようになった」
燐の頬に、ほんのわずかな笑みが浮かぶ。
この男と、ここまでやり合えている。
強者の壁に、やっと手が届いた気がした。
だが——
「……おい」
ユウトが、わざとらしく首を鳴らした。
「まさか……俺と互角にやり合ってるつもりか?」
「……え?」
「俺はまだ——コードを使ってねぇぞ」
その言葉に、燐の目から一瞬で光が失われた。
「……う、そ……だろ..」
ガクリと肩が落ちる。
喉が詰まり、声も出ない。
絶望という感情が、雨とともに全身に降り注ぐ。
ユウトが、唇をゆっくりと動かした。
「《韋駄天(テンペスター)》」
瞬間、世界が変わった。
気圧が一気に下がったかのように、空間が圧縮される感覚。
雷鳴のような衝撃が地を這い、強者のオーラが戦場全体を支配する。
(これが……コードを使ったユウト……)
——見えない。
次の一瞬、ユウトの姿がブレた。
「——っ!」
重たい音と共に、燐の肩が弾けた。
盾でかろうじて受けたが、力の差は歴然だった。
足が滑る。
視界が歪む。
呼吸ができない。
「っらああああああああっ!」
ユウトの跳び蹴り。
雨粒を切り裂くその一撃に、燐は反射的に剣を交差させた。
《叛逆の剣(コード・リベリオン)》
剣と蹴りが激突する。
衝撃波が爆ぜ、雨が放射状に飛び散った。
互いに後退。
僅かな距離が、再び空気を張り詰めさせる。
「……それが、お前の技か」
ユウトの口元が釣り上がる。
「なら、俺も見せてやるよ——!」
雷鳴のごとき声が響く。
「《アクセル・バースト》!!」
爆音と共に地を蹴るユウト。
その動きはもう、視線では追えなかった。
——暴風。
踏み込み、蹴り上げ、回し蹴り、跳び蹴り、カカト落とし——
尋常ではない手数、いや足数の連撃が、嵐のように襲い掛かる。
(来る……来る!)
燐は全身の集中を一点に凝縮させた。
「《叛逆連閃(はんぎゃくれんせん)》——リベリオン・ストリーム!!」
双剣が閃光を描く。
その軌跡はまるで、水流のように滑らかで鋭い。
両手の剣を連続して振るい、ユウトの蹴撃を正面から迎え撃つ。
だが——
一瞬の隙。
「甘ぇんだよッ!」
ユウトのカウンター。
足が剣の隙間を縫って、燐の胸元に打ち込まれた。
「がはっ……!」
吹き飛ばされた燐の身体が、雨に濡れたアスファルトを滑る。
制服が裂け、背中に痛みが走る。
(……また、負けるのか)
視界が白む。
鼓膜が痛いほどに鼓動が鳴る。
それでも——
(負けたくない)
心の奥から、熱が湧いた。
(俺は……俺は……!)
立ち上がる。
剣を地面に突き刺し、膝を支えにして。
(熱い。けど、冷静に)
雨の音が意識を研ぎ澄ます。
熱くなった心を、冷たい雨が洗い流す。
(スピードでは勝てない。なら……)
——合わせろ。
「くらいやがれェェェェェッ!!」
ユウトが叫び、再び《アクセル・バースト》。
嵐が迫る。風が唸る。
だが——
「……今だ」
燐の瞳が鋭く光る。
《叛逆・逆時雨(はんぎゃく・さかしましぐれ)》
閃光が雨の中を切り裂いた。
ユウトの猛撃を、すべて見切っていく。
ステップ。スウェイ。ブロック。受け流し——
流れるような剣筋が、雨粒のリズムと重なる。
相手の動きに“合わせて”刻まれる、反撃のカウンター。
最後の一閃。
逆手に構えた剣が、ユウトの頬を鋭く裂いた。
「っ……!」
血が、雨粒のように舞った。
——それは、初めてユウトの身体に刻まれた、明確な“ダメージ”だった。
「やるじゃねぇか……」
ユウトが、うっすらと笑う。
その瞳には、今までなかったものがあった。
——認めるような、わずかな、光。
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